第16話 交渉
この章の主な登場人物
ダビ・リン=ロック・イーダー パム=元ヤナプート大統領護衛隊大尉 ガジャ=ヤナプート大統領 ササオカ=アメリカ合州国大統領 タグチ=農務・水産大臣 チン=FBI捜査官 イズミ=大統領秘書官 カワナミ=合州国生物研究所所長 ケイ=合州国生物研究所主任研究員 ガムラ=メカドニア大統領 オグラ=合州国副大統領 ハシム=厚生大臣
一
ケイは、ササオカとダビのやり取りを研究所で聞いた。ロック・イーダーの種がオニヒトデの毒を吸収・養分変換するメカニズムを解明するプロジェクトを組んでいて、実験結果のデーターに目を通している最中だった。突然頭に声が響き、聞きなれたササオカの声を聞いた時には驚いた。(大統領が今誰かと話をしている、しかも何かの交渉中だ。)話の様子でそう察した。データーを見る手を休めて会話に聞き入った。突然頭の中に別の声が届く、それだけで会話の相手が誰かは察しが付く。そしてその内容に驚愕する、ササオカの最大の後ろ盾であるビブロ・バンスキンが『ラプロス』の総統であり、ダビが彼を処刑したと言う。そして人類に過酷とも言える難題を要求して来た事も知った、ダビは3日間の猶予の後に返答を求めて来た。ロック・イーダーの提案に賛同しない場合は、彼らは引き上げると言う。事態が思わぬ方向に展開し、人類が容易ならざる所に追い詰められた事を知らされた。ササオカの反論通り荒れ地や放棄農地を回復するには、現在の技術では長い時間が必要だ、到底3年では間に合わない。研究者としてそれだけは断言出来る。そして土を使わないで食料を得る技術とは、水耕栽培の事を指しているのだろう。水耕栽培で様々な作物を作れるようになった。従来の野菜だけでなく、豆や小麦、米と言った穀物も。唯一芋類だけはまだ作れない。だが現状を言えば先行する野菜を除き、生産設備もなく、量産が可能になるのはまだまだ先の話だ。特に小麦や米などは生育期間が長く、多くの光や養分が必要。従来の畑作に比べ格段にコストがかかる。大統領の方針もあり食料確保の有望な手段として、量産化を目指して工場を建設中のものもある。しかし栽培可能な技術が確立した農産物全てが、量産化に進んでいる訳ではないのだ。特に今まで畑作農法に特化していた小麦や米などの穀物類は、栽培設備の建設に着手すらしていない。畜産にしても『培養肉』言う方法はある、これは肉の細胞を培養して肉片を得ると言う技術。これが実現すれば、家畜を飼う必要がなくなり、飼料栽培で土を搾取する必要もない。最初の試作品は3Dプリンターで肉を成型し作り上げたが、肉がパサつき食味が悪かった。そこで肉片に血管を通して培養したところ柔らかい食味のいい肉を手に入れる所までに漕ぎつけた。だがまだこれも開発段階の技術。実用化には至っていない。結局すぐに利用出来るものは野菜以外に殆どない。それを3年の期限付きで実用化を要求するのは、無体な事だ。ケイがこの事を聞いて先ず頭に浮かんだのが、ササオカが大変な窮地に立っているという事。(彼を助けなければ。)そう思い立った途端サオカに会って、先ずはロック・イーダーの要求の実現には彼らの指定する時間では足りないと事を、忠告しなければと言う気持ちに駆られた。このまま彼らの要求を飲む事は、ササオカをさらに追い詰める事になる。席を立とうとした時、ドアの外からカワナミが、顔を出した。「聞いた?大統領と会う必要があるわ。」カワナミにそう告げる。「ああ、僕もそう思って、君を誘いに来たんだ。」どうやら気持ちは一緒だったみたいだ。「すぐに支度するわ。」そう言って席を立ち上がった時に、{葉を光らせる。}と言うダビの次のメッセージが聞こえた。二人は急いで窓から外を覗く。すると、近くの公園に茂ったロック・イーダーの木が、葉を点滅させていた。その光景は、まるで無数のホタルが木の周囲を飛び回っているみたいだった。この光景は宇宙でも捉えられ、雲が障害になる場所以外の地表では、無数の光が明滅している映像が衛星に撮影され、発信されたデーターが地上の各テレビ局へ届けられた。テレビ局は一斉にその映像を放送し、世界中の人々がロック・イーダーの葉が明滅する光景を、自分の目で確認した。光がはっきり見えたのは夜の側で、昼の側では黒い点が散らばるように見えた。専門家の話だと、太陽の光の粒子と、葉が放射する光がぶつかり合い相殺された為だと推測された。世界中の人々は、今起こっている現象が事実であると認識した。
夜の帳が降りたビブロ邸から、執政府までの沿道に人々が続々と集まり、増え続ける。今起こったドキュメンタリーの一方の主役、ササオカを一目見ようと。人垣が出来た道路をゆっくりと、ササオカを乗せた車が進む。車が近づくと、誰かが拍手した。拍手の渦はササオカの車を取り囲み、どんどん広がって行った。だが人々の表情は、英雄を迎えるそれとは違う。ロック・イーダーから、人類の代表と指名された男への期待と不安、そして興味が入交り複雑な心を反映して、人々に笑顔は見られない。人類代表の一挙手一動を目撃しようと期待する彼らの望みは、偏光ガラスに阻まれて果たせなかった。車中のササオカは、殴られて腫れた顎を冷やしながら、ぐったりとシートに頭をもたれて目を瞑っている疲れ果てた老人だった。痺れるような緊張が解けてくたびれ果てた脳裏では、さっきまでのイート・ロッカーとの会談のシーンの回想が渦巻いていた。会談の聴衆は世界中の人間だ。(あの時程大統領の椅子が重く感じた事は無い・・・。)思わず老人の本音が浮かぶ。彼の横には捜索隊のしんがりに登場した秘書のイズミが、ぴったりと寄り添っていた。車はゆっくりと大統領府へと入って行く、そのゲート近くにカワナミとケイが陣取って、車が近づいたら声をかけようと待ち構えたが警備員に押し戻された。執政府の警備は厳重を極め、ササオカが許可した者以外の面会を全て拒否した模様だ。横で記者会見を希望したマスコミが、警備員と押し問答を繰り返していた。「大統領は、今どなたとも会いません健康上の理由からです。後日記者会見には応じますから、今日はお引き取り下さい。」執政府のメッセンジャーがマイクを片手にそう怒鳴っているのが聞こえた。「今は会えそうにもない、後でタグチさんを通して面会を申請しよう。」カワナミがケイに囁く、ケイも無言で頷く。タグチ他閣僚達は既に大統領府に到着しているはずだ。議会のメンバーも、招集を待って待機しているとの情報をマスコミの連中が囁いていた。疲れ果てたたササオカに休息はなさそうだ。黒塗りの大統領専用車はゆっくりとゲートの中に消えて行く、沿道に佇む住人たちは少しずつその数を減らして行った。
執政府に到着したササオカは、休む間も無く閣議を招集した。頭の中は事態の急変に混乱の極みだったが、事は急を要する。閣議で善後策を検討しなければならない。「皆、事情は承知していると思う、ワーリンソンは本日付けで解任したいと思う。更に私の進退に付いても議題としたい。私と、ビブロ・バンスキンの関係は、周知の事。彼が犯罪者であった事は、全ての人々が知る所、私もその責任を免れないと考える。」ササオカは集まった閣僚たちにそう切り出した。「大統領が辞任された場合、内閣は解散となります。その信を問うのは我々ではなく議会だと考えます。それよりも、大統領が辞任した場合彼らとの交渉をどうなさるお積りですか。今は責任論よりもその方が先決だと考えます。」そう発言したのはタグチ。「その事は考えた。儂が大統領を降りた場合、当然人類代表として交渉に当たるのは副大統領のオグラ君になる。彼らにこの事を伝えて、承認を得る積りだ。」ササオカは自分の考えを披露した。「しかし彼らが納得しなかった場合はどうします。」タグチも素直には引かない。これもササオカの為であると考えるから。「何としても承諾して貰う、そうでなければ交渉が成立しない。」ササオカは、身内からの執拗な突き上げに声を荒らげて答えた。「貴方は責任の重さに耐えかねて、逃げ出すお積りでしょう。貴方は彼らが選んだ人類ただ一人の交渉相手、貴方が降りたら代わりは誰もおりません。それでも逃げ出そうと言うのは、臆病風に吹かれたとしか思えません。」タグチは敢えてササオカの嫌いな言葉を並べた。「儂が臆病者だと言うのか、儂は一度も敵に背中を見せた事はない。それ程言うなら、儂が交渉の矢面に立とう。」怒りを滲ませ、タグチを睨み返してそう表明した。「それでは、お願いします。これは我々全員の総意です、ワーリンソンの件は了承しました。」タグチが涼しい顔で言ってのけた。タグチが横の閣僚に目で合図して賛同を求めると、全員が肯定の仕草を送った。「これで決まった。さて、どうなさるお積りですか交渉は。大統領のお考えをお聞かせ下さい。」真顔に戻ってタグチが聞く。「先ほどの会話で承知だと思うが、彼らの要求は私一存では決められない。指定された期日は3日、明日臨時議会を招集して全員に意見を問う積もりだ。そして翌々日に賛否を問う、それで合州国の意思を一本化する積りだ。しかし未加盟の国々の意見も聞かなければならない、報道官、先ず国民に明日議会を招集しこの問題を集中的に議論し、政府が責任を持って国の方針を決め国民に示す。そう声明を出してくれ。非加盟国には、こちらからメッセージを送って、意見を寄せて欲しいと依頼してくれ。その総意を人類全体の答えとして彼らに伝えたい。」そう締めくくった。「彼らは何者ですか、本当に神の使いだと信じておられますか。決議を取る前に、彼らの目的は何処にあるのか知る必要がありませんか。」そう発言したのは産業大臣。「その通り。彼らの目的が、我々人類を排除して代わりに地球の支配を目的としているなら、断固戦うべきです。」運輸大臣がそれに賛同した。ロック・イーダーについて知識があるのは、ササオカとタグチ以外には閣僚の中にはいない。タグチが立ち上がる。「私が説明しましょう、彼らは今から25年前に遺伝子操作された受精卵から誕生しました。彼らを誕生させたのは、死亡したビブロ・バンスキン。彼らは生まれながらに特殊能力を二つ有していました。一つは無機物から食用可能な有機物を生産する能力、もう一つはテレパシー能力。全部で9体誕生させましたが事故や警察との銃撃戦に巻き込まれ、生き残ったのは男と女1体ずつでした。ビブロ一党は、彼らの食料生産能力を利用しようと企てていた様ですが、およそ18年前に警察の手入れで秘密研究所を壊滅させられ、その時に発生した銃撃戦の混乱の中二人は離れ離れになりながらも、ビブロ一党の手から逃れました。女はヤナプートのある村の司祭の許に、男は行方不明でしたが彼らの存在を知った政府の捜索網に突然顔を現わしました。昨年バンクーバーでの事です。彼が政府機関に接近したのは、はぐれた妹を捜索させるためでした。本人の話では、彼らの種族の繁殖の機会は一生に一度だけで、子孫を残すには期限までに妹を見つけて、交尾しなければならないと言う事でした。捜索の過程で妹が『ラプロス』に捕らえられましたが、何とかヤナプートで再会を果たし交尾を行ったようです。その結果、二人は『変態』を遂げて地下に潜り、現在の姿雌雄同体の樹木の姿で地上に現れたのです。以降の詳細は明日の議会までに、記録を纏めた資料を配布いたします。それをご覧ください。」簡単に彼らの経歴を説明して着席する。「タグチの報告が間違いない事は儂が保証する。」ササオカがそれを援護した。暫く静まり返った閣僚たちは、「にわかには信じられないれないような話ですが、大統領が保証されるのなら間違いないのでしょう。しかし今の説明には、私が質問した『マザー』に関する答えがありません。『マザー』とは、何者ですか。」産業大臣が再び発言。「彼らが言うには全ての生き物の母であり、『授ける者』と言う事です。我々が信じる神とは違う存在だと主張しています。」そう説明して一同を見渡す、どの顔も半信半疑の表情を浮かべている。「疑いは尤もだ、儂やタグチもその存在を確認していない。その意思を彼らから聞かされるだけだ。」そう言い添える。エネルギー担当大臣が、難しい顔をしながら発言を求めて来た。「それでは弱いですな、明日の議会ではこの点を突かれるでしょう。彼いや彼らと言った方がいいのか。兎に角ロック・イーダーと言う存在は、『マザー』という架空の力を借りて人類の代わりに地球の支配を企んでいる。そう言う見方も出来ます。そう見ると、過激な連中は武力による殲滅を訴えて来るでしょう。」そう発言した。彼の鋭い洞察力をササオカも評価していた。「馬鹿な、今回の件は武力で解決出来る種類のものではない。仮に彼らにそうした狙いがあったとしても、彼らに引き上げられて困るのは人間だ。彼らが守ろうとしている野生の命は、毒を食らっても平気なのだから。今彼らに刃向かう事は、全くの損なのだよ。更に企みを隠した虚偽の約束は、テレパシーには通じない。手も足も出ない状態なんだ。」ササオカがそう説明。「しかし、議会の過激派がその説明に納得すると思いますか。彼らは地球の支配権が他の種に移る事に我慢出来ないでしょう、感情論が大衆の支持を得る可能性は高いと思います。そうなれば困った事態に陥りかねません。」心配げな表情を見せた。「その可能性はある。合州国だけではなく、非加盟国からもそうした決議が舞い込む可能性だってある。報道官を通じて各国に儂のメッセージを送った。明日の夕方までにご意見を寄せて下さいとな、明日各国においてもこの問題について議論がなされるだろう。儂は全ての意見を纏めたものを人類の回答としたいと考えている。意見も言えずに決まってしまう事は、フェアではないからな。君の意見と同じ見方をするのは、議会の過激派だけとは限らない。合州国の辺境州や非加盟国に付いても、この提案は死活問題だ。要求を飲む事を阻止するために、強硬論が噴出する事は十分に考えられる。彼らに取って増え続ける人口を養うための食糧増産は、生きるための戦いだから。かと言ってロック・イーダーの援助無しで人類全部に充分な食料を配れる程の能力は何処にもない。完全に安定供給が可能なのは、残念ながらビブロの作った人工タンパクだけ。しかしアレルギーを抱える乳幼児や老人には天然食料が必須だ。」食料を取り巻く国内事情をそうササオカが説明する。その他幾つかの発言が出されたが、討議を続けるうちに、この提案を受け入れる為には、解決しなければならない問題が山積している事を全員が認識した。「兎に角、儂としては提案を受け入れの方向で、プランを進めたい。判断の基準は、これ以上国民を飢えさせる事は出来ないと言う事だ。彼らの協力なしに汚染されていない耕地を手に入れる事は出来ないのだから。食料の量の拡大も重要であるが、今は何より安全な食料を手に入れる事を優先すべきだ。人工タンパクの摂取量が増えて、体に異常を訴える人も少なくない。その後だ、彼らとの覇権を云々議論するのは。この毒さえ消えれば、我々に弱みはなくなる。」ササオカは自分の心の内を披露した。他に反対意見も出ずに、明日の議会対応はササオカに一任するとの了承を得て解散した。執務室に戻って、一人になったササオカは、全部の体力を使い切って、ソファーに身を投げ出した。事態の急変を未だに消化しきれないでいる。(儂は何故ビブロを訪ねたのだろう。訪ねなければ友の裏切りに気づかず、今までと変わらぬ関係でいられただろうに。)フッとそんな考えが脳裏によぎる。しかし、すぐにそんな考えを頭から追い出す。ビブロの罪は、そんな事で見過ごされていいものではない。人類全体を破滅の淵に追い込んだ彼の裏切りは、余りに重い。そして、彼と組していた自分も責任を免れない。「婆さんや、いよいよ駄目かも知れん。約束を果たせなくて済まんな。」天井を見つめながら、ポツリと呟く。まだ元気だった頃の妻に「自分は、先生の意思を継いできっと大統領になる。そうすれば、日本人は先生のお考えが正しかったと評価するだろう。俺に付いて来てくれ。」恩師松本先生の訃報を知った後、妻にそう告げた夜の事を思い出していた。妻は黙って頷いた。あれ以来、ササオカは妻に対して、約束を果たす義務を負っていると感じていた。それは妻が死んだ今も続いている。だがその約束が果たせそうにもない事態となった、現在の地位は自分の力で手に入れたものではない。堂々と選挙を勝って初めて評価される、そう思っていた。日本にいる後援者たちも同じ気持ちのはずだ。しかしスポンサーで筆頭後援者のビブロを失い、ササオカの政治基盤は音を立てて崩れた。そしてビブロが犯した罪の一端は自分にもある、ビブロのいない自分が、どれだけ小さく脆い存在であったかを、ほろ苦く味わっていた。「虎の威を借りた狐だな、まさに。」自分の存在価値に気づくと、自然と乾いた笑いが口から漏れた。どん底の気分を味わっている時に、電話が鳴った。イズミは宿舎に返した。彼も疲れている、だから今ここに居るのはササオカ一人。のろのろと受話器を取る。相手はタグチだった。疲労の極みにあるササオカを呼び出した非礼を詫びながら、どうしてもケイとカワナミが今夜中にお伝えした事があると、面会の仲介を依頼して来たのだと告げた。用件の重要さを感じたササオカは、「分かった、裏口から入って来るがいい。警備には儂から言っておく。」そう答えて彼らの来訪を受け入れた。電話を切ると、すぐ警備に来客の旨を伝え、直接執務室に通すように手配した。「大統領、こんな時間にお訪ねした事をお許しください。緊急にお伝えしなければならないと考えまして。」執務室に顔を出すなり、カワナミが言った。「聞こう。」ササオカが一言答えた。「実はロック・イーダーの森の生物は検査の結果どの生物も、細胞内に有毒成分を含んでいる可能性が高い事が分かりました。そしてその有毒物質を除去する事は、現在の技術では不可能です。ですから、彼らの言っている事は真実です。」カワナミは持ってきた資料を手渡して、そう伝えた。「そうか、矢張りな。彼らが言っている事は正しいと予想していた。これで裏付けが出来た、明日の議会での説得材料になる。」受け取りながらそ感想を漏らした。「それから、ロック・イーダーが指摘していた、土に頼らず食料を作る技術とは、水耕栽培や培養肉の技術かと思われますが、現場としては、一部を除いて3年で実用化の目途を付ける事は難しいと考えます。」カワナミの後ろの立っていたケイが口を開いた。「だろうな。研究の進捗具合は、タグチからも報告を受けている。実現の難しい事柄は正直に現状を打ち明ける事になるだろう。」ケイの報告に対して自身の考えを示す。「大統領は彼らの提案を受け入れる方向で、お考えなのですか。」カワナミが今一番聞きたい質問をする。「部分的には受け入れざろう得ないと言う事だ。彼らを除いて耕地の解毒が出来る技術を、我々は持たない。汚染された畑の土を新しい土に入れ替えるにしても、北半球の陸地に汚染されていない土は存在しない。」遠くを見つめる表情を作ってササオカが呟く。「しかし今後も耕地を拡大しないで国民を養える保証はない。辺境の貧しい州においては、それが死活問題なのだ。生きるか死ぬかのな。」そう言ってじっとカワナミを見つめる。「余計な質問をして申し訳ありません。大統領の方が、我々よりも遥かに厳しい立場で、選択を考えておられる事が良く分かりました。今のお考えを聞きして、私たちは決断は大統領に委ねたいと思います。」ケイと顔を見合わせながら自分たちの意見を伝えた。「お忙しい所、お時間を割いて頂き、お礼を申し上げます。」そう挨拶をして部屋を出る。帰りがけ、「二人は結婚しないのか。」ササオカから背中にそう声をかけられて足を止めた。「え、私たちは未だそんな。」振り返って思わずこう返す。「そうか、儂の勘違いか。失礼した。」そこには、そう言いながら微笑む老人の顔があった。カワナミは背中に汗をかきながら、「失礼します。」再び挨拶を交わす。横目でケイの顔を見ると、頬がほんのりと赤らんでいた。「驚いたわ。」部屋を後にしながらケイが言う。突然の問いに戸惑ったのは、カワナミだけではなかったようだ。髪に半分隠れた耳も少し赤い。(俺は、何時でも待っているぜ。)急に告白したい気分に襲われる。「さあ、帰って更に分析を進めなくてはね。」振り向いてカワナミを見つめるケイの顔には、普段と変わらぬ表情が戻っていた。「ああ、明日の議会までに大統領を援護出来るデーターがもっと揃えなければ。」言いかけた本音を隠して、別の返事をする。ケイとのロマンスはこの危機が過ぎ去るまで訪れそうにない、彼女は仕事に夢中だ。急ぎ足で先を行くケイの背中を見つめながら、そう思う。
二
翌日のササオカは、午前10時に目を覚ます。普段午前6時に起床するササオカに取っては、大変な寝坊だ。午前3時頃まで眠れなかったのだから、無理はない。今日の議会で決断しなければならない事を、考えあぐねていた。最後の決断は一人で下さなければならない地位にある者の宿命だ。事が人類全体に関わる問題だけに慎重になる、考えても考え過ぎる事は無い。「お早うございます、今食事の手配をしました。」いつの間にかイズミの笑顔が目の前にあった。「ああ、有難う。君が来ているのを気付かなかった。」目をこすりながら、気だるい返事を返す。今日のササオカには何時もの迫力がない。イズミには、目の前の人物が年相応の老人に見えた。「午前9時頃、チン捜査官から電話がありました。お休みと答えると、午後にまた連絡するとの事でした。」「そうか、彼はもう仕事に出たのか。」チンも、ササオカ同様に疲れていると思っていたのに。(矢張り若さだな。)そう感じた。「何かニュースは。」ササオカがコーヒーを啜りながら聞く。「昨日のロック・イーダーとの会談に関する記事以外でしたら、ありません。」そう言って朝刊を手渡す。黙って受け取り、新聞を開く。紙面は昨日起きたロック・イーダーの出現。ササオカとの会談模様。そしてこれから開かれる議会での、彼らに対する回答に付いて言及した記事で溢れていた。その中でササオカが注目したのは、衛星から送られて来た、昨夜の地球の写真だった。カラー写真は地球で起きた不思議な現象を捉えていた。黒い山岳地帯や平野部に光点が浮かんでいる。昨夜の発光現象が地球規模で起こった事を改めて確認した。(しかし何故誰も気づいておらん、この奇跡に。ロック・イーダーが全人類にテレパシーで通信した時、誰もが聞き耳を立てて休んでいた訳ではない。今まさに着陸寸前のパイロットや、難しい手術中の医者や高速で車を走らせていたドライバーだっていただろう。そんな状態で通信を受ければ、驚いて操作ミスや手術ミスだって起こしかねない。それなのに、そんなニュースが一つも上がって来ない。どうやったら、こんな完璧な通信が出来るのだ。それ程彼らの技術は卓越しているのか。)それに起因する事故や事件の報道が一つもない新聞を読みながら、イートロッカーの技術の高さに驚嘆していた。「テレビも新聞も、今日の議会の話で持ち切りです。話題の中心は議会と政府がイート・ロッカーの提案に対して、どう結論を出すか。又非加盟国の反応はどうか、その点に絞られています。一部に、ビブロ・バンスキンの悪行に付いての記事も載せていますが、目新しいものはありません。当局が調査中の名目で捜査状況を伏せていますから当然ですが。」イズミがそう注釈をつけた。「テレビはどのチャンネルも同じ特番を組んでいます。歴史が始まって以来、一国の議会がこんなに注目された事は、無いのではないですか。」笑みを浮かべてそう驚きを示す。イズミの言葉で我に返り、「当局の捜査状況はどうだ。ビブロ邸の捜索でアジトの場所は、ほぼ分かったと思うが。」ササオカはもう一つの気がかりを聞いた。早くこの非合法組織の壊滅を完了させ、完全に息の根を止めなければ。残党が再び活動を開始する事を恐れた。「はい、ご指示通り捜査の指揮はマックス長官から、エリス副長官に変更し補佐にチン捜査官を付けました。先ほどのチン捜査官の報告では、ビブロ邸からアジトのリストを入手し、今日にも一斉捜索を行うと聞かされました。ただし国外のアジトに付いては、各国の警察に依頼した模様です。」イズミの報告は満足のいくものだった。「抵抗が予想される所には軍隊の投入を要請していい、そうチンに伝えてくれ。」この強い姿勢がササオカの決意をうかがわせた。ササオカは、捜査の手が組織と結託している政府機関の関係者、更に政治家の摘発に早く向く事を願っている。政府と議会の浄化無しには、これから生まれ変わろうとする国を託せない。これが身を引く政治家の最後の仕事と思っていた。チンから連絡が来たら、それを指示しようと思っている。今日の議会にも不安があった、長い間ビブロの金に侵されていた連中がどんな策略を巡らせているか分からない。ヘッドの指示に従って来ただけの連中だ。大した事は出来ないと思うが、完全に正体が掌握出来ていない現状では一抹の不安を感じる。兎に角今は波風立てずに、議会と政府機関が正常に機能する事を願うしかない。これ以上混乱を引き起こして、重大な決議に支障を来す訳はいかないのだ。「さあ、朝食が出来ました。今日は思いっきり元気をつけなくては。」イズミがメイドから食事を受け取り運んで来た。「ああ、今日は元気を振り絞るぞ。10年分のな。」そう言って笑う。今朝のササオカの態度は柔らかい、こんな大統領をイズミは初めて見る。充分に熟考を重ね議会に挑む覚悟が伺えた。それを見て秘書も覚悟を決める。(どんな結果が待っていようと、最後までこの人に付いて行こう。)立ち昇るスープの湯気が、ササオカの寝ぼけた目を覚まさせてくれた。
議会は午後1時から始まった。議場に集まって来た代議員の表情は、一様に堅い。この議会の成り行きを全世界が注目している事を知っている。普段の倍以上のTVカメラが、代議員の一挙一動を瞬時に世界中に知らせてしまう。代議員の緊張も尋常ではないのだ。冒頭ササオカは、今回の臨時招集に至った経緯を説明。「私とビブロ・バンスキンの関係は、皆様が周知に事実。私が大統領として、また人類の代表としてロック・イーダーとの交渉に臨む資格があるか否か皆様に信を問いたい。異例の申し入れではありますが、猶予期間が迫っていると言う事情を察して戴きたい。」そう結び、反対勢力の機先を制した。「どなたか意見陳述をされる方は。」議長がササオカの提案を受けて、代議員の意見を求めた。本来議会がこのような形で進行する事はない。審議の効率化と審議時間の節約から、事前に質問者の数を決め、さらに質問内容も報告して貰っておくのが普通だ。議長は事前に作成されたリストを順に質問者の名前を読み上げればいいし、質問を受けた答弁者も時間をかけずに答弁が出来る。だが今回は議題の重要さから、ロック・イーダーの問題のみを審議すると言う事で、フリーに質問する時間を設けた。「議長。」発言を求めたのはニュージャージー州選出の議員。「大統領に質問したい。今貴方は大統領の資格云々の発言をされたが、今我々の一番の問題はロック・イーダーに対する事。彼らの提案に対して我々がどう回答するかだ。それを差し置いて、大統領の資格を審議する時間の余裕は我々にはない。それにもしも貴方を外して他の者を代表に指名して、彼らに受け入れられる可能性はあるのですか。」若い議員は真剣な眼差しで、ササオカを睨む。「確かに、その通りです。代理人の交渉も、やって見なければ分からないのが実情です。貴方が言うように私の発言は、この場には不適切なものでした。撤回させて戴きたい。」そう発言した。「では、議案の審議を先に進めてよろしいですか。」議長のその声に、「異議なし。」の声がかかる。これでササオカの資格問題は、差し当たって片が付いた。交渉と言う課題が決着するまでは、棚上げと言う事になるだろう。ササオカが再び立ち上がり、今回のロック・イーダーの提案の内容を簡単に報告。「詳しくは、事前の配布した資料を確認して下さい。」そう結んだ。配布資料には、ロック・イーダーの生い立ち、今日に至る経緯。森の住人の毒性試験の結果報告。解毒は困難であると言う、カワナミの署名の入った見解書も添えられていた。「彼らが主張する『マザー』なる存在は実在するとお考えですか。」早速この質問が飛び出した。議員たちの表情にも真剣に資料に目を通し、重要決議に挑もうとする姿勢が伺える。だがササオカの心は、これから始まる審議の重大さとは裏腹に、別の事を考える思いが併存していた。(これで、真に意見のぶつかり合いに興じる事が出来る。こんなに緊張感を持って挑む議会は、久しぶりだ。)ぞくぞくとした期待感に胸が躍る。最後の舞台となるであろうこの審議に、政治家としての花道を見たのかも知れない。「彼らが言う『マザー』なる存在に付いては確認しておりません、彼らの言葉を通じて耳にするだけです。彼らが言うにはその存在は全ての生き物の母であり、『授ける者』だと言う事。配布資料に記載された通り、我々人類が信じる神とは別の存在だと主張しています。これ以上の詳しい事は不明です。」ササオカは今までに知りえた情報をありのままに伝えた。「と言う事はこれが彼らの創作物と言う可能性もある訳だ。もっと穿った見方をすれば、『マザー』名を借りて我々をペテンにかける。その目的は、地球の支配権を人間から奪い取る事。そういう可能性もある訳ですな。」発言した若い議員は、勝ち誇ったような表情を見せた。「その可能性を否定出来ない。」そうササオカが発言すると、会場全体にざわめきが起こる。「では、それを踏まえて今回の提案にどう回答する積りか、お聞かせ戴きたい。」若い議員は、鋭く畳みかけて来た。ササオカは、この議員の理論展開の鮮やかさに驚嘆していた。彼はきっといい政治家になるだろう、そんな事を思いを持ちながら相手を凝視する。「確かにあなたが主張した疑惑は否定出来ない、だが私は現実的な視点で今回の提案を考察したいと考えます。先ず第一点にこの交渉が決裂した場合の人類のメリット、デメリット。この答えは明白。彼らが引き上げた場合、失った耕地は我々の手に戻りません。現在元畑だった場所の状況は、土壌調査の結果およそ80%の毒は消滅しました。しかし残り20%の毒が残っている現状では安全な作物は育たない。と言うのが生物研究所の結論です、安全と判断するには95%の毒が消滅する事が最低ラインだと言うのが同研究所の見解です。また、土中の残余種子も彼らの言葉通り残っております、この事は配布済みの資料にも記載されています。もう一つ、ロック・イーダーの森に住む生き物の毒性検査では、採取したサンプル全ての生物の細胞から毒が検出されました。これも彼らの主張を裏付けるものです。一方、食料の生産とストックの現状ですが備蓄食糧庫は、ほぼ空の状態。工場生産の人工タンパク、一部野菜は工場の生産ラインの整備により安定供給が可能です。しかし他の食材、特に穀物の不足は深刻です。また病人、乳幼児向けの天然食品、植物由来の医薬品などはオニヒトデの出現以来、慢性的な供給不足に陥っております。唯一食料調達の拠り所にしていた海産物も、有毒化が進行し漁獲量の急激な減少に陥っております。このまま毒の海が広がれば、3年以内に海からの食料調達は絶望的になるでしょう、その時が人類存続の危機の時となります。それを回避するためには、一刻も早い新たな食料の開発、若しくは畑の復活にかかっていると言えます。新たな食料開発も、畑の復活も『解毒』と言うキーワードをクリアーにしない限り先に進めないのが現状です、正に八方ふさがり。地球の食卓から、人類だけが疎外された状態と言っても過言ではありません。この現実を見れば答えは明白、我々に選択の余地がない事が理解出来るでしょう。彼らの目的がどうであろうと、ロック・イーダーの協力を得て毒の消去を進めなければ明日はないのです、その問題がクリアー出来て初めて彼らと対等に交渉出来ると考えます。ここで、私は提案します、現時点では彼らの提案を部分的に受け入れます。部分的にとは、人類は彼らの森には立ち入らない。耕地面積については約束は出来ないが、現状維持の努力をする。工場生産の食料を拡大する。そして耕地面積拡大禁止の提案に対する要求は、解毒完了後の継続課題とする。工場生産技術を他の作物に転用するのには時間がかかる、と言う理由からです。貴方のおっしゃる覇権云々の話は今回の話題から分離して考えたい。と言うのが私の考えです。」ササオカが提案を終えた後も、議場は静まり返っていた。「今の提案に何か質問のある方は、合図願います。」静かになった会場に向かって議長がそう宣言する。一人の議員が立ち上がる。アフリカ選出の議員、合州国の辺境に位置した山岳と砂漠の州の代表で耕地面積は大きくない。この州は人口の増加で慢性的な食糧不足に陥っていた。僅かな畑がオニヒトデに乗っ取られ、政府の配給で凌いでいる。「今大統領おっしゃった提案は、確実に実行されるのでしょうか。ご存じの様に我が州は深刻な食糧難に悩んでいます。州民はすぐにでも畑を耕して作物を作りたいと切に願っています。そんな中で起きた耕地の浄化の話を、州民は両手を上げて歓迎しました。この点ではロック・イーダーに心から感謝しています。しかしこれ以上畑を増やすなと言う要求は、到底飲めるものではありません。それは州民に飢え死にを強要するのと同じだからです、私はこの場で政府に約束して戴きたい。彼らの耕地拡大禁止の要求は断ると。州民はこの理不尽な要求には断固戦うと申しております。今我が州の軍隊が、州内にあるロック・イーダーの林に集結してこの議会の成り行きを見守っております。もしも、政府がロック・イーダーの提案に全面的に賛同した場合は、武力を持って抗議する積りです。是非確約戴きたい、耕地の拡大禁止要求は断固拒否すると。我々と同じ悩みを持つ州は他にもあるはずです、我々はそれらの州にも呼び掛けて共同行動を考えております。」そう言い切ってササオカを見つめた。後ろから数人の議員が起立して、彼の意見に賛同の意を示した。彼らも自然との境界線に位置する貧しい州の代表たちだった。最終的に起立した人数は、議員の三分の一に達した。事態はササオカが危惧した通りの展開になった。罪人とは言えロック・イーダーは5人の人間を殺害した、加害者が人間である場合は問題にならないが人間でなかった場合、(例えば人が獣に殺された場合)加害者の獣は草の根をかき分けても探し出して排除される。今回の事態も今まで通りに処理されるべきと考える者も当然出る。特に戦う敵がいなくなり、存続のの危機を感じている軍隊なぞは千差一隅の機会と張り切る。それだけではない、人間が人間以外に殺害されたショックは、穏健な人々の心も揺すぶる。殺人の罪は法に従って処理されるべきと、大半の民衆がそんな本音を持っているはずだ。しかし相手は人間を凌駕する力を持つ存在、だから警戒心を持って事態の成り行きを見守っているのが本音だろう。それはここに詰める多数の代議員も同じ。その感情が評決にどう影響するかは、全く読めない。「貴方達の深刻な事情はよく理解している。しかし、性急な行動は慎んで戴きたい。我々人類に取り耕地の解毒は、最優先に完了せねばならない課題です。今彼らを武力で威嚇する事は、事態をマイナスに作用しても、プラスにはならないと考えます。我々は冷静さを失ってはなりません、貴方たちの州には政府も食料の重点分配を行い精一杯努力して来たはずです。」そう言って立ち上がった面々を見回した。「我々には戦う力がある、それを彼らに見せつけろ。」そんなヤジが後方から上がった。「そうだ、政府は弱腰だ。」次々と賛同の声が議場にこだまして、全体を包み込んだ。「静粛に。」議長が机を叩きながら訴える声が、ヤジにかき消される。「一時休会します。」収まらぬヤジに議長がそう宣言した。「すぐ採決しろ、拒否の決議を。」数人の代議員が議長の声に反応して、叫びながら議長席に詰め寄る。警備員がそれを阻止して、代議員と小競り合いがあったが休会となった。
三
休憩を15分挟んで、議会は再開された。「只今より審議を再開します。」議長が宣誓する。休憩の間に様々な動きがあった。政府はロック・イーダーの威嚇の為に集結している各州の軍司令に、州兵の集結を禁止する命令を直接伝えて。現状復帰に躍起になった、だがササオカの許に寄せられる報告は、事態が思うように収束していない事を示した。軍事行動に出た州の当局者は、休暇中の兵士たちが自由意思で集結した事を強調。軍の勤務外と言う理由で、解散命令を発する事を拒否した。それに対しササオカは、休暇であるならば武器を装着するなと応酬。すると、彼らは武器は点検の為に持ち出した。これが州軍の伝統であると言い出す始末、一歩も後に引かない姿勢を取っている。こうして手詰まりの状況で、審議の時間を迎えた。苦虫を噛み潰した表情で席に着く。「全くとんだ馬鹿者たちだ、武力で何でも解決出来ると思っておる。」思わず横に座るタグチに愚痴をこぼす。「大統領、まだ勝負はこれから。彼らも、本気で武力を行使しようと思っている訳ではありますまい。自分たちの利益は計算出来るはずです、どちらが得かを。演説で証明しましょう、まだ発言していない議員の大部分は政府の見解に肯定的な意見を持っています。」そうなだめた。「では、先ほどの質問の審議を再開します。」議長がそう宣言した矢先であった。{人間たちよ、今すぐ我々への攻撃を止めよ。もしも攻撃を続けるならば重大な裏切り行為として、我々は人類への一切の協力を拒否して引き上げる。}議場の人間全ての動きが一瞬凍り付く、ロック・イーダーからのメッセージは前回と同様に突然全員の頭の中に響いた。「どう言う事か。」一瞬早く硬直から覚めたササオカが、天井を見上げて叫ぶ。{我々が受けている迫害を見せよう。}そう言うなり頭の中に一つの映像が浮かんで来た、目の前に火の海に包まれたロック・イーダーの林が浮ぶ。火は今にも根元に到達しそうな勢いで迫っている、周囲の黒焦げた草地には白い煙が立ち上る。白煙の帯は着実に林の中心に迫っている。多分イート・ロッカーから見たアングルの映像だろう、遠くに黒焦げた草地がありそのさらに向こうに、褐色の肌をした集団が炎の行方を追っている。彼らの服装は軍隊の迷彩服だ。白煙を上げながら、赤い舌が目前で立ち上がり襲い掛かる準備をしていた。「場所は、何処だ。」再びササオカが叫ぶ。{アフリカ南西部の我々の子供のコロニーだ、明らかに人間による故意の仕業。}最後の言葉に非難が込められていた。「すぐにも軍隊を消火活動に当たらせる。」そう言って指示をしようとした。「大統領、この地域は多分メカドニアの領内です。」横からタグチが進言。「メカドニア?すると非加盟国か、向こうの大統領に連絡を取ろう。手配してくれ。」そう指示する。「今向こうの大統領と連絡を取る。残念だが、合州国以外の地域は儂の権限が及ばない。」そう説明する。{それは分かっている、だが私は貴方を人類代表に指名した。人類に関わる事柄は全て貴方に伝える、今回の事は明らかに我々への敵対行為だ。もしも子供たちが焼かれる事態が起きれば、その償いはしてもらう。}そう言って一方的に連絡を絶った。「メカドニア大統領と通信が繋がりました。」報道官が連絡して来た。「ここに繋いでくれ、議場にいる全てが通話の内容が聞けるようにしてくれ。」ササオカは敢えてそう指示した。どうせ今回の出来事は、世界中の人間が知っている。秘密にする事は無意味だ。それならば、通話を公開して民衆の審判を仰ぐ方がいいと考えた。「ササオカだ、ガムラ大統領。連絡の意味は既にご存じだろう。」相手が頷くのを待って、「すぐに軍隊に指示して、消火活動を開始して欲しい。我々は困った事態に直面した。」そう訴えた。相手は、ニッと笑って「こんなコケ脅しに脅えるとは弱腰ですな。合州国は腰抜けの集まりですか、我々が皆さんの目を覚まして上げましょう。相手は、我々人類をペテンにかけて、地球の支配権を狙う盗人共ですぞ。植物がテレパシーを使って我々に話しかけて来るなぞ、本気で信じているのですか。そんなおとぎ話に私は騙されない。手段は不明だがきっと陰で糸引く人間がいて、そいつらが仕組んだ罠だと言う事。これが今回の事件の真相ですよ。私は奴らに人間は騙されないと宣言する積りです、人間は馬鹿者ではないと。そして、人間の強さを思い知らせましょう。確かに連中、犯人は複数と考えてますから。はオニヒトデの毒を解毒する技術を持っている、連中はその弱みに付け込んで地球の乗っ取りを企んだ。皆さん、罠に騙されてはいけませんぞ。今そちらで奴らの提案を受け入れる決議を出せば、奴らの思うつぼ。何せ地球の過半数以上の人間が賛成した事になる訳で、人類に取って非常にまずい結果を招きかねない。私は決議が出る前に貴方方の目を覚まさせようと決意し、行動に出ました。これにより僅かな期間畑の解毒が遅れて苦しむかも知れませんが、それでも人間はそれを克服します。それよりも、地上の支配種族としての誇りを失いたくないものです。我が国民はそれに耐えて、勝利を勝ち取る勇気を持っています。是非皆さんも我々と共に戦いましょう。」メカドニア大統領はそう演説した。彼も自分の話がTVを通じて世界中に流れて行く事を計算していた、ササオカの計画がまんまと利用されたようだ。突然議場から拍手が起こった。「ガムラ大統領の言う通り、我々は非常に感銘を受けました。大統領、是非彼らと共に戦いましょう。私は議会にそう提案します、議案提出に必要な人数分の代議員の連名で。」先ほど質問に立ち上がった、辺境地域の代議員数人が立ち上がり、議案提出する為の協力を他の代議員団に呼び掛ける。ササオカはその動きを無視して、メカドニア大領との会談を続ける。「大統領、貴方は間違っている。ロック・イーダーの事に付いては私が良く知っている、彼らはおとぎ話でも何でもない。現実に存在するのだ、早く手を打たないと重大な結果をもたらす。」そう警告した。だがスクリーンに映る褐色の顔は鼻でせせら笑って、警告を無視した。「会談は、これまでですな、貴方には人類を思う私の気持ちが通じないようだ。残念です。」そう言い残してスクリーンは暗くなった。その直後頭の中に再び映像が浮び、ダビのメッセージが流れた。映像はロック・イーダーの木が燃え盛る炎に飲み込まれ、黒煙を上げる姿が流れた。{子供たちに火が移った、これで人類は重大な償いを払う事になるだろう。だがそれは、お前たち人間が引き起こした事だ。}メッセージはそこで切れ、映像だけが残った。ロック・イーダーの林は次々と炎に覆われ、炎は8mある木の高さまで成長していた。炎に焼かれた木々から黒煙が高々と湧き上がる。炎の熱で空気が動き風が吹いた、風は舞い上がった黒煙に渦を作り、黒煙は離れた地点に移動して地上に吹き下りた。映像は執拗に吹き降りた黒煙の行方を追う。黒煙の先が炎を遠巻きに見守っていた兵士の所に到達した、その時群衆に異変が起きた。煙に巻かれた兵士たちが一斉に喉を押さえて倒れ込んだ、倒れた兵士は地面でのたうちながら口から泡を吹いて動かなくなった。異変の輪は集団全部に拡がった。煙が去った後に、立っている兵士は一人もいなかった。空中に滞留する大量の黒煙は上昇して、空に戻り雲となって少しずつ横に移動して行った。この先何処に進むのは不明だ。{これは当然の結果だ。子供たちの体には、土から吸い取ったオニヒトデの毒がたっぷりと貯蔵されていた。それが焼かれて煙になった。それを人間が吸ったのだ。こういう結果は予測出来たはずだ、死の黒煙は風に乗って西へ進んだ。通り道に当たる都市は警戒せよ、毒雲は雨に溶けて地上に降り落ち切るまで、地球を巡るだろう。毒の雨は土も水も汚す。人間よ愚かな行為は自分の首を絞める事になる事を思い知れ、子供たちの命をよりも多くの命で償う事になったのだ。これは誰にも止められない、我々は地上を去る事にする。後は己の力で生き延びるがいい、この地球上で毒に耐性がないのは人間だけだ。他の生き物は我々が去っても生き残るだろう。『マザー』の望みは叶えられた。}そこで通話が途切れた。「待ってくれ、あれは我々の総意ではない。」ササオカがそう叫んだが、返事は来なかった。「すぐにメカドニアに救援を送れ、医師も必要だ。」ササオカが厚生大臣ハシムに命令する。「大統領、オニヒトデの毒を中和する解毒剤は開発されておりません。派遣する医師にも危険が及びます。」そう説得した。その会話はTVのマイクに取られていた。議場のスクリーンにはササオカとハシムが大写しになっていた。救援の対策に夢中でその事に気が回らなかった。「自分で招いた種だ、放っておけばいい。」その言葉は、ササオカの発言を非難するような口調で放たれた。立ち上がっているのは、オハイオ選出の議員。横に座るEU各州選出の議員たちも頷く。「それは違う、人間にはいかなる時も人命を救う義務がある。これが合州国の母体であるアメリカの良心だったはずじゃ、我々もその精神を引き継いでおる。」ササオカは断固とした口調で、言い切った。そして「何か策はないのか。」振り向いてハシムに問う。「雲が立ち去った地域の、軽症の中毒患者の保護と雲の侵入コースに当たる地域の、住民の避難の援助は可能です。ですが、万一に備えて全員に防護服と防毒マスクの着用を勧めます。」そう進言した。ササオカは頷いて「すぐに手配してくれ。」と指示する。「大統領助けて下さい。我が州はメカドニアの西に位置しています。コースを考えれば、メカドニアの次は我が州の上空を通過するはずです。」そう叫んだのは、強硬に武力行使発言を繰り返していた辺境州の代表だった。「気象衛星に、雲の行方を追わせろ。」ササオカは情報通信大臣に指示。危険地帯を予測して、事前の避難に活かす積りだ。「手配しました。」そう報告が届く。「これ以上、審議を続ける必要がありますか。」議長がササオカに尋ねた。今が本会議中である事を思い出す。「皆さん、お聞きのようにロック・イーダーは交渉の打ち切りを通告して来ました。これは人類の不誠実が原因であります、これ以上の審議が必要か否かを議長が尋ねておられます、私としましては・・・、」そこに、タグチが紙片を持って近づいて来て開いて見せた。それを見たササオカの表情が変わる。「皆さん、緊急の連絡が届いたので、お知らせします。ロック・イーダーが消滅を始めたと言う事です、窓からニューワシントン公園をご覧下さい。」そう言って議場のブラインドを一斉に開けさせた。そこに映る光景に人々は釘付けになった。その表情は一様に驚愕し、固まっていた。公園に立つロック・イーダーの木が崩れ始めたのだ、枝先から。まるで砂で作った砂絵のように微小な粒となって音もなくサラサラと。その粒を風が吹き消して行く、議場の全員がロック・イーダーの最後の一本が消えるまで身動き一つせず見つめていた。そして何処からともなく、大きなため息が漏れた。「大統領、合州国各地からロック・イーダーが消滅したとの連絡が届いています。」広報官がそう報告して来た。「皆さん席に戻って下さい。」議長がそう促す。全員が着席するのを待って、ササオカが立つ。「今御覧の光景は、恐らく全世界で繰り広げられているでしょう。合州国各地から、ロック・イーダーの消滅を知らせる報告が、私の許に続々と届けられて来ています。彼らは我々への援助から、手を引いたようです完全に。これからは、我々だけでオニヒトデと戦わなければなりません。彼らの話では、まだ土中には無数の種が眠っているようです。我々は覚悟をしなければならない。もう彼らの援助を当てに出来ない事を。長く苦しい戦いになるでしょうが、力を合わせてこの危機を乗り越えない限り、子供たちに明日を届ける事は出来ません。我々の持てる力を振り絞ってこの苦境に立ち向かいましょう。」先の見えない未来を見据えながら、ササオカはそう締めくくった。「我々は何をすればいい。」代議員の一人が立ちあがって、そう質問した。「先ず民衆が不安を抱かないように配慮しなくてはなりません、その為に政府は食料の安定供給を死に物狂いで取り組みます。貴方方は供給された食料が、公平に分配されるか確認して下さい。正直に申し上げる。今政府の食料備蓄は底を尽いている。しかも残っている食料の80%は人工タンパク、今まで国民のパニックを予測して伏せていましたが今ある備蓄量は3か月分でギリギリと言う事です。皆さんにお願いしたい、各州の備蓄食料を提供して戴きたい。現状では食料の各州の保有量の偏りが、内戦を招きかねない。貴重な食料は、政府の手で公正に再分配されなければならないと考えます。これが第二のお願いです。差し当たりこの二つの実行をお願いします。」誰もササオカの提案に反対しなかった。
四
ダビは今、子供達の声が一つずつ消えて行くのを確認していた。ダビが発した指令で消滅を開始したのだ。人間に分かりやすく説明するため子供と表現したが、彼らは真の意味での子供ではない。彼らはダビとリンが作り上げたクローン。ロック・イーダーのまだ知られていない能力、それがこのクローン産生能力。己の意思で必要な能力を備えた分身を作る事が出来る。クローンの能力は世代交代を繰り返して完成される、ダビはこの能力を駆使して地上のオニヒトデの一掃を計画した。それは世代交代を5回繰り返して達成された、彼らは自分の意思を持たい。ダビとリンが全ての子供たちの行動を律して指令を出していた、言葉を変えれば子供達を独自の手段で遠隔操作していたのだ。人間社会に移植させた第五世代は毒を餌として急速に成長するが、代わりに子供を産む力は弱い。彼らの本能は食う事、そして成長する事。二人の間の子供と呼べるのは最初の子だけ。後は全てクローンだった、今クローンたちはダビの指示で次々と消滅を開始している。恐らく明日には全てのクローンが消滅するだろう、残りはこの森だけになるはずだ。だがそれも長くは持つまいと感じていた、自分たちの役目が終わった時に自らも消滅を開始する運命である事を知っていた。その時にはこの森に残るロック・イーダーは、最初の子供だけになる。しかしその子は重大な障害を持っていた、ハリケーンによって一度倒された子は、再び別の所から芽を出して成長した。しかしすっかり成木となった今になっても意思を示さない、『親』に話しかけないのだ。何度となく話しかけているが、返事が返って来た事は一度もない。ハリケーンの痛手が思考に障害を持ったロック・イーダーに変えてしまったのだ。『親』はこの子の事を思うと胸が締め付けられる、思考を持たぬロック・イーダーは繁殖出来ない。時期を過ぎても繁殖出来ないロック・イーダーは、消滅するしかないからだ。ロック・イーダーと言う種は、この子を最後に地上から消滅するだろう。『親』は我が子を見つめながらそう諦めていた。{この子は何の為に生まれて来たのかしら。}リンはもの言わぬ我が子を見つめてそう呟く。{この子が生き返ったのは『マザー』の意思、きっと何かの意味があるはずだ。そう信じよう。}その度にダビが慰める。自分たちの寿命が長くない事を悟ってから、この子の事が唯一の気がかりとなった。果たして『親』が居なくなっても、無事生きて行けるのだろうか。繁殖も出来ない子だが、せめて許された時間は精一杯生きて欲しいと思うのだ。{パムを、このままここに置いておけないわ。}自分たちの終焉を感じたリンが、残されるパムにも心を砕くのは当然の事だった。パムはリンを慕ってここに住みついたのだから、{俺から告げよう。}ダビがそう申し出て、パムを呼ぶ。「神様、何か御用ですか。」呼びかけに応じ、若者は機敏に近づいて来た。{パム、我々と人間のやり取りは知っているな。会話をお前にも聞こえるようにしていた。}先ずそう尋ねる。「はい、悲しい事です。もう人類は、神様に許して貰う事は出来ないのでしょうか。」悲し気な表情を浮かべて若者が聞く。{お前の思いは分かるが、もう手遅れなのだよ。私たちは引き上げるプログラムのスイッチを押してしまった、一度開始されればもう止める事は出来ない。}ダビにはパムの考えている事が、手に取るように分かっていた。何とかイート・ロッカーの消滅を止めるよう、ガジャから依頼を受けたのだ。そして、ガジャの言動もササオカから強い要望を受けての事だろう。パムはまだ通信機を所持していた、別にその事を咎める事はないがパムはその事に遠慮がある様子だ。ダビの答えを聞いたパムは、落胆のため息をついた。{これは、人間が選んだ道。後は己の力で切り開くだろう、しかしお前は大丈夫だ。例え人類に一粒の麦が無くなっても、お前は森の幸を食べて生きて行ける。多分もう大丈夫だろう、お前は私たちが与えた種を飲み込んで解毒しながら森の幸を食べて来た。種は二日ごとに排泄されるが、毒は微量だが消化されて体内に取り込まれる。その成分はお前の体を森の住民と同化させるもの、つまり森の住人同様に毒に対し耐性を作る作用があったのだ。ここに来てから凡そ3か月、既にお前の体には毒に対する免疫が完成されているはずだ。根元に落ちている種を飲み込むがいい。この種は完全に消化されて、排泄されない。これで免疫は完璧になる。私たちがお前にしてやれる事は、これで全てだ。お前は何処に行っても生きて行ける、さあ飲め。}ダビはパムに飲む事を促す。パムは言われた通り、木の根元に転がる豆粒大の黒い種を摘まみ上げて飲み込んだ。「神様、まだ私に言う事があるはずです。」上を見上げてそう聞く。ダビの言い回しに、何か含むところを感じたのだ。{その通り、まだ打ち明けなければならない事がある。実は我々の消滅の時期が近いのだ、もうお前に手伝ってもらう事は無くなった。お前は本当に尽くしてくれた、さっきの種はせめてもの礼だ。}ダビは諭すように優しく話しかけた。見上げるパムの瞳に見る見る涙が溢れて来た。「そんな、信じられません。貴方がいなくなるなんて、私はまだ少しもお役に立っていません。どうか一緒に連れて行って下さい。」嗚咽を堪えながら口から漏れる悲痛な声がそう懇願した。{それは出来ない、若い命を捨てる行為を決して望まない。}そうきっぱり断った。「でも。」そう言いながら上を見つめるパムの額に、白いものが舞い降りた。砂粒大の細かな粒は、風の乗ってフワフワと舞い降りて来る。{とうとう始まったわ、パムお別れの時が来たわ。貴方は生きて。悲しい過去を埋め尽くす位人生を楽しんで頂戴。これは心からの願いなの、人間たちにはこれから厳しい未来が待っているだろうけれど貴方には幸せになって欲しいの。自ら命を捨てるような事はしないと約束して頂戴。}リンは最後の言葉に力を込めた。「そんな事、急に約束出来ません。」下で泣きじゃくりながら、涙声のパムが叫んでいた。変化は枝先から始まった、表皮が急速に硬化してひび割れが生じ、ひび割れた部分を風がはぎ取って行く。風に揺れる度に小枝が消失して行った、周囲の子供たちにも同じ変化が起きていた。『親』と一緒に消滅を開始したのだ、パムはその光景をなす術もなく見つめている。森の中は、視界を遮る程夥しい量のロック・イーダーの粉雪が舞い降りる。{呼びかけたけれど、やっぱり駄目。あの子と話は通じないわ。}リンの悲しみが伝わって来る。{いや、あれも消滅を開始した。クローンだったんだ。}ダビは子供に起きた変化を見逃さなかった。{俺たちはとんだ勘違いをしていたらしい。あの子の無事を願うあまり、無意識にクローンを育ててしまった。矢張りあの子は駄目だったんだ、あのハリケーンの日に。}落胆の感情をリンに送っていた。返って来るのは、深い悲しみの波長。肉体を持っていれば、悲しみで打ち震える姿が見えただろう。{そんな、信じられないわ。}リンは悲しみの極にあった。悲しみの大波がダビを襲う。{落ち着け、これからあの子に会えるのだから。これから俺たちはあの子の許に行くのだ。}死に赴く二つの魂は、その事を語り合った。{そうねあの子に会えたら、うんと甘えさせなくては。一人で逝ってしまったんですもの。}落ち着きを取り戻したリンが言う。{ああ、思いっきり甘えさせよう。}ダビが相槌を入れる。変化が本体にまで及んでいる事を知る。半分繋がっていた二人の本体は、完全に分離した。もう相手の感情が流れ込んで来る事はなくなった、これからは会話でコミュニケーションを取らなくてはならない。突然下から引っ張られる感覚が来た。この感覚は一度経験がある、そう人間から今の姿に変態する時に経験した、あの『導き』の感覚だ。二人の本体はその力に従って、ゆっくりと降りて行く。{ねえ、私たちの存在って何だったのかしら。生まれた事に意味があったの。}突然リンがそんな質問をして来た。{ああ、『マザー』の希望通りオニヒトデを退治して、生き物たちを再生した。}ダビは即答した。{でも、完全じゃあなかったわ。人間の反抗もあったけれど、途中で投げ出してしまった。オニヒトデも完全に除去出来た訳じゃない。動植物たちも耐性は持っているけれど、強い毒を直接受けたら耐えられるかどうか分からない。その時にはクローンに働いてもらわなくちゃならないのに、全部消滅してしまった。結局一つも成功したものが無いわ。}ダビはその質問に暫し沈黙した。{いや、毒は俺たちが去った後も消え続ける。だから動植物たちは心配ない、人間たちは自力で解決して貰うしかない。『マザー』もそう望んでいる、君も知っているだろう?}そう答えた。{そうね、でも少し人間が可哀そうに思ってしまう。パムが言う通り悪い人間ばかりじゃあなかったから。}リンは残して来た村の人々の事を考えていた。{それは仕方がない、最終的には畑の毒は抜けて、作物の栽培が出来る位には復活する。但しオニヒトデに起因する被害の回復には支援するが、温暖化の影響は続く、ペースは落ちたが植物が減り続ける事には変わりはない。人間自ら招いた災いは自力で解決するしかない、苦難を乗り越え生き抜く事を祈ろう。}リンの心の痛みを感じてそう慰める。{そうね信じて祈るしかないわね、今となっては・・・・。}少し間を置いてリンが再び聞く。{で私たちは何処へ行くのかしら、天国ではなさそうね。地獄かしら、『マザー』の言いつけに従わなかったわけだから。}リンは、パムへのプレゼントの事を言っている。{ははは、天国や地獄なんて、人間の思考が感染してしまったのかい。俺たちにはそんな世界はないだろう、でも後悔しているのかい。}ダビはそう言いながら、チラッと『マザー』の事を考える。人間が地下のガラパゴスと呼ぶ地中の菌世界、ルカのいる深部ガラパゴスからおよそ20~30億年前にこの世界に進出した雑多な菌の末裔は、深部から熱水が絶えず吹き出し冷たい地下水源と交わり水流を作る絶好の水中空間に、コロニーを作り発達させ王国を完成させた。無数のチムニー(地底や海底の熱水噴出口の回りに、微生物が築く塔。)が樹木のように立ち上がり、背の高い森を作り、チムニー同士は薄いシリカの膜で繋がり、その内部をフィラメントの菌糸が走り、チムニー同士のネットワークを完成させる。菌糸の内部には電気が走り栄養物質も通る。チムニーの表面に棲む発光性微生物が、王国全体を柔らかな緑色の光で包み、森全体を貫くフィラメントの菌糸の中を走る電流が、白くきらめき、ここに確かな命の光がある事を示す・・・。ネットワークは長い進化の過程で意思を持った、この存在が『命の木』。その意思である『マザー』は独立して地球上部に進出して行った子孫たちに、生物圏のメンテナンスを指示して来た。生物界で起きるあらゆる情報は、子供たちのネットワークを通して『マザー』の許に届けられる。『マザー』の目的はただ一つ。己の子孫から進化して行った様々な生き物たちが、生存出来る環境を維持する事。ダビはここに『マザー』の大きな愛を感じていた。{そうね、長く人間界で暮らしたせいね。でも後悔はしていない、もしも貴方が断っても私が独断でしていたわ。}リンは即座に返答した。落ちていく速度が速くなった。二人は輝く球体となって根の管を降りて行く。{最後に望みがあるわ、今度生まれて来る時は二人別々に生まれて来たいわ。今度は人間のように貴方と愛し合う暮らしがしてみたいの。}触れ合う程狭い管の中を通りながらリンが言う。{けど二度と巡り合えなくなる可能性だってある、俺はこの温くもりにもずっと触れていたい。}接触面から伝わる温もりの安堵感を感じながら、ダビが答える。{フフフそれもいいわね・・・・、じゃあ絶対に分離出来ない位に溶け合いましょう。}一つなら何処を巡っても離れる事はない。ダビとリンの本体がさらに強く光った、二つの球は、密着し激しく回転し輝きを増す。{フフフ。}リンから笑い声が漏れた。{ハハハ。}釣られてダビも笑う。二つの球が笑いながら闇を落ちて行く。
パムは、消滅して行くロック・イーダーたちを呆然と見つめていた。『親』が消滅するまで一時間程かかった。その間白い粒が粉雪のように舞い降り、顔に降りかかるのも気にもせずに、その場に立ち尽くしていた。『親』の崩落を目の当たりにして、今日まで自分を支えて来た気持ちが崩れて行くのを感じていた。パムに動きが見られたのは、『親』が完全に消滅を果たした後だった。白粉が名残雪のようにゆらゆらと地表に舞い降りる風景を、首を巡らし見回した。周囲に、ついさっきまで鬱蒼と葉を茂らせていた紫色の樹木は影も形も消え失せ、疎らに生える在来種の若木だけが以前のままその場に佇んでいる。足元を覆うように生えていた草本もそのままだった、残ったのはそれだけ。太陽を覆い尽くすように茂っていた肉厚の葉もなく、森は疎林の草原へと姿を変えた。草の上に積もった白い粉を、突然吹いて来た風が何処かに運び去る。明日には、ここがロック・イーダーの森だった痕跡は、完全に消し去られるだろう。パムはガックリと膝を付き、地面の顔を埋めて泣いた。誰はばかる事無く大声で、彼に取ってロック・イーダーは生きる目的だった。パムがこれ程までにロック・イーダーの奉仕に執着するのは、誰にも話していない訳がある。砂の谷でリンの説得に心が動いた父アシビは、息子に言った。「パム、父さんが間違っていた。お前はあの神様に付いて行け。」砂の山の頂上で叫んでいる人影を指さしてそう言った。「いやだ、父さんと離れたくない。」パムは父の胸にしがみついた。父はパムを引き離し、目を合わせて言った。「いいかパム、お前が神様の役に立つ事は母さんやヨシア、爺さんや婆さん、姉さんたちの為になる事なんだ。お前が役に立つ仕事をする程、死んだ皆は天国で幸せに暮らせるんだ。父さんはもう体が動かない、それが出来るのはお前だけなんだ。だから一人で寂しいだろうが、皆の為に頑張ってくれ。お前は男だ、もしも神様に仕事が無かったら、ガジャさんの所に行け。あの人は世の中を良くしようと頑張っている、その人の手伝いをする事は世の中の為になる。父さんは、お前がそう言う仕事をする人間になってくれたら嬉しい。」そう語って、両肩を強く握った。父の顔から先程までに笑顔が消え、両目からあふれ出る涙が足元の砂に丸い染みを作った。パムはその父の言葉を信じて砂の山を登った。父の代わりに家族の助けになろうと。だから神様と再会を果たした時、迷わず森に住む事を決心した。パムに取ってリンに仕える事がそれ程重要な意味があった、それが亡き父がパムを生かすためについた哀しい嘘であると考えていない。成長するに連れ、この言葉に疑問が生まれなかった訳ではない。だが大好きな父の言葉を疑いたくなかった、頑なに信じて生きて来た。人間界と縁を切りロック・イーダーに奉仕して今日まで来たのも、その思いが作用したからだった。地面に積もったロック・イーダーの亡骸が、パムの目や口に入る。だがそんな事を気にする気力すら失せていた。もしもそれで窒息しても良かった、全てがどうでもいいと思えた。「神様は、私を置き去りにして去ってしまった。後を追う事を禁じて、私はどう生きて行けば良いのですか。教えて下さい。」腹ばいになりながら、地面に顔を埋めて叫んだ。両手に神の名残を握り締めながら、その粉は握った手からサラサラと零れ落ちる。再び地面を掴む、その時何か固い物を握った。握った手を開くと、掌に黒い種が乗っていた。見覚えのあるの種だ、今まで見た事が無い程大きい。それは子供の握りこぶし程もある、粉を払い種を目の前に持ち上げた時に声がした。頭の中に直接話しかけて来る。それは消滅したはずのダビの声、{パム、これを見つける頃私たちはこの場にいないだろう。この種はお前に預ける為にここに置いた、これは私とリンが作った最後の種。この種を私たちの最初の子が立っていた位置に植えて欲しい。もしも運が良ければ、この種は意思を持った木に育ち再びロック・イーダーの森を作るかも知れない。この子を生かすか、殺すかは『マザー』の意思次第。私たちは最後を迎えるに当たり、何か地上に残しておきたい欲望に駆られた。そしてその答えがこの種だった、これは『マザー』の意思に背く事になりかねない大変な事だったが私たちは敢えてそれをする事にした。もしも無事に生まれて来る事が出来て、意思を持つようになったらこの子を教育して欲しい。多分赤ん坊と同じ無垢な心で誕生するはずのこの子には、教育が必要だ。それを頼めるのは、君しかいない。無垢な心に人間と自然、どちらの側を応援すべきかを教えるのは君の意思に任せる。それによって生じる事の全ての責任は、私たち二人が負う積もりだ。どうかこの子に明るい太陽を見せてやって欲しい、勝手な願いだが宜しくお願いします。}話はそれで終わった。リンとダビは、パムを固く縛りつけている心の奥に潜むものの存在を、知っていた。そしてアシビがついた哀しい嘘に加担する事を決めた。父と死別してから今日までパムをこの世に止めているのは、父の言葉だと知ったから。固く閉ざされた彼の心にはガジャの優しさも、マーシーの温もりも届かなかった。だから『マザー』の意思に背いてまでも、種を産みパムに託した。彼の奉仕がこれからも途切れないように。その先は、『マザー』がこの永久凍土のように凍り付いた頑なな魂に、慈悲の息吹を与え、時が彼の心を溶かしてくれる事を願うばかりだった。パムはその種を愛おしむ様に頬ずりした、「分かりました神様、この子は責任持ってお育てします。それまで貴方のお側に行く事が出来なくなりました。」二人が降りて行ったはずの地面に向かって、パムがそう呟く。心は新たな使命を授かった喜びに震えていた。そして獣のように大きく咆哮を上げ、草地を駆け出した。さっきまでの弱い自分を振り払うように。「俺は、俺は、きっと、きっとこの子を立派に育てる。」握った種を天に突き上げ乍ら、空に向かってそう叫ぶ。天国にいるはずの家族に届くように大声で。その姿は、かつて斧を掲げて草原を疾走していた原人を思わせる。パムは今完全に人間界と決別し、この森に生きようと決心した。(神の住む森の秘密は自分が守る。)そんな思いが胸の内にあった。急に立ち止まって、腰に下げていた袋を放り投げた。ガジャから預かった通信機だった。ガジャへの最後の通信は、「彼らは全て消滅しました、もう人類の助けにはなりません。私はこれから旅に出ます、ご機嫌よう。」だった。これを最後に彼は人間界から完全に姿を消す事になる。
ガジャからの報告をササオカは、ため息をつきながら聞いた。「矢張り、そちらも同じ状況か。これでロック・イーダーは完全に消滅した訳だ、後は人間の力だけでこの苦境を乗り切るしかない、有難う。」そう言って通話を切った。消滅したのは樹木ばかりではない、解毒用に保管しておいた種も全て白い粉となった。人間がロック・イーダーの力を借りる機会は完全に失われた。今ササオカの手元に届く連絡は、食料が底をつき援助を求める国内各州からの要請と、不安に駆られた民衆が食料を求めてマーケットに押し寄せていると言う報告ばかりだった。「全く、どいつもこいつも自分の事しか考えられんのか。」つい愚痴が漏れる、人間いざとなったら我先に助かろうと行動するのが本能だと言う事は重々承知だが、それでも口に出てしまう。「人間、理性を捨てたらただの獣だ。」ササオカが吐き捨てるように呟く。『常に理性的であれ、それが文明を手にした人間の人間たる所以だ。』これがササオカの信条。部下に粗野な口を利いても、常に胸に留めている言葉だ。その思いがササオカに愚痴を言わせる、それ程困っている。ロック・イーダーが去って畑の再生は足踏み状態。危険な毒の雲は今海上にあって、盛んに雨を降らせている。コースの途中に位置していた州や国々は、衛星からの観測によるコースの予測が正確だったため、事前の避難が出来一人の死者も出さずに済んだ。しかし陸を通過し海上を進んだ所で、向かい風に煽られて停滞してしまった。場所は大西洋のど真ん中、幸い点在する島の上空からはコースが外れていて直接的な被害の心配はない。だが雨となって降り注ぐ毒で、海が汚染される。兵士の死に方から、相当量の毒が雲に含まれていると推測された。濃縮された毒が大西洋に雨となって降り注いでいる、今停滞している場所の近くには数少ないまだ汚染されていない安全な漁場が一つ存在する。そこに毒が流れ込む事を最も恐れた、そこは大西洋で最大の漁場なのだ。そこが駄目になる事で引き起こされる被害は深刻だ、作物の工場生産は一部の野菜を除いてまだ無理だ。頼みの人工タンパクも、ビブロの死によるチェダー・カンパニーの混乱で技術移入がストップし、工程の中核が埋まらずにスケジュールの遅延を余儀なくされた。最新の設備も宝の持ち腐れ状態だ、つまり現時点で先の見通しの立つプランは一つも無いのだ。それがササオカを苛立させる、そんな時にガジャからの電話があった。彼にはパムを通してロック・イーダーとの交渉を依頼していた。「フー。」大きく息を吐いた後、椅子の背もたれに体を預ける。これで全部の希望が消えた、正に八方ふさがり。デスクに肘を着き頬杖しながら目を閉じる、思い悩む時のササオカの何時もの仕草だ。その間脳はフル回転している。今までも重大な問題に直面した時は、こうして切り抜けて来た。だが今度ばかりは駄目かと思う、明るい材料が一つも見当たらない。普段なら少なくとも一つ位は存在しているはずなのたが。「駄目か、もはや合州国は崩壊だな。」そう小さく呟く、ただでさえ貧困や差別の顕在化で分裂機運が高まっている合州国の屋台骨は、今度の食糧危機を持ちこたえられないだろう・・・・。そんな時、電話が再び鳴る。相手はカワナミだ、これが本日唯一の朗報だった。イロック・イーダーの残した白い粉を分析した所、毒に強い吸着力を示していると判明。これを利用すれば畑の解毒を促進出来ると言う、ササオカはがぜん元気になった。「すぐにロック・イーダーの亡骸を回収しろ、風の持ち去れらる前に。」ササオカが急いで命令した。「それなら既にタグチ大臣から関係部署に指示が出ています。風で消失してしまいましたが、まだかなりの量が残っていますから、相当量確保出来ると思います。何せ広範囲に生息していましたから、問題は採取方法です。ご存じの通り、砂粒大の顆粒で軽い物質ですから広く浅く回収するためには掃除機のような装備が必要です。ですが研究所にそんな装備は存在しません、仕方なく研究員に手元にあるだけの掃除機を持たせて、回収の当たっていますが装備も人手も足りません。軍隊の出動をお願いします、風が吹く前に。そして雨も駄目です、この物質は水に溶けます。」そこでカワナミは言葉を切る。「ううん、難問だな。掃除機を大量に集められるかどうか・・・・。」ササオカは暫し絶句した。「止む負えんな、それしか方法がなさそうだ。ではありったけの掃除機を持って出動するよう軍隊に命令を出す。」軍隊を動かす国防大臣も代理も逮捕で欠員の今、ササオカ以外にいない。銃の代わりに掃除機を携行して出動した軍隊は、後にも先にもこれが初めてだろう。
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