【被験体77について】

紫煌 みこと

No.1 日常に溶け込むバグ



「……ひいらぎ先輩……。あの日以来、全然連絡が繋がらないけど、大丈夫かなぁ?」



 学校から帰宅した少年が、スマホを見つめながら頭をかいた。

 手元には、「科学展」と書かれた書類。少年は、高校の科学部で活動しているのだ。

 彼は片手にマグカップを握りながら、理想としている人物を思い描いた。


「俺もいつか、柊先輩みたいになるんだ……! 高校と大学を卒業して、憧れのアルタイル機関に入るんだっ……!」


 少年が力強い声で叫び、胸を張った瞬間。

 ――先ほどまで天気予報だったテレビ画面が切り替わり、速報を伝えるテロップが踊り出した。



『こちら、ただいま情報が入った速報です。

 7月14日、民間研究機関アルタイルに所属する研究員、ひいらぎ 悠馬ゆうまさん(26)が、数日前から行方不明になっていることがわかりました。


 関係者によりますと、柊さんは今月6日の深夜、自宅を出た後に連絡が取れなくなり、そのまま帰宅していないということです。


 警察は現在、失踪の経緯について調査を進めておりますが、未だに原因は発覚しておりません』



「……はっ」


 間の抜けた声と、落としたマグカップが粉々になる音が、狭い部屋に響き渡った。




 *****




(……なんなんだ、これは)



 7月4日の昼過ぎ頃。

 アルタイル機関が設立した研究所で、白衣を着た若き研究員――柊 悠馬は、驚愕のデータを発見してしまった。


 大規模な人数で構成された研究機関アルタイル。

 そこに所属している彼は、いつも通り、研究で得られたデータをパソコン上で操作し、書き込んでいた。


(本当にたまたま見つけてしまった……)


 内部データベースを処理していた最中、偶然にも、「77」と書かれた謎のファイルを見つけた。

 研究員の休息時間。興味本位で開いた結果、柊は、とんでもない事実を目の当たりにしてしまった。



『20XX年、ベガ機関が設立した”七夕研究所たなばたけんきゅうじょ”について。

 人体実験の最中、不慮の事故が発生したため、当該施設は破棄するものとする』



(七夕研究所ってなんだ……?)


 柊はゴクリと唾を呑んだ。


(このファイルの製作者は、ベガ機関の方か……)


 ベガ機関とアルタイル機関は、共同で研究を行っている双子のような存在だ。

 掲げているテーマやモットーは異なれど、彼らは互いの研究結果を交わし、議題に対する考察を深めていた。


 しかし、「七夕研究所」という存在は聞いたことがない。

 20XX年ということは、今から10年ほど前に、この研究所は破棄されたのだろう。

 人体実験。この「77」というファイルには、不穏な予感がする。


 他のデータを確認してみたが、すべて削除されていた。

 つまり柊は、「何か重要なデータの一片」を、偶然見つけてしまったわけだ。



(これ……まずいんじゃないか。もし本当に七夕研究所なるものが存在したとして、かつて人体実験が行われていたとすれば……大問題だぞ)


 こうした事実が暴露されれば、ベガとアルタイルの信頼関係は瓦解するだろう。警察沙汰になってもおかしくはない。

 長い間、誰にもこのデータベースは発見されなかったのだろうか。


(上司に伝言? いや、もし嘘だったら――)


 万が一このファイルの内容が嘘だった場合、叱責を受けるのは自分だ。

 科学者として順調にのぼりつめている彼は、自分の印象を下げるようなことはしたくなかった。


 しかし、このままデータを放っておくのも良くない。

 どうにか方法がないかと、柊が考え始めた時――



 突然、「77」に書かれた内容が変化し始めた。

 柊は操作していない。データの中に誰かが入り込んだ形跡もないのに、なぜかひとりでにテキストが打ち込まれていく。



『わたしはずっとけんきゅうじょにとじこめられています

 ずっとひとりはさびしいです

 もう10ねんだれもきていません

 だれかたすけにきてください


 おなかがすきました

 おなかがすきました

 すきましたすきましたすきましたすきましたssss』



「……うわあっ!?」


 ひらがなで綴られた不気味な文章。

 突然の現象に、さすがの柊も大声で悲鳴を上げてしまった。


 その声に驚いたのか、隣にいた先輩が声をかけてくる。


「……柊? 大丈夫か?」

「み、見てください! 急におかしな文章が――」

「何も書かれてないじゃないか。というか、このデータベースはなんだよ。休憩時間は終わったぞ。仕事しろ」

「……えっ」


 柊がもう一度覗き込むと、パソコンの画面には、一文字も書かれていなかった。

 最初に柊が見つけた七夕研究所の詳細だって、すべて消えている。


「……失礼しました」


 柊は一言呟いてその場を収束させたが、内心、冷汗が止まらなくなっていた。


(おかしいおかしいおかしい……さすがに今のはおかしい……。超現象だ!)


 この目で見たものは、幻ではなかったはずだ。

 今起こったことは、彼が持つ知識や理解力でまとめられる範囲を大きくはみ出している。その事実を、彼は受け入れ難かった。


(閉じ込められているだと……!? 七夕研究所とやらには、まだ誰かがいるのか!? くそっ!)


 柊は深呼吸し、仕事をしているフリをしながら、急いで七夕研究所の詳細を調べ始めた。

 検索にかけても、それらしい情報は一切出てこない。そこで彼は、データベースがどこで作成されたのかを調べることにした。




 そして、時が経つこと2時間後。


(……嘘だろ?)


 柊の努力により、データベースを作成した端末の特定が成功した。もっと長い時間を要するかと身構えたが、意外なことに、特定はあっさりと完了したのだ。


 だがその端末は現在――どうやら、山地に広がる森の奥にあるらしい。


(まさかこの場所に、七夕研究所とやらがあるのか……? 本当に……?)


 生まれて初めて、恐怖というやつが渦を巻き始めている気がした。

 超現象。衝撃の事実。彼の科学で処理できないことに初めて対面し、胸騒ぎが止まらない。


 ――それと同時に、彼の内に眠る知的好奇心が、ドクドクと脈を打ち出した。


 森の中にある、謎に包まれた研究施設。

 それもベガ機関という、彼にとっては身近な存在が生み出したもの。

 人体実験、非道徳的な行為。彼のパソコンに起きた、不気味な現象。


(気になる。気になってたまらない……。すべてを一本線で繋げたい……!)


 科学者としての本能が、ついに欲を出し始めた。

 その欲望が、怪異までもに科学的根拠を見出そうとしているのだ。


 抑えきれない衝動が、恐怖までもを塗り替えていくのをじわじわと感じた。


(そうさ。わからない真実は、ボクが直接確認してやる。場所は車で行ける距離だぞ……)


 「それに……」と、柊は己のエゴが出た側面をむき出した。


(ベガ機関の陰謀を暴けたら、出世に役立つ手柄となるかもしれない。他の研究員に教えるものか。ボクひとりで十分だ……!)


 柊は決意する。

 たった一人で、ベガ機関の闇、七夕研究所を調査すると。





 そして、帰宅した後。

 柊は研究所へ、数日間の有給休暇を申請した。その間に、七夕研究所を調査しに行こうと思ったのだ。


「そうだ。あいつだけにはボクの目的を教えておこう」


 そうつぶやきながら、柊はスマホを取り出した。

 画面に映しているのは、明るい顔つきの少年。彼は今、高校3年生くらいだろう。

 少し離れた場所で暮らしているが、幼馴染の仲が良い少年だ。


 柊は上機嫌で電話をかけた。

 画面の向こうから、張り切った少年の声が聞こえてくる。



『あっ、柊先輩!』

「やぁ。久しぶりに有給休暇を取ってみたよ」

『……えぇっ、柊先輩が休暇!? どうしました、熱でも出たんすか!』


 少年の慌ただしい声が聞こえ、柊はフッと小さく息を漏らした。


「違う違う。ちょっと色々あってね……七夕研究所ってところを探索しようと思って」

『七夕研究所……? どこですか、そこ。なんで行くんですか?』

「いやいや、それは内緒。とにかく行ってくるね。まっ、2~3日あれば帰れるさ」

『ここまで言っておいて、説明しないなんて酷いですよ! ……よくわかりませんけど、まぁ頑張ってくださいねー』



「……よし。これでいい」


 柊はスマホをしまい、微笑を浮かべた。少年を少しおちょくってやるのが彼の趣味なのだ。


「3日もあれば余裕さ。どうせ長居はしないんだから」


 所詮、10年も前に放棄された研究所だ。誰もいないだろうし、命の危険が及ぶようなことにはかかわるつもりはない。

 それよりも、今日起きた怪奇現象や人体実験の詳細について暴くことの方が、よっぽど頭にいっぱいだ。


 柊は自分の荷物を整理し、研究資料をまとめ始める。

 提出期限の近い課題だけ終わらせて、2日後くらいには外出することにした。





 この時――柊は、気が付いていなかった。

 ベガが作成したファイル……「77」の文章が、再び変更されていたことに。



『ねがいごとをします かみさまおねがいです かなえてください


 わたしはおなかがすきました

 たべたいです


 じっけんしつにやってきたひとをたべたいです』

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