【5】千鳥と空人、意外な親子――愛弟子たち

「なんでライセンス取ってねえんだよ、サイファーしたかったのに」

「今年再受験なんだこのノンデリが」

「あー? ド初対面で人を三流呼ばわりしといて自分だけ被害者ムーブですかそうですか」

 もはや十年来の悪友かのように言い合うふたりに、天雫がついてくる。サンライズでの舌戦では飽き足らず、千鳥の営業先であるバー「ナイトフォールズ」に同行することになった。ヴァイオリンさえあれば一撃でねじ伏せてやるものを、と思う。食器を抱えていた天雫に「貸しなよ」と言って自然に引き受けるあたり、まったくの無神経というわけでもなさそうだ。花火だと思っていたTシャツの柄が、観覧車らしいことに気づいた。流星のような銀色のライン。

「こういうの、はしごっていうんだよね」

「メンツが滅茶苦茶だがな」

「いーじゃん、トンデモな出会いを祝して飲むってのも」

 千鳥によれば、ナイトフォールズのオーナー兼店長(美也子と同じだ)はトロンボニストで、アマチュアオケの指揮もこなしているそうだ。スタッフも全員が何らかの演奏活動を行っているらしい。バーと謳ってはいるものの、実態としてはライブレストランに近い。千鳥ももちろんたびたび顔を出し、ピアノを演奏しているようだ。

「バイトがひとり辞めちまったばっからしいから、雇ってもらえんじゃね? 店長に紹介してやっからさ」

「ほんと? ありがとう、千鳥さん」

「いーよ、千鳥で。そんかわりおまえも今度歌えよ?」

 天雫と千鳥も打ち解けつつある。音楽という周波数帯で生きている者同士、チューニングしやすいのかもしれない。ナイトフォールズのドアを開けると、名の通りとたんに夜の帷が降りてきた。光量を絞られたペンダントライトの下、深く濃密な、けれどどこか親しげな闇に洗われる。奥まったステージに鎮座するピアノ。壁にもイベントのポスターが数枚貼りだされていた。スタッフは腰に揃いのサロンを巻いて給仕をしている。隠れ家というにはどこか開放的で、密やかな空間だった。

「千鳥」

 聴き慣れた声が覚えたばかりの名前を読んで、一瞬、聴覚がバグったのかと思った。しかしカウンターには、やはり伊藤空人そのひとが軽く手を挙げていた。凜をみとめてわずかに目を瞠る。

「あれ、凜ちゃんも一緒か?」

「――空人さん」

「なにやってんだおまえ、ナンパか?」

 千鳥に向けた口調があまりにも砕けていて、単なる教え子でないことはすぐにわかった。

「ちげーわ、あんなバチバチのナンパあってたまるか」

「すごい取り合わせだな」

 空人の隣には風雅もいた。長い髪に隠れがちな左耳のスタッドピアスが、控えめに赤く光る。

「千鳥のお父さん?」

「そそそ、愚父ですが」

「愚息ですが」

 千鳥と空人は二人揃って、演奏を終えた時のようにかしこまったお辞儀をする。顔立ちはまったく似ていないが、底流には非常に似通ったものを感じる。不思議と派手に見える白のアウター、柄物を好む習性。しかし、それならば。

「千鳥、知っていたな?」

「空人がムトウリンの伴奏してるってことだけな。たまたま声かけたやつが“そう”だっただけだよ」

「やっぱナンパじゃねぇか」

「ちげーよ、サイファーしてたんだ。聴いたからには、これからピアノっつったら楽しくて華やかな俺の音を思い出してほしいじゃん? 難しい顔してるヤツ見かけたら、声かけるのが流儀な訳。ほら、こいつとかさ」

「それはありがとう」

 悪びれる様子が一切ないのがいっそ爽快だった。絡まれ慣れているらしい風雅がさらりとあしらう。

「ごめんな凛ちゃん、うちのバカと遊んでもらっちまって」

 当然のように間に入る千鳥が、じゃれつくように空人のシルバーのコードタグに手を伸ばした。

「それよりそろそろ俺のもアプデさせろや、だいーぶ年季入ってきてんぞ?」

「いーからおまえはそれ持ってろや。プレミアもんだぞ」

 2枚発行されるコードタグのうち、1枚は予備だ。「再発行用の情報」が打たれており、IDとしては用をなさない。そのため他者に預けたり、交換して所持することが黙認されていた。やりとりから察するに千鳥がつけているうちの1枚は、更新前の空人のブロンズタグらしい。デザインが異なるのはそのためだろう。店長が気を利かせてテーブル席に移してくれた。向かい合った恩師に訪ねる。

「空人さんは、ハーメルン事件の……当事者だったのですね」

「ああ、聞いたのか? そうだよ」

「……なのにどうして、わたしの伴奏を?」

 なんでもないように、空人は微笑んだ。

「言ったら遠慮するかと思ってな。……なにより俺は武藤聖二の娘じゃなくて、武藤凛の伴奏者なんでね」

 温かな波紋が、胸から指先にまで広がった。横顔で会話を聴いていた千鳥が、誇らしげに口角を上げる。千鳥と風雅。そして、空人のもうひとりの愛弟子である自分。あのまろやかなピアノを庭として遊んでいた自分たちを、ともに育った幼馴染みのように感じた。武藤の名がそこに混ざるのは、いささか厚顔無恥にすぎるとわかってはいても。

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