第8話 救っただけなのに、英雄と呼ばれる

翌朝、宿の下の食堂はやけに騒がしかった。パンの香ばしい匂いの中に、ざわめく声と笑い声。それも俺の名前を混ぜながらだ。

「なあ、昨日の魔粘体を一瞬で消したって話、本当なのか?」

「見たんだ、俺! 壁が揺れたと思ったら、青い化け物が消えちまった!」

「救世主だ! あの人がいなきゃルガルドはもう終わってた!」


……寝起きの頭には重い。


「英雄気分はどう?」

すでに席についていたエルシアが、紅茶を口にしながら笑った。

「気分、っていうか、俺はただ倒しただけなんだけど」

「それを“英雄気分”って言うのよ」

やれやれ、という顔で彼女がカップを置く。


隣のテーブルにいたミーナが尻尾を嬉しそうに揺らしていた。

「だって、本当にみんな助かったんだもん! お礼にってパン屋さんがこれくれたよ!」

差し出した袋の中には、焼き立ての甘いパンが三つ。ふわふわの砂糖がかかっている。

「こりゃ豪勢だな。こっちこそ感謝しなきゃ」

「ふふっ、英雄の食料よ」エルシアが肩をすくめた。


パンをかじりながら、宿の主人が近づいてきた。

「瀬戸様、ちょっといいかね。街の代表から呼び出しが来てます。正午に評議会の方へ」

面倒な予感しかしない。

「行かないとだめ?」

「行かないと、街中があなたの噂でもっと騒ぎになりますよ」


そう言われて断る理由もない。


ーーーーー


評議会の建物は、城塞とは違い、商業ギルドや各種族の代表が集まる交角の塔だ。中は香木の匂いが漂い、壁には交易品の品目がびっしりと描かれ、衛兵もドワーフもごった返している。

案内された会議室の扉を開けると、十数人の男女が座っていた。人種もまちまち、だが全員が俺を見るなり一斉に立ち上がった。


「救世主様だ!」


その言葉に気圧されて、一瞬黙る。

「いや、救世主って。俺、ただの通りすがりだって言ったよね?」

「いえ、その謙遜こそ英雄の証! 見てください、昨日の襲撃で死者は一人も出なかった!」

「それは良かったけど、俺は別に――」


「ぜひ、このルガルドに留まって、守護士としてお仕えを!」

「国や教会が手を出す前に、うちの町で囲わないと損だ!」

「いやいや、囲うって何だ囲うって」

言葉の洪水に押されて、頭がくらくらしてくる。


エルシアが後ろで小さく笑っていた。

「完全に狩られてるわね、人気に」

「……助けて」

「どうしようかしら? 面白いからもう少し見てようかな」


結局、会議の最後まで“救世主”の件で押し切られ、俺の名で勝手に「ルガルド防衛顧問」なんて役職まで作られた。給与も宿代も無料、しかも専用の仕事部屋と称して、街の中心に屋敷まであてがわれた。


「忙しい人が増えるわね」帰り際にエルシアがぼそり。

「勘弁してくれ……普通に暮らしたいだけなんだが」

「普通の定義、もう破壊してると思うけど」


ミーナは家ができたことが嬉しくて仕方ないらしく、一人で屋敷の部屋中を駆け回っていた。

「おっきい! これ、ぜったいお姫さまのおうちだよ!」

「姫というより捕獲用だろ。逃げられないように」

「はるまさん、そういうこと言わないの!」


けれど確かに悪い環境ではなかった。広い庭と湧き水の井戸、倉庫も整っている。辺境都市とは思えない待遇だ。

夕方、街の子供たちが外の門に集まり、ミーナと一緒に遊んでいた。彼女がしっかり馴染んでいるのに、少し安心する。


「どうするの、これから?」エルシアが窓際で尋ねてきた。

「さあな。しばらくは静観だが……王国が動く気配がある」

「昨日、スライム討伐の報告が中央通信に送られたわ。あの王様、必ず嗅ぎつける」

「やっぱり、あの国、放ってはおかないか」

風の音だけが部屋に流れる。

追放された身なのに、今度は報奨対象として注目を浴びる。まるで人生がコメディのようだ。


そのとき、外で歓声が上がった。子供たちと一緒にいたミーナが駆け込んできて叫ぶ。

「はるまさん! お客さん! すっごいきれいな人たち!」

玄関へ行くと、白い馬車が二台停まっており、純白のドレスを身にまとった女性が降り立った。

胸元に王国紋章。見覚えがある。


「……王国の使者?」

「瀬戸遥真殿。王の名代として、あなたを再び迎えるため参りました」

騎士たちが礼をとる。周囲の市民たちが息を呑む。


俺は短く息を吸い、静かに答えた。

「その王、先に俺を“無能”として捨てたよな?」

「それは誤解でございます。陛下は勇者召喚の混乱と、聖堂院の策略に巻き込まれただけ。今は異界人たるあなたに正式な謝罪を――」


「謝罪で済むと思ってるのか?」

声が低くなった。場の空気が一瞬で冷える。

俺の視線の圧だけで、騎士たちが肩を強張らせた。

「……お引き取り願おう。俺はもう王の臣じゃない」


「し、しかし――」

「俺の仲間に手を出したら、跡形もなく吹き飛ばす。それでいいな?」


しんとした沈黙。風が止まり、誰も何も言えなくなった。

使者は震えながら頭を下げると、何も言わず馬車に戻っていった。


ドアが閉まる音だけが響く。そのあと、ふわりと笑い声。

エルシアが肩を揺らしていた。

「言うわね、ほんとに」

「事実だろ」

「でも、あの調子だと王都は必ず報復してくる」

「そのときは倍返しにするだけさ」


少し離れた窓から、ミーナが外を眺めていた。

「みんないなくなったね……こわい人たちだった」

「大丈夫だよ」俺は彼女の頭をやさしく撫でた。「ここは守る」


夜風に揺れるランプの光が、三人の影を壁に映す。

英雄だの救世主だの呼ばれても、俺がしたことはただ一つだ――助けたいと思った誰かを、守っただけ。

それだけで十分だと思った。


(第8話 終)

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