第二話 偽装結婚
第二話 偽装結婚 1
本作は「救済と執着」をテーマとしたフィクションです。
強い独占欲や歪んだ愛情、心理的に負荷のかかる描写を含みます。
特定の思想や行為を推奨するものではありません。
――――――――
夕方六時を回ったが、まだ外は明るい。夏至が過ぎたばかりで、今が一番昼が長い時期だ。
窓の外を見ながらそんなことをぼんやり思っていると、かちゃり、と音がして、リビングのドアが開き、貴臣が入ってきた。
「今日は早いね」
カイトがのんきな声で貴臣に声をかける。
「夜、相談すると言った。込み入りそうだったから、約束を果たすために早く帰っただけだ」
普段の口数を考えると、ずっと数の多い貴臣の言葉に、意外だと言いたげにカイトは片方の眉を上げる。
貴臣も、そんなカイトの仕草に気が付くが、あえて黙殺した。
買ってきたアイスコーヒーのカップをダイニングのテーブルに置くと、ネクタイをゆるめそのままダイニングチェアに座る。
昼間に、カイトから「事情あり娘。家にはやはり帰れなさそう」という簡単なLINEだけは受け取った。事情が分からないじゃないか、と短く返すと、「事情持ちにとって、一番いやなことは事情を探られることだろう?」と返ってきて、貴臣もあまりの正論に沈黙をせざるを得なかった。
そう。貴臣もカイトも、事情持ちだ。だからこそ、紗奈の「事情」に、二人とも敏感なのだ。
貴臣は、リビングで所在なげにしている紗奈を見つめる。
「紗奈、と言うんだな?」
これも、カイトからの情報。都内の公立系の理系の大学2年生、までは把握済みだ。
おびえたようにうなずく娘を見て、貴臣は短く息をついた。
「昨夜のあの状況から考えれば、家に帰りにくい事情があるのはわかる。俺も事情は詮索しない。ただ、今後どうするかは、考えなければらない。君はどうしたい?」
詰問調の貴臣の口調に、紗奈は固まったように動かなくなる。
貴臣も自分のこの口調が相手を威嚇し、結果委縮させることはわかっている。
だが、変えられない。
天を仰ぐと、カイトに視線を移す。カイトはやれやれ、と言いたげに肩をすくめると、紗奈に向き直った。
「あの人あんな口調だけど、しゃべってるだけ、だいぶん優しいんだよ。そんな硬くならないで。って言っても、無理だよねぇ。見た目も怖いし」
あまりの言いように、貴臣は思わずカイトを睨みつける。が、カイトはどこ吹く風、と言う顔をして質問を続けた。
「当面、明日どうするか決めない?明日も大学で実験?」
「実験、というコマはないけど、今日の分を取り返さないと。あと、普通に授業も」
「ふーん。今、教材全然ないと思うけど、家に取りにいかないといけないよね?」
「教材は、家に置いておくと汚されたり捨てられたりするから、大部分は大学のロッカーと、後は信頼できる友人に預けているんです。だから、教材は心配ありません」
そこまで自衛をしないといけない家庭環境とは何なのか。
紗奈の当たり前のように語る様子が、真実味をもって悲惨な境遇を突きつける。
一瞬言葉の接ぎ穂を見失ったカイトだが、立て直して質問を続ける。
「なるほど。あとは、服だね。その服で、行ける?」
紗奈は思わず自分の姿を見下ろす。
“そういうこと“込みのディナーに向かったときの服装。母親に逃げ出すつもりがないことをアピールするためにも、露出度高めの服で出てきたから、この格好では学校に行きにくい。
「あの、難しいです」
「家に取りに帰れる時間はある?」
「これからお店に出勤する、とは思いますが……」
濁す語尾で、貴臣もカイトもすべてを察する。
「服は女の子にとって死活問題でしょ?取りに行けないなら、買いに行こうよ」
こともなげに言い放つカイトの言葉に、紗奈は一瞬、息が止まった。リッチな室内のしつらえと、窓越しに広がる東京湾の夕日に照らされる絶景。それらを「当たり前」とに消費しているこの二人の財力に、紗奈は力なく笑うしかなかった。
紗奈にとって、一着の服を新調するのは一大事業だ。限られた予算の中で、流行を追いながらも「長く着回せるベーシック」を死ぬ気で厳選しなきゃいけない。そうでなければ、あっという間に「ダサい子」扱いになり、仲間内で相手にされなくなる。そんな必死な紗奈のやりくりを、「なければ買えばいい」という無頓着に言える二人には伝わらない。いや、伝えられない。
喉の奥に、また熱い塊がせりあがる。
「親は子を愛するもの、だから感謝しなきゃ」なんていう、あの逃げ場のない猛毒に比べれば、この圧倒的な格差なんて、かすり傷みたいなものだ。傷つくほどのことではない。
だから、泣いてはいけない。目に力を込めてやり過ごしながら、紗奈は言葉を絞り出す。
「そういうわけ、には」
昨日会ったばかりの他人だし。
直接言えないその言葉を、何とか言外に漂わせて最小限の言葉を何とか絞り出す。
いっそこの人たちの「桁違いの余裕」に、跡形もなく飲み込まれてしまいたい。
そんな、身の程知らずな甘い期待を押しつぶすように、喉の奥の衝動を飲み込んだ。
そんな紗奈の気持ちを感じ取ったのか、カイトが「気にしないでよ」と言おうとして口を開いた瞬間。
「では、結婚するのはどうか?」
貴臣の爆弾発言が部屋に響いた。
は?けっこん?
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