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 ――内田警部の捜査ノートより


 これで何度目だ! 怒りに任せて、菅野スガノタダシは佐伯恒一の胸ぐらをつかみ上げた。同じようなことに我慢を続けてきたが、今度ばかりは許せなかった。


「おいおい、暴力はよせよ」

「うるさい! 俺のプランをぶち壊しやがって、どう責任取るつもりだ!?」

 引きつった真っ赤な顔で怒鳴りつける菅野に、佐伯はただにやにやと嫌らしい笑い顔を返していた。


「責任? 俺は俺のインテリアを客に売っただけだぞ」

「黙れ! 売りたきゃ売れよ。だが人のやることに口を出すな!」

 建築にはプランがある。クライアントにはやりたいことがあるのと同時に、払える金額の問題がある。やりたいことをすべて叶えることは、たいていの場合できない。やればやるだけコストが発生するからだ。そのバランス感覚で建築士のセンスが問われる。建築士の信頼によって、建築事務所の信頼が決まる。


 佐伯のインテリアは、高い。高級家具に分類されるだけあり、希望者は多いものの、叶うだけの金額を出せるクライアントは少ない。だから、菅野としては見劣りしない品を提案し、快適な空間を約束するプランを作成するのだ。それは経営者としてだけではなく、社員全員に徹底させている、約束できるプランを作成するという原則だった。

 しかし、菅野の思い通りにいかない存在があった。佐伯恒一だ。佐伯はなぜか自分のセンスに自信を持っていた。菅野が提案する品物を『代用品』と呼び見下した。自分がコーディネートするからプランを変更するようにと、直前になってクライアントへゴリ押しすることがあった。菅野に黙って、である。


 コーディネートだけを変えるのは簡単だ。しかし予算は変えられない。プランだけ変更するように見せかけて、実は費用まで書き換えるのが問題だった。佐伯としては品物が変われば値段が変わるのは当然だという理屈だが、クライアントはそんな説明を受けていないとして請求を拒むことがあった。菅野としても、出荷してしまった物の金額を変えることはできないし、持ち出しなどもってのほかだ。佐伯と揉めるのは当然の成り行きだった。


「オマエがどんだけ馬鹿なのか自分で分からんのか!」

「俺の何が馬鹿だって?」

 佐伯はムッとして言い返した。

「俺の事務所の仕事になんでオマエが手え出すんだ? いくら物売りたいからって、人の商売壊すやつが馬鹿じゃなきゃなんなんだ!」

「俺の商品で部屋を作ってやるんだから、喜ぶべきなのはお前の方だ」


「それが馬鹿の言うことだってんだよ! 部屋を作ってるだ? 汚してるの間違いだろ」

「お前こそ馬鹿だなあ。コーディネートというのは部屋を作ることだろ」

「オマエにセンスが無いことくらい誰でも知ってる! オマエだって何度となく言われてきた! 俺はオマエが言われてるところを何度も見てるぞ!」

「それは周りにセンスが無いんだ。俺以外が馬鹿なんだよ」


「糞っ垂れ! オマエのコーディネートで満足した客がどこにいる? みんながクレームを入れるか泣き寝入りだ。おかげで俺の事務所の評判まで落ちてるって話も何度だってしてきただろ!」

 喉を締め付けられながらも。やれやれというように佐伯は溜息をついて天井を見た。


「それはお前の仕事が悪いからだ。俺のインテリアは世界一だ」

「インテリアのデザインだけは認める。問題はその使い方だ。オマエには致命的にセンスがねえ! 色も形も組合せが雑で住みにくいったらありゃしねえ! 費用を無視してやることでもねえ! 暮らしを作るのが俺たち建築屋なんだよ。オマエが勝手にプランを変えたせいで、こっちは訴訟沙汰だ! そもそもオマエにプランに口出す権利がねえんだよ‼」

 菅野の怒りは増すばかりだった。佐伯がしたこともそうだが、ここまで詰め寄ってもすかしたままな態度が気に入らない。


「もしだ、もしうちが訴えられるようなことになったら、俺はオマエを訴える。戦犯はオマエなんだからな。俺が泣き寝入りなんてすると思うなよ?」

 佐伯が真顔になり、鼻を突き上げて菅野を見下すような目線を送った。

「俺にそんな脅しが通用すると思うのか?」

「脅しじゃない。法に訴えると言ってるんだ。金でも権力でも解決できない。オマエのしたことが法律でどう裁かれるか楽しみだな!」

 佐伯は鼻をピクつかせて、軽く青筋を浮かせた。それを見て菅野は嘲るように微笑んだ。


「こっちには優秀な弁護士が何人もいる」

「それがどうした? 俺がクライアントに言われたことをそのままオマエらに言うだけさ。それでうちが負けるならオマエらも負ける。オマエらがする反論の内容をそのままクライアントにぶつける。どうだ?」

 佐伯が奥歯をギリギリと噛み締める音が菅野にも聞こえた。互いの激しい息づかいが交錯する。


「だったら先にお前を潰すまでだ」

「どうやって? オマエが俺を訴える理由はないぞ」

「理由なんてどうとでもなる。優秀な弁護士がいると言っただろ」

「ほお。それは明らかに脅迫だぞ」

「ふん、知るか」

 このやり取りは、事件の4日前のことだった。



 再び公共交通機関を活用して、菅野の事務所を目指した。どこにいても知実さんは目立つ。バスでも電車でも視線を向けられるし、子どもには指さされるし、連れの男は何なんだと囁く会話まで聞こえた。普段は滅多に動き回らない知実さんだが、慣れているのか、平気そうな顔をしていた。


「お邪魔しまーす」

 十一時。定刻通り、できるだけ腰の低い感じで呼びかけた。はーい、と応えたのは若い男性だった。


「なんでしょうか?」

「菅野さんにアポを取らせていただいた者です。『知実』と言っていただければ伝わると思います」

「こちらで少々お待ちください」

 5~6分待たされて現れた男が挨拶してきた。


「私が菅野です。わざわざご苦労様です」

「知実だ。よろしく頼む」

「助手の井方です。お忙しい中お時間をいただいて、感謝しております」

 素直に入れてもらい、応接室へ通された。佐伯の件で、といってアポを取っておいただけあって、話をスムースに始められた。


「水スキルだったな」

「あ、ええ。水操作です」

「性質変化か」

「はい」

「効果範囲がやけに広いが、仕事で役に立つことは?」

 いきなりスキルの質問は予想外だっただろう。戸惑いながらも答えてくれたから、知実さんはキャッチしたはずだ。


「あまりないですね。生成だったらモデルルームのプールに水を張ったりできるでしょうが」

「なるほど」

 建築士だという菅野正。水操作が役に立つとしたら、むしろ解体現場かもしれない。


「佐伯とは言い争いが絶えなかったそうだが、どのくらい恨んでいた?」

「ストレートですね」

 菅野は苦笑した。日焼けしてシワが入った顔に、がっしりとした体つきの男。佐伯と激しく争ったとしても納得できる。だが柔和な笑顔を見ていると、人を殺すような人には思えない。先入観はいけないのだが。


「私の方はね、仕事と割り切っていたんですよ。向こうはどうだか知らないけど。確かに口げんかはいつものことですが、殺すほど恨んでいたわけじゃない」

「ものの弾みということもあるだろう」

「佐伯さんはあの通りだし、私は腕っ節に自信はありません。取っ組み合いになるわけがないですよ。もっとも自分が言ってるだけで、客観的な根拠はないですけどね」


「アリバイはないんだったな」

「そうだよ」

 肩をすくめて見せる仕草は、分かってもらえないだろうね、と言いたげだ。


「打ち合わせが急遽キャンセルになったと聞いている。キャンセルの理由は何だ?」

「向こうの事情ですよ。クライアントと外壁の打ち合わせをするところだったんですが、仕事のトラブルで休暇中に呼び出されたらしいです。仕方なく、前々から行ってみたかった森林公園で散歩しましたよ。自然の中でインスピレーションを得るタイプなんで。知り合いにも会わなかったし、アリバイの証人を失いました」

「そうか」


 クライアントの会社でトラブルにならなければ、菅野にはアリバイがあったことになる。計画的犯行だったとは言い難いが、ふとしたキッカケでということもある。

 腕っ節の方はともかく、内田の話でも暴力的な人物ではないということだった。やはり微妙か。だとしたら、部屋が荒れていた理由は何なのか。容疑者とは別に偶然起きたことなんだろうか。


「他の容疑者について知っていることはないか?」

 深い意味はないのだが、探偵っぽい質問として用意していた。菅野も神妙に頷いているから、正解だったかもしれない。


「警察から仄めかし程度に聞いたことはあります。けども私にとっては赤の他人です。詳しいことは何も知りません」

「そうか。ならもう聞くことはない。世話になった」


「あ、もういいんです? 先にお茶でも用意すればよかったですな」

「いや、構わない。これで失礼する」

 形式的な挨拶の後、俺たちは事務所を後にした。


「水操作で効果範囲は5メートルといったところだ」知実さんがスキルについて補足する。「生成と違って最初は目で見ながら狙いを定める必要がある操作系は、あまり効果範囲が広くても役に立たない。3次元的に座標を特定しなければならないからな。訓練を重ねて、双眼鏡で見ながら操作できるようになった例はある」

「シビアですね」


「性質変化と言っても、菅野の場合たいしたレベルではない。せいぜい塩分濃度をコントロールするくらいだ。扱えるのも1リットルほどだ」

 それだけでも俺に言わせれば魔法なんですけどね。

「じゃ、駅前に戻って昼にしましょうか」

「ああ」

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