第24話 朝の光は隠し方の癖を見せる

 夜に見えるものと、朝に見えるものは違う。


 夜は輪郭を濃くする。明るい場所と暗い場所、いる者といない者、見えているものと見えないもの。その差がはっきり出る。だから不穏は見つけやすい。


 朝は逆だ。


 朝の光は、隠し方のほうを見せる。


 午前七時前のミナトマート早川店は、夜とは別の忙しさで動いていた。


 出勤前の会社員が缶コーヒーを取り、学生がパン棚の前で立ち止まり、近所の高齢客が新聞を脇に抱えてレジへ向かう。空はもう明るい。店の白い照明は夜ほど浮かず、代わりにガラスの反射や棚の影が薄くなっている。


 透真はレジに立ちながら、客を見るより先に、客の立つ位置を見ていた。


 コピー機の前。雑誌棚の角。ホットスナックケースの横。入口から二歩入ったところ。何を買うかより、どこで止まるか。何を見ているかより、何を見ないふりをしているか。


 昨日までなら、そんな見方はしなかった。


 いや、できなかった。


「真壁くん」


 紬が小声で呼ぶ。


「今日のそれ、だいぶ怖いよ」


「何がですか」


「見方」


 レジ横で揚げ物のトングを持ったまま、紬が苦笑する。


「客を見てるんじゃなくて、客の置き方見てる」


「物みたいに言わないでください」


「でも、たぶん近いでしょ」


 否定しなかった。


 たしかに今の透真は、客を人として見る前に、店の中でどう配置されているかを見ている。どこに立てばレジが見えるか。どこにいれば裏口へ抜ける動きが拾えるか。どの位置ならコピー機の黒いパネルに事務所側が映るか。


 見える場所は、朝になると変わる。


 それが思った以上に大きかった。


 夜はコピー機の黒い反射がよく見えた。だが朝は外光が入るせいで、角度によっては店内の映り込みが弱くなる。その代わり、入口のガラス越しにバックヤードの扉が開く瞬間の気配が拾いやすい。


 店長の言っていた“朝の顔”は、こういうことかと透真は思った。


「店長」


 透真は空いた瞬間に声をかけた。


「はい」


「朝だと、入口からの見え方かなり変わります」


 店長は事務所から出てきて、透真の立ち位置へ来た。


「どこだ」


「ここです」


 透真は入口付近の床を指した。雑誌棚とコピー機のあいだ、客なら立ち読みや操作待ちで自然に止まれる位置だ。


「この角度だと、コピー機の反射は夜より弱いです。でもその代わり、レジ横の奥、バックヤードの扉が開くタイミングは見えます」


 店長は実際にその位置に立ち、事務所側を見た。


「……たしかに」


「しかも朝は、納品とゴミ出しと休憩入りが重なるんで、裏口の動きも増えます」


「昨夜の話だな」


「はい。店の中だけじゃなくて、店の“変わる時間”見られてたのかもしれません」


 紬がトングを戻しながら言う。


「形じゃなくて、癖を見るってことか」


 その表現がしっくりきた。


 形はすぐ変えられる。掲示を外すことも、名札を裏返すこともできる。だが、癖はすぐには変わらない。何時にゴミを出すか。誰が裏口へ行くか。コピー機前で客がどこに流れるか。そういう、店の身体の動きみたいなものは残る。


「相手、店に詳しいんじゃなくて、店の癖を覚えてるのかも」


 透真が言うと、残月が入口のほうを見たまま答えた。


「詳しい者ほど、癖を見る」


「また生きる者の癖、とか言います?」


「言う」


 残月は短く言った。


「形は飾れる。癖は飾れぬ」


 その言葉は、店にも人にも当てはまりそうだった。


 午前七時二十分。


 朝の納品便が来た。運転手はいつもの若い男で、眠そうな顔のまま台車を押してくる。透真はサインをしながら、あえて搬入口の外を見た。


 裏口脇の狭い通路。生活道路へ抜ける細道。表からは見えにくいが、朝の斜めの光が少しだけ差し込んでいる。昨日の夜に比べると、隠れ場所は減っている。だが、見えやすいぶん、“見ている側”も客に紛れやすい。


 納品便が去った直後、年配の男が入ってきた。


 新聞と缶コーヒーを持ち、レジに並ぶ。ごく普通の朝の客に見えた。だが透真は、男が列に並ぶ前に一度だけ入口の外壁脇を見たのを見逃さなかった。


 昨日、地図の切れ端が置かれていた場所だ。


 ほんの一瞬だ。確認するというより、そこに何もないか確かめる視線だった。


 男は会計の間、レジ横の床を見ていた。視線が泳ぐのではなく、決めた場所以外を見ないふうに落ちている。金を払う時だけ手元を見て、釣りを受け取るときも透真の顔にはほとんど視線を上げない。出ていく前、ガラスに映る店内を一度だけ横目で拾った。


 その自然すぎる不自然さに、透真は喉の奥が少し乾いた。


 しかも男は、ドアを出たあとすぐには歩き出さなかった。ガラスの外、店の脇へ半歩だけ寄り、誰かを待つでもなくスマホを取り出す。画面を見ているふりで、角度だけが裏口側へ向いていた。


「……紬さん」


 透真が低く言う。


「見ました?」


「見た」


 紬はレジ横に立ったまま、表情を変えない。


「二人目」


「やっぱりそうですよね」


 黒帽子の男とも、作業着の男とも違う。けれど、“見る場所”が似ている。物ではなく、位置を確かめる視線だ。


 会計を終えた男は、そのまま何事もなく歩き去った。追えない。追うほどの動きではない。だからこそ嫌だった。


 朝の店内は忙しい。忙しい場所では、少しの違和感ほど見逃される。


「似た見方が増えてる」


 透真が言うと、店長は短くうなずいた。


「個人じゃないかもしれんな」


「はい」


「真壁、紙あるか」


「あります」


 透真はレジ下からメモ帳を出した。


 店長は簡単な表を書き始める。時間、位置、客の特徴、見ていた場所。たったそれだけの簡単な表だ。けれど、その瞬間に話が少し変わった気がした。


 違和感が、記憶ではなく記録になる。


「今日から拾う」


 店長が言う。


「違和感もか」


「違和感だからだ」


 その言い方に、透真は少しだけ背筋が伸びた。


 レジの合間を縫って、三人は朝の店内の“止まりやすい場所”を確認した。


 コピー機前。雑誌棚の角。入口脇の傘立ての前。ホットスナックケース横。ATMの画面が見える位置。どこも普通の客が普通に立てる場所だ。だから厄介だった。


 その時、コピー機前に立った若い女が、操作をするふりをしながら一度だけ顔を上げた。視線の先は、事務所でも裏口でもない。天井隅の半球型カメラだ。


 透真は思わずそちらを見る。


 女はカメラを見たあと、すぐには動かなかった。コピー機の横に半歩ずれ、自分がどこまで映るかを測るみたいに立ち位置を変える。印刷もせず、伝票も出さず、数秒だけ位置を試してから、ようやくスマホを触るふりをした。


 さらに、女はコピー機の黒いパネルに映る店内を一度だけ見た。確認の順番が妙だった。カメラ、自分の立ち位置、反射。まるで見え方をひとつずつ確かめている。


「今の」


「見た」


 残月が言う。


「見張り返しておる」


「何ですかそれ」


「見られておる者が、どこまで見られておるかを確かめる顔だ」


 女は結局何も印刷せず、スマホだけ見て店を出ていった。


 透真はメモに書く。七時三十三分。若い女。コピー機前。カメラ確認。立ち位置変更。反射確認。


 書いていて、少しだけ変な気分になった。これは防犯メモに似ている。だが警察の真似ではない。店の形を、店の側から読み直しているだけだ。


「真壁くん」


 紬が小さく言う。


「何か、店が急に狭くない?」


 その感覚は、透真にもあった。


 今まで便利で明るいだけだった店が、急に視線の交差点に見えている。誰かが何かを見る。その“何か”が、棚の商品ではなくなった瞬間から、店の中の空気は少し狭くなる。


「狭いです」


「だよね」


「でも、前より見える気はします」


 紬は少しだけ笑った。


「それは成長かもしれないし、面倒ごとに足突っ込みすぎてるだけかもしれない」


「どっちでしょうね」


「両方じゃない?」


 否定できなかった。


 午前八時前、通勤客の波が少しだけ引いた。


 店長はメモを見下ろし、ペンで軽く机を叩く。


「似た見方が三件か」


「三件とも違う人です」


 透真が言う。


「でも、見てる場所は近い」


「入口脇、コピー機前、外壁下」


 店長が確認する。


「つまり、見られてるのは物じゃない。位置と流れだ」


「はい」


 透真はそこで少し迷い、言葉を継いだ。


「……あと、思ったんですけど」


「何だ」


「昨日の鍵、祠を開けるためだけじゃないのかもしれません」


 残月の目が少しだけ動いた。


「どういう意味だ」


「祠の鍵かもしれない。でも向こうがわざわざ店まで寄越したってことは、場所そのものより、“そこへ行ける側”と“行けない側”を分ける合図みたいにも見えるっていうか」


 言いながら、自分でもまだ整理しきれていないのがわかった。


 紬が助けるように言う。


「鍵そのものより、“あっち側の話だ”って知らせるためのものってこと?」


「……はい。そんな感じです」


 残月は少しだけ黙ってから、低く言った。


「悪くない」


「珍しく素直ですね」


「今は惜しむ場面ではない」


 透真は小さく息を吐いた。


 褒められた、とは少し違う。だが、見方が外れていないことだけはわかった。


 店長がメモ帳を閉じる。


「よし。今夜までにもう一度整理する。昼の客層でも同じ見方が出るか拾う。裏口側は今日から時間を少しずらす」


「ずらす?」


 透真が訊く。


「ゴミ出しと休憩入りと納品受けの時間を固定しすぎない。癖をずらす」


 それは単純だが、効きそうだった。


 形は飾れる。癖は飾れない。なら、その癖を崩すしかない。


 店長はそこで、実際にバックヤードの時計を見た。


「紬さん、今日の休憩、十五分だけ後ろへずらせますか」


「いけます」


「ゴミは八時半じゃなく八時四十五分に。納品受けの札も、今日は中に下げる」


 指示がその場で動きに変わる。


 それを見て、透真は少しだけ気分が変わった。考えるだけではない。店の形が、いまここで実際に変わっていく。


「真壁、お前は今日、時間あるか」


「夕方までなら」


「一度、表から店を見てこい。客として、十分くらい外から」


 透真は少しだけ驚いた。


「客として?」


「店員の目線では抜ける。使う側の目で見ろ」


 それは、思いつきそうで思いつかなかった。


 店の中にいる限り、自分はどうしても店員として見る。どこが混むか、何を補充するか、誰が困っているか。だが、外からなら違う。待つ人間、見る人間、流れを覚える人間の目で見られる。


「わかりました」


 透真はうなずく。


 その返事に、紬が笑う。


「やること増えたね」


「増えました」


「顔はちょっと嬉しそう」


「それは違います」


「違わない」


 たぶん少しは、そうだった。


 面倒ごとだ。間違いなく。だが、ただ振り回されている感覚はもう薄い。見るべきものが増えて、やるべきことが見えてきた。そのこと自体が、少しだけ前へ進んだ感じをくれる。


 自動ドアがまた開いた。


 新しい客が入ってくる。パンと牛乳を持った主婦。何も知らない顔で、いつもの朝を買いに来た人だ。


 透真はレジへ戻る。


 朝の光は、夜みたいに不穏を濃くはしない。

 その代わり、隠し方の癖を見せる。


 なら、次はそこだ。


 店の外から、店の形を見る。

 何が見えて、何が隠れて、誰がどこで立ち止まるのか。

 秘密が通る道を、今度はこちらから辿る番だった。


 けれど、客として店を外から見るというのは、少しだけ怖い。

 いつも自分が立っている明るい箱が、向こう側からどう見えるのか。

 それを知ったら、もう前みたいには戻れない気がした。


――――――――――

 ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


 今回は「朝の顔で見える店」を実際にやる回にしました。

 夜の不穏をそのままなぞるのではなく、朝になると何が見えやすくなり、逆に何が隠し方として現れるのかを掴む回です。


 また、違和感を“記憶”ではなく“記録”へ落とし始めたことで、透真たちも受ける側から少しずつ対応する側へ変わり始めています。

 考えるだけでなく、店の時間や見え方を実際にずらし始めたのも今回の前進です。


 そして次は、店の中からではなく、店の外から店を見る段階です。

 続きを気にしていただけましたら、応援やコメントで教えていただけると嬉しいです。

――――――――――

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