第2話 新しい日常と不穏
翌日、道守は日の出とともに目を覚ました。窓を開けると澄んだ風がカーテンを揺らし、遠方から響くバイクのエンジン音を運んでくる。
道守は元の世界に帰還したことを実感した。
大きく伸びをし、鏡を確認する。
鏡には細身の少年が映っている。
漂流前は体型維持のためと称し、少食で過ごしていた。そのせいで勇者達と旅を始めた頃はすぐにヘトヘトになり、仲間達に迷惑をかけた。黒歴史を思い出した道守は改めて鍛え直そうと決心を固める。
(まずは食べることから始めよう)
そういうわけで道守はキッチンへ向かった。自分で朝食の準備をするつもりだったが、既に母の姿がある。
「おはよう、母さん」
「今日は早起きなんだね、珍しい」
「お腹空いちゃってさ、何か食べたくなって」
すると母は数秒程目を丸くした。
それから道守に微笑みかけた。
「もうすぐできるからテーブルで待ってて」
道守はコクリと頷き、テーブル席に着いた。テーブルの横にはテレビがあり、ニュースが流れている。どこかのマンションで強盗被害にあった話題が取り上げられていたが、昨夜の出来事は報じられていない。
程なくしてテーブルの上にトレーに乗った朝食が運ばれる。艶やかな白米に白い湯気の立った味噌汁。瑞々しいおひたしに、甘い香りのする卵焼き。
「私はお父さんと一緒に食べるから先にどうぞ」
「わかった。頂きます」
道守は息をのみ、味噌汁を啜った。
「……おいしい」
箸は勢いよく進む。
白米は噛むほどに甘みが広がり、味噌汁をすすれば出汁が体に染み渡る。目玉焼きやお浸しの触感も道守を楽しませる。
異世界にも和食が存在していたが、あくまで異世界の素材によるアレンジであり、この世界の味からは離れていた。
だからなのか、道守の目に涙が浮かんでいた。
元の世界に帰還したという喜び。
今生の別れを覚悟した母が傍にいる安堵。
妻子と離別したという哀情。
そうした様々な感情が交じった涙だった。
道守の母は狼狽えた。
「大丈夫?」
「……昨日は大変だったから安心してさ」
「学校休んだ方がいいんじゃない?」
「いや、行くよ。気遣ってくれてありがとう」
道守は朝食を食べ終え、食器を片づけた。
そこでも道守の母は驚いた。
登校時間までには余裕があったが、少し運動しようと、学校指定のリュックを背負って家を出た。異世界で長旅を経験していたはずなのに、ある程度歩くとすぐに息があがった。
☆
私立桜歌学園高校の正門の先には並木道が校舎に伸び、制服を着た生徒達が歩いていた。道守は心象風景そのままの並木道を懐かしんで進んだ。五十年程経過しても、所属する教室をはっきり記憶している。
校舎の階段を登り、二年B組教室の敷居を跨ぐ。窓際の席では女子生徒のグループが集まり談笑している。その中には里香の姿もあった。
里香は道守と目が合うと、グループ内の女子に一声かけ、道守に歩み寄った。彼女は昨日の事件に巻き込まれたことを感じさせない、明るい雰囲気を纏っている。
「体調は大丈夫か?」
里香はニカッと笑った。
「ちょっと緊張してる」
「そうか。辛くなったら早退しなよ」
「それなんだけど……」
里香は窓際の女子生徒達に背を向ける。
「今日はお父さんに車に乗せてもらったの」
「なるほど。その方がいいな」
「それで道守にお願いがあって」
里香はヒソヒソと話しかける。
「たまに放課後は一緒に帰って欲しいの」
「おじさん、迎えに来れないのか?」
「仕事が忙しいみたい」
それもそうかと道守は思った。異世界で妻子を持った頃、息子の誕生日に緊急の依頼を受けざるを得ず、祝うことができなかったことを思い出した。
「でも、俺と一緒でいいのか?」
「お父さんも道守が一緒なら良いって言ってた」
「放課後は少し校内で待ってから帰るよ」
「ありがとう。必要な時に声かけるね」
里香は窓際のグループに合流する。友人達と笑顔で会話をする彼女の姿こそ五十年かけて道守が勝ち取った光景だ。
「……よかった」
道守がポツリと呟いた。そのとき彼の肩に強い衝撃が走り、誰もいない机を巻き込んで転倒した。体を起こし振り向くと、坊主頭の男子生徒が道守を見下ろしている。名前は
「ボケっとすんな」
森野は低い声で凄み、窓際後方の席に腰を下ろす。続いて数人の男子生徒が入室した。彼らは道守を見てニヤつき、森野に合流する。
そしてさらに道守は後方で気配を感じとる。振り向くとサラサラした髪質の男子生徒が立っている。
女子に人気のある生徒だった。少女漫画の恋人役のように端正な顔立ちをした彼は、穏やかな口調で言った。
「背中にホコリが付いているよ」
沼利は道守の背中を払い、森野のグループに合流した。彼がグループの中心人物らしく、彼が全員に会話を回していた。
道守は転倒時に巻き込んだ机を元の位置に戻す。里香がチラリと道守をを見たので、道守は大丈夫だと目配せし、自席に向かう。五十年経過しても廊下側の最後席であることは記憶していた。
リュックを机の脇にかけて着席すると、隣席の生徒が道守の方を向いた。綺麗に染めた金髪に中性的な顔立ち。ズボンの裾を折って除いた白い足首に四つ葉デザインのアンクレットが巻かれている。
二年B組で道守が行動を共にする生徒だった。
成希はやれやれと言わんばかりに肩を竦めた。
「おはよう道守。今日は沼利に虐められたね」
「……あれは恣意的にやられたんだな」
成希は沼利の方を一瞥し、不適に笑う。
「里香に会話を流されたからね」
「沼利は里香のことが好きなのか?」
「いつも里香に話しかけてるんだけどねぇ……」
「あぁ、振られてるのか」
道守は納得するように頷く。
異世界でも似たような状況は何度も目にした。酒場やギルドの看板娘を男達は一生懸命に口説くのだが体よく話を流される。それが引き金で揉め事に発展することは度々あった。
「沼利は相手に困らなそうに見えるけどな」
成希は苦笑した。
「だよね。幸福は周りに転がってるのに」
「それなのに俺にあたられても困るな」
「それは別問題でしょ?」
「え、何で?」
「だって道守、里香と仲いいじゃん」
「まぁ、普通に会話はするけど」
「だから沼利に目を付けられるんだよぉ」
成希の声に反応するように沼利と里香が一瞬こちらに視線を向けた。
その時、始業のチャイムが鳴動し、栗色の髪の女性教師が入室する。担任教師の
成希はそんな京をうっとり眺めている
「京先生ってクールな女って感じするよねぇ」
「確かに美人だな。京先生が好きなのか?」
「まぁ憧れってやつ? オーラが違うんだよ」
「なるほど?」
道守は京を注視する。目鼻立ちが整っており、凛として雰囲気があった。そんな彼女が時折浮かべる柔和な笑顔が男女ともに受け入れられている。
だからこそ道守は京を警戒した。彼女の笑顔が整い過ぎて、作り物染みているからだ。こうした人間に裏があることは異世界では多々あった。
程なくして教室に号令がかかる。
異世界帰還してから初の高校生活が始まった。
☆
元の世界に帰還してから数日が経過した。
結論から書けば道守はクラスの注目を浴びるようになった。英語の授業ではネイティブに近い発音で英文を読み、現代文の授業では難関大学が出題元の問題をスラスラと解いて見せた。
異世界でいくつかの言語を学んだ経験や、様々な人間と会話を重ねることで培われた読解力が活きる形になった。
また体育でバスケットボールをすることになり、沼利のチームと対戦することになった。森野がラフプレイを道守に仕掛けたが、道守はこれをものともせず、沼利チームを倒した。
それが不満だったのだろう。沼利の取り巻きが試合中に道守達が控えている方向に当てつけのようにバスケットボールを全力投球した。
だけど矢のような勢いで飛ぶボールは、道守の傍にいた女子生徒に向かっていく。女子生徒はそれに気付いた時、萎縮して動けなくなっていた。
(このままじゃ怪我をする)
道守は自分の体に彼女を引き寄せ、ボールを受け止めた。バスケットボールとは思えない重い衝撃を受けたが、道守の涼しげな表情をしている。
「大丈夫か?」
道守は尋ねてみたが、女子生徒は失神していた。そういうわけで道守は担当教師に事情を説明し、彼女を抱きかかえて保健室に運んだ。体育館では女子が声を上げていた。
女子生徒をベッドに寝かせている間に、担任の京が保健室に入室した。彼女は落ち着いた所作で道守達に歩み寄る。
「対応してくれてありがとう」
京は安心したように瞼を伏せる。
道守は苦笑する。担当クラスの生徒が誘拐されたり、体育の授業で気絶したりすれば気苦労もあるのは当然だった。
京は道守に微笑みかける。
「あなたは火中の栗を拾うタイプなのかしら?」
「拾えるまでに一生かけるタイプですね」
「そんな風には見えないけれど?」
「既に一生をかけたから慣れたんですよ」
道守は踵を返した。
「そろそろ戻ります」
道守は保健室の扉を開けた。扉を閉める直前、道守は保健室内を確認する。京が鋭い視線で道守に向けていた。
体育の授業に戻ると授業を見学していた成希と、女子のグループの中にいた里香が何か言いたげに道守を見つめている。その傍らでは沼利の取り巻き達が冷たい視線で道守を睨んでいた。
こうして道守は様々な視線に晒されたまま昼休みを迎えたので、教室をそそくさと飛び出し、食堂へ向かった。食堂では既に生徒達がカウンター前に列を作っていた。道守も食券を購入し、行列に加わる。
「珍しいじゃん、道守が食堂なんて」
道守が後ろに並ぶ生徒の方を向くと、金髪の生徒が後ろ手に組んで笑みを浮かべていた。
「成希はいつからここに?」
「道守が教室飛び出した時からいたけど?」
「気づかなかった。忍者かよ」
「道守が後ろめたそうだったから様子を見てたの」
「別に後ろめたくは思ってないぞ?」
「えー本当かなぁ?」
道守はカウンターの前に辿り着き、職員に食券を渡す。程なくしてビーフカレーの乗ったトレーを受け取り、二人用の席に移動した。成希はワッフルのプレートセットをトレーを乗せている。
「単純にカレーが食べたくなっただけだ」
「珍しいね。いつもは軽食で済ませてるのに」
「俺だって食べたくなることはある」
道守はビーフカレーをじっと見つめた。異世界ではカレーは高級料理の一つとして扱われていた。道守が異世界で過ごした五十年間で口にできたのは数回だけだった。
道守は手を合わせ、カレーを口に運んだ。スパイスの聞いたソースの中に感じる、ビーフの旨みに道守は恍惚とした表情を浮かべる。
成希はそんな道守の表情に頬を引きつらせた。
「ちょっと大げさじゃない?」
「おいしいのだからしょうがない」
成希はワッフルをかじった。
「やっぱり道守、変わったね」
道守はギクッと肩を飛び上がらせた。
「そ、そうかな?」
「ちょっと反応がおっさんになった」
道守はカレーを詰まらせかけ、咳き込んだ。
成希は道守に水を差し出し、続ける。
「それは冗談だけど、変わったと思うのは本当。英語が急に喋れる風になったり、体育の授業の時も女の子を率先して助けに入ったり……とかさ」
成希はワッフルをプレートに置き、半目になる。
「道守、何か隠してるよね?」
道守は言葉を詰まらせる。異世界漂流したことを素直に話したところで信じてもらえるとは思えない。
道守は額を掻き、答えた。
「しばらく里香と一緒に帰ることになった」
成希が目を丸くする。
道守は鳴希の反応を伺い、続けた。
「訳あって里香は。親に送り迎えしてもらっているのだが、今日は迎えにこれないらしい。だから帰りは俺が里香を送ることになった」
「それが昨日色々あったという話?」
「そうだ。里香個人の問題だから黙っていた」
「ふぅん……(話してくれないんだ)」
「なんか行ったか?」
「何でもないよ、ちゃんと送ってあげてね」
成希はベルギーワッフルをかじった。
道守は成希からの追求を逃れたことに胸をなで下ろし、カレーを口に運んだ。
残りの時間は二人でとりとめない雑談をして過ごした。
それから放課後になるまでの間は特に問題なく過ごすことができた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます