第48話 本音
夜の空気は、少しだけ冷えていた。
窓の外は暗く、街灯の光がぼんやりと滲んでいる。
部屋の中は静かで、さっきまでの空気がまだ残っていた。
美波は、その場に立ったまま動けずにいた。
――離れたくない。
自分の口から出た言葉が、まだ耳の奥に残っている。
引き返せない。
もう、なかったことにはできない。
視線の先には、北斗がいる。
さっきと同じ距離。
でも、さっきとは違う。
逃げていない距離。
沈黙が落ちる。
でも。
さっきまでの重さはない。
ただ、言葉を待っている空気。
北斗はゆっくりと息を吐いた。
「……分かってた」
ぽつりと、言う。
美波は少しだけ目を見開く。
「……え」
「なんとなく」
視線を外さずに続ける。
「気づいてた」
その言葉に、胸がざわつく。
気づかれていた。
全部。
自分が隠していたつもりのもの。
「……なんで」
小さく聞く。
自分でも分からない質問。
北斗は少しだけ間を置いた。
「距離」
短く言う。
「変だったから」
それだけ。
でも。
十分すぎる理由だった。
美波は言葉を失う。
あの不自然さは、やっぱり伝わっていた。
隠せていなかった。
隠しきれなかった。
「……俺も」
北斗が続ける。
少しだけ、声が低くなる。
「分かんなかった」
正直な言葉。
「どうすればいいか」
視線が、ほんの少しだけ揺れる。
それでも、逸らさない。
「近づいていいのか」
「離れた方がいいのか」
一つずつ、言葉にする。
そのどれもが。
美波の中にもあったものだった。
「……同じだ」
小さく呟く。
自然に出た言葉。
北斗は少しだけ頷く。
「だろうな」
それだけ。
でも。
ちゃんと通じている。
沈黙が戻る。
でも、怖くない。
むしろ。
少しだけ、安心している。
「……あのさ」
美波が口を開く。
声が少しだけ震える。
「なんで、こんなに怖いんだろ」
本音だった。
飾らない言葉。
北斗は少しだけ考える。
すぐには答えない。
それから。
「大事だからだろ」
短く言う。
その一言で。
胸の奥が、強く揺れた。
「……大事?」
聞き返す。
確かめるみたいに。
「壊れたくないから」
続ける。
「なくしたくないから」
それだけ。
でも。
全部、含まれている。
美波は何も言えなかった。
その言葉が、まっすぐすぎて。
逃げ場がない。
でも。
逃げたくもなかった。
「……私も」
小さく言う。
「そうかも」
それが、正直な答えだった。
沈黙。
でも。
さっきまでとは違う。
同じ方向を向いている沈黙。
「……なあ」
北斗が言う。
「なんだ」
「一個、いいか」
少しだけ間を置く。
それから。
「無理に離れなくていい」
はっきりと言う。
その言葉に、息が止まる。
「……でも」
反射的に出る。
不安。
「バレたら終わるし」
現実。
「分かってる」
北斗がすぐに返す。
「だから考える」
短く。
迷いなく。
「どうすればいいか」
その言葉に、少しだけ救われる。
「……一人で?」
思わず聞く。
北斗は首を振る。
「一緒に」
それだけ。
でも。
それが一番欲しかった答えだった。
胸の奥が、少しだけ軽くなる。
完全じゃない。
でも。
確実に。
「……うん」
頷く。
ゆっくりと。
それでよかった。
今すぐ全部決めなくていい。
でも。
一人じゃない。
それだけで、十分だった。
少しだけ距離が近づく。
ほんの一歩分。
でも。
意味は大きい。
触れない。
でも、離れない。
その位置。
「……さっき」
北斗が言う。
「なんだ」
「離れたくないって言ったろ」
一瞬、顔が熱くなる。
でも、逸らさない。
「……うん」
「俺もだ」
短い言葉。
でも。
それ以上は必要なかった。
胸の奥が、強く鳴る。
でも。
苦しくない。
さっきまでとは違う。
ちゃんと、あたたかい。
言葉にした。
隠していたものを。
逃げていたものを。
それでも。
壊れなかった。
むしろ。
少しだけ、強くなった。
その事実が、何より大きかった。
夜の静けさの中で。
二人の距離は、確かに変わっていた。
曖昧だったものが。
少しだけ、はっきりと形を持ち始めていた。
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