報復制度⑧

 息が、詰まる。


細胞のひとつさえ、動かせないようだった。


私の意識とは関係なく、声のするほうを向いた。


――目に飛び込んで来たのは〝壁〟だった。


私より頭ひとつ分は背が高く、やや猫背。


落ち着いた色の服を着ていて、色白。


どこにでもいそうな、ありふれた雰囲気。


――この顔を、私は知っている。


東条継人だ。


彼は、私を覗き込むようにこちらを見ていた。


「……聞こえてんのか?」


私の心臓はようやく動き出す。

だが、うまく声が出せない。


目の前にいるのに、わからない。


探し出せたことが、嬉しいのか。

この状況が、恐ろしいのか。


それすらも、判断できない。


「なんでもないなら、退いてくれる?そこ、俺の家だから」


私は、何をしに、ここまで来たんだ。

そう思ったとき、喉の奥で詰まったままだった言葉が流れた。


「あの!私、この前、ええと、十一月三日にひったくりから助けてもらったものです!」


少しの間、彼は怪訝そうな表情をしたあと「ああ」と小さく声を漏らした。


「で?何しに来たの?空き巣じゃないなら帰んなよ」


伝えたいことを、思い出した。


「あの、この間、きちんとお礼ができてなくて。あなたがいなかったら、私、あのまま殴られた上に、バッグも奪われてたと思うんです」


自分の声で、少しだけ冷静さを取り戻した。


「だから、改めて、ありがとうございました」


再び彼は変なモノを見るような目で私を見る。

内容はわかったが、こんな世の中でわざわざお礼を言いに来るヤツの神経がわからない。

そんな目だった。



――今、何か、変じゃなかったか。



今、彼は、何と言った?



と言ったのか?



とてつもない違和感に、私は思い出す――

目的がお礼を言うことだけでは、なくなっていたことを。


「……あなたに、聞きたいことがあります。東条継人さん」


ようやく別の表情を見せる。

だが、目を丸くした理由は


「あの日、私は、あなたが助けてくれたんだと思っていました」


確信に変わりつつある今でも、そう信じていたい。


息を吐いた。


「あなたは


――信じたくない。

私は助けられたのではなく、ただ、


「家の鍵も……わざと開けてますよね」


この人はきっと


「今日も、私が家に入って、『住居侵入罪』になるのを待っていた」


それでも、まだわからない。


「あなたは……どうして


罪は違っても、被害者を経験した私は、彼の気持ちが理解できない。


被害者になるのは、それがチケットで支払われるとしても、絶対的に不快だ。


すぐに報復できる力があれば、それを行使できるだろう。


――だが、私にはそれがない。


チケットが配布されたところで、なにもできない。


あの運転手さんのように〝お守り〟のようなものとして、持つ人間もいるだろう。

あるいは、被害を受けて、同程度の〝ちょっと悪いこと〟をしてみる人間もいるだろう。


チケットの価値は人それぞれだ。


けれど、この人は――


「それで?」


彼はフッと短く息を吐いて言った。


「え?」


私のことを見下ろしたまま続けた。


「俺がアンタの受けるはずだった被害を受けてやったんだ。それでアンタは助かった。バッグも取り返した。おまけにチケットも配布された。それでいいんじゃないの?」


理屈は、わかる。

だが、感情はどうなる。


「正義は……無いんですか?」


気が付けば私は視線を落としていた。


何か、芯の通った理由があるのなら。


彼の支えとなる何かがあるのなら。


それでもいいと思えた。


「……チケット与えてでも、危害を加えたいヤツ。被害を受けても、許せるヤツ。正義なんて曖昧な言葉、この世から無くても、誰も迷惑しないだろ」


堪えていた。足元から崩れそうだ。


「じゃあ、あなたはどうしてそこまで――」


言いかけて理解した。


「……集めているんですか……?チケットを……」


気付いた瞬間。

目の前の人間のことが、一層わからなくなった。


彼は「ハッ!」と笑い声のような声を発した。


「いや、すごいな。やっぱり使は」


心から感心したように言う。


「で?アンタは何をしにここまで来たの?それだけ聞きに来たわけじゃないだろ?俺の何を知りたいのさ」


私は何を知りたかったのだろう。

私は――


「……私は、あなたを助けたかったのかも、しれません」


彼はすぐに、元の無気力な顔でこちらを見る。


「私は数年前、痴漢の被害を受けました。すごく嫌だったし、怖かった。でも、気が付いても、誰も助けてくれないんです」


真っ直ぐに、彼を見てから、続けた。


「だから、結果的に違っても、あなたが助けてくれて本当に嬉しかった」


お礼のためだった。


だからこそ、わからなくなったんだ。


「助けてくれたわけじゃないけど、あなたがあの時、被害を受けていたのもわかりました」


映像を見て動揺したのは、助けられたのではない、と確信したから。

それだけじゃなかった。


だった。


そして、この人がチケットを集めるために、犯罪に巻き込まれに行っていることもわかった。


だが――


「でも……犯罪は、起きてはいけないんです。犯罪が起きる前に防止できる世の中にならないと、何も変わらないんです」


いくらチケットで取り繕っても、犯罪は、犯罪だ。


「だからこそ、思いました。被害者である、あなたも助けたい。と」


それが私の本心だった。

そして――


「それがきっと私の……正義です」


絞りだした言葉だった。

言いながら、私は、ようやく自分の気持ちを知ることができた。


気が付くと、継人も真っ直ぐこちらを見ていた。


「そ。わかった。で?具体的にどうやって助ける?俺の邪魔しないことが、一番の助けになるってわかってる?」


言葉が詰まる。


そして、再び下を向いてしまった時だった。


「アンタから今日、被害を貰うのは無理だってわかったから、帰んなよ。別に家もバレてるし、気が向いたら話くらい聞いてやってもいい」


「でも」と言いかけて、彼は私の頭の上から手を伸ばし、自宅のドアを掴んだ。


「じゃあな」


無意識だった。

閉じていく扉を手で押さえた。


彼の目が、ほんのわずかに開いた。


――違う。


それだけは違う。


チケットを集めて、何かを実行しようとしている。


――でも、違う。


現実的じゃない。


復讐で配布されたチケット以外でをやった人がいるなんて、聞いたことがない。


私は唾を飲み込んだ。


「……何枚まで集めるんですか」


絶対に、違う。


彼の目線が、私から外れた。




「……十万枚」




〝バタン ガチャ〟



扉が閉じ、鍵の音が私の胸を突き刺した。



チケット十万枚を使用すれば可能な犯罪は――



――〝殺人〟だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る