第73話『これは賭けだな』

第73話『これは賭けだな』


 研究室へ戻ってから、しばらく経った。

 火傷の痛みはまだ残っている。

 でも、それ以上に。

「……反省しないとな」


 ぼくは机へ向かいながら、小さくつぶやいた。

 今回の失敗。

 原因は色々ある。

 ひょっとこが一枚上手だった。

 予想以上に賢かった。

 魔物を利用してくるなんて思わなかった。


 でも――。

「結局、一番の原因はぼくだよね」

 ぼくは椅子へ座る。

「シンプルに調子に乗ってた」

 レベルが上がった。

 Aランクを倒した。

 危険を切り抜けてきた。

 そういう経験が積み重なって。

 いつの間にか。

 自分はやれる側なんだって、勘違いしていた。


「……天狗になってたんだよね」

 ぼくは苦笑した。

「だから、もう油断しない」

 机の上の資料を見る。

「次は万全を尽くす」

 でも。

 相手はAランク。

 安全策だけで勝てる相手じゃないのも事実だった。


「……無理をしないと勝てないんだよなぁ」

 ぼくは深く息を吐く。

 その時。


「きゅっ……」 

 視線を向ける。

 ラビノコは、もう床で丸くなっていた。

 今日はかなり疲れたんだと思う。


「あっ、ごめんね」

 ぼくは慌てて立ち上がる。

「今日は疲れたよね」

 ラビノコをそっと抱き上げる。

 少し眠そうに目を細めていた。

 ぼくはそのままベッドへ運び、毛布を掛ける。

「おやすみ、ラビノコ」


「きゅ……」

 小さく鳴くと、ラビノコはすぐに眠ってしまった。


「……さて」

 ぼくは再び机へ戻る。

 まずは、ひょっとこの能力を整理する。

 感知メガネ。

 軟体生物図鑑。

 他の資料。

 全部を見返す。


 でも――。

「……これ以上は載ってないか」

 ぼくは椅子にもたれた。


 擬態。

 知能。

 乾燥に弱い。

 そこまでは分かった。

 でも、決定打になる情報が足りない。


「まぁ、そりゃそうだよね」

 ぼくは苦笑する。

「情報にも限界はあるか」

 そこで。

 ふと、ぼくは思い出した。

「……じゃあ、あのフナムシは?」


 ひょっとこ本体じゃなく。

 あの大量に集まってきた魔物。

 あれを調べれば、なにかわかるかもしれない。

 ぼくは感知メガネを操作する。

 すると。

「……あっ、出た」

 情報はすぐ表示された。


――――――――――――

 名称:ロックフナムシ

 種族:甲殻魔虫

 分類:群生型

 ランク:Eランク

――――――――――――

 特徴:

 岩場や海岸付近に生息する小型魔物。

 臆病な性格で、普段は物陰へ隠れている。

 腐肉や食べ残しを好む。

 基本的には戦いを好まない。

――――――――――――

 弱点・対処法:

 熱と乾燥に弱い。

 強い威圧や大型魔物の気配にも弱く、通常は自ら近寄らない。

――――――――――――


「……Eランク?」

 ぼくは眉をひそめる。

「しかも、戦いを好まない?」

 おかしい。

 昨日のあいつらは、完全に襲ってきていた。


 しかも。

「ぼく、猛獣のたてがみ付けてたんだけど」

 Eランク程度なら、普通は逃げる。

 近寄ってくるはずがない。

「……ってことは」

 ぼくはゆっくり整理する。


「ひょっとこが命令した?」

 ぞわり。

 嫌な予感。

「それ、かなり厄介じゃない……?」

 擬態だけじゃない。

 周囲の魔物を利用する知能まである。


「……待てよ」

 その時。

 ぼくの思考が止まる。

「それなら」

 ひょっとこに擬態させなければいいんじゃ?

 ぼくは勢いよく立ち上がった。


 あの熱湯作戦。

 あれ自体は悪くなかった。

 実際、擬態は崩せた。

 問題は、そのあとだ。


「でも、あれだけじゃ足りない」

 ひょっとこは海へ逃げた。

 しかも、擬態を切り替えた。

「じゃあ、どうすれば……」

 ぼくは考える。

 その時。


「あっ」

 ぼくは急いで調理室へ向かった。

 棚の奥。

 そこには、食材の下処理方法を書き留めた紙束がある。


 魚。

 貝。

 キノコ。

 魔物肉。


 そして――。

「タコの下処理……あった!」

 ぼくは紙を掴む。

 そこには、こう書かれていた。

『塩や片栗粉をまぶし、よく揉み込むことでぬめりを落とせる』


「……おぉ」

 ぼくは目を見開いた。

「これだ」

 ぬめり。

 ひょっとこの擬態の鍵。


 だったら。

「まず塩と片栗粉をぶちまけて、ブラシかなんでこすって、そのあと大量の熱湯をかければ……!」

 ぬめりが落ちる。

 擬態も封じられる可能性が高い。


「……でも」

 ぼくはすぐに表情を曇らせた。

 それでも。

 前回みたいに海へ逃げられる可能性はある。

 そもそも、ぬめりが落ち切る前に別の擬態へ切り替えられるかもしれない。


「どうする……?」

 ぼくは頭を抱えた。

「これじゃ、前回の二の舞だ……」

 研究室が静かになる。

 時計の音だけが響く。

 ぼくは机へ突っ伏しながら考え続けた。

 どうすればいい。

 どうすれば、あのAランクに勝てる。


「……」

 そして。

 しばらくして。

 ぼくの頭の中で、ひとつの案が繋がった。


「……あっ」

 ぼくはゆっくり顔を上げる。

「そうだ」

 その方法なら。

 擬態も封じられる。

 海への逃走も止められる。


 でも――。

「……危険だな」

 成功すれば大きい。

 失敗したら終わる。

 ぼくは静かに息を吐いた。

 そして。

 机の上に広がる資料を見ながら、小さく笑う。


「……これは、賭けだな」

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