第20話


 花火大会開始まで、あと5分。

 この水が濁っていて、普段は見向きもされないような川の畔に、沢山の人だかりができている。

 わたしは焼きそばを、何かに追われているように早食いしてしまって、今はそんな人だかりを眺めている。


「ねえ、凛奈……。あともう少しだね」

「あと四分」


 さきほど真愛明が変なことを言ったからというもの。真愛明の方を振り向くことができない。

 真愛明は花火が打ちあがる瞬間に、何かをわたしに告げるらしい。これが男女ならば、よくある告白イベントとしても捉えられるが、女同士な上、わたしと真愛明はそういう雰囲気ではなかった。


 いや、まてよ。そもそも、真愛明が異常なほどわたしに喋りかけてくるのは、わたしの事が好きだから……?

 そんな事はありえない。こういう妄想は、陰キャがよくすることだ。実際、わたしは陰キャか……。


「ねえ、真愛明。焼きそばの器捨てて来るよ」

「え? いいの? じゃあよろしく。ありがとね」


 話しぶりはいつも通りなのに、頬は火照っているし、体は普段よりも固まっている。

 わたしは真愛明から焼きそばの器を受け取り、公園へ上がる階段の下にあるごみ箱へ足を進める。ほとんどの人が、花火を観るためにその場に留まっていて、歩く人はだいぶ減ってきた。

 そのせいで、……せいでというのは酷いかもしれないが、凛乃と遭遇してしまった。


「あ、凛乃。凛乃もゴミ捨て?」

「お姉ちゃんも、ゴミ捨てみたいだね。藤花さんとのデートはどう?」

「デートじゃないし」

「知ってるって。ちょっと揶揄っただけ」


 凛乃がくすくすと笑う。凛乃は優秀な人間で、きっと真愛明に近いタイプの人間だろう。つまり、わたしの嫉妬の対象でもある。ただ、実妹に嫉妬だなんて子供らしいな、なんとも考えて、最近なるべく嫉妬心を出さないで接するように心がけている。

 それにしたって、こうやって明るい雰囲気で、真面目で、それでいてわたしのような人間に構ってきては揶揄ってくるところも…。本当に真愛明とよく似ている。


「それにしても、お姉ちゃんも祭りに来るとはね。正直想定外」

「本人を前にして言うのは、失礼だと思わないの?」

「思わないよ。だって、お姉ちゃんだもん」


 確かに、わたしは凛乃に対してどこか甘いところがある。嫉妬心を持っていながら甘い、なんて変な感じだが、本当にわたしは甘い。案外わたしはお人好し…とまでは言えないけど、人の頼みや発言を拒みきれない所があるのかもしれない。


「あ、けどもたもたしてると花火大会始まっちゃうね。お姉ちゃん、また家でね」

「そうだね。また」


 わたしは焼きそばのパックをゴミ箱へ入れる。

 別に深い理由があるわけではないけど、わたしは駆け足で真愛明のもとへ向かった。歩いても全然間に合うのに。自分でもよくわからない。

 夜の暗い光がわたしを包み込む。向かった先にいる真愛明は、不思議と昼間のように明るく見えた。


「あ、凛奈。もう始まるよ? ほら、座って」

「……立って花火観ない?」

「え?」


 自分でも何を言っているのだろう。やはり、さきほどからわたしの様子がおかしい。自分でも思っていないような事を口に出してしまう。花火なんて、座っていても、立っていても変わらないのに。


「うん、いいよ。凛奈の頼みなら何でも応えちゃう」

「……なにそれ」

「なんだろね」


 真愛明は朗らかに笑った。なぜだろう。彼女の顔を見ていると、そのことで頭がいっぱいになって……駄目になってしまいそうだ。


 花火が大会が始まるまで30秒。30秒なんて本当に一瞬だ。


 普段の風と水流の音しか聞こえなさそうな川なのに、今日はすごくうるさい。そうだというのに、人声より遥かに小さいはずの真愛明の息音が鮮明に聞こえた。それと同時に自分の鼓動もまたうるさい。何か大事なことをわたしに訴えかけているようだ。

 こんなどうかしている自分を落ち着かせようと、何度も深呼吸を続けるが、一向に落ち着きそうにない。

 落ち着かないまま花火大会が始まった。


 周りには三脚を地面に立てレンズと睨めっこする人、スマホを構える人、花火を待ちわび夜空を見つめる人、様々だ。それでもほとんどの人は花火を観ようとしている訳で、日本人は本当に花火が好きなんだなと思った。


「あ、藤花。花火打ちあがるよ」

「……そうだね」


 真愛明が柔らかく微笑むと、花火が放たれ始めた。

 夜空の中で煌めく星々を隠すように、花火が大きく咲き誇る。横を振り向くと、そこには顔を真っ赤にして、体がガチガチに固まった真愛明がいた。


「あのね、凛奈。……わたしの事、嫌いにならない?」

「元から嫌いだし」

「……ありがとう。凛奈はそうだったよね」


 なんで感謝されたのかはわからないけど、とりあえず良い返事ができたようで、真愛明は肩の力が少し抜けたように見えた。


「わたし、凛奈の事が好きなの!」

 その言葉が告げられた瞬間、わたしの世界が止まった。あんなに大きな花火の音でさえ、今のわたしの耳には入らなかった。

 彼女の声と、自分の心臓と呼吸の音だけが聞こえる。


 驚きの余り、「え……?」という困惑の声しか出せない。真愛明は勇気を振り絞ったのだと思う。そもそも同性同士だし、相手は友達も少なくて敵意剥きだしのわたしな訳だし……。


「なんで? って顔してるね」

 彼女の言う通りだ。顔に出ているのかはわからないが、実際わたしはそう思っていた。

 ただなんだろう。彼女から綴られる言葉自体には余裕がありそうなのに、声は震えているし、目からは涙が零れ始めていて、実際は余裕のよの文字もない。

 こんな真愛明、初めて見た。もしかしたら今後一生見る機会が訪れないかもしれない。


「わたしはね。昔からずっと良い子として生きてきた。それだから、人に敵意を向けられることなんてなかったの。けど、凛奈だけは違った。わたしに対して対抗心剥きだしで、その上わたしの事を嫌いだなんて……。最高にどうかしてるよ」

「……それ、好きな人に言うことかな」

「どうだろ。けど、わたしはそういう、自分の強さをひたむきに追い求める凛奈が好きなんだよ。凛奈、すごい努力家じゃん。もっと自分のこと、誇ってもいいんだよ?」


 真愛明からは大量の涙が溢れている。そんな彼女の姿が見てられなくて、鞄からハンカチを取り出した。


「藤花、顔びしょびしょだよ。ほら」

「ありがとう!……凛奈だって泣いてるじゃん」


 「凛奈だって泣いてるじゃん」、その言葉によってわたしは初めて、自分の感情に気が付いた。

 わたしは嬉しかったんだ、彼女から告白されて。

 別に人から好意を向けられるという事はだれしも嬉しく感じるだろうし、わたしも真愛明の事が好きだから嬉しい、とは断言できない。

 それなのに、わたしの心臓は、大きな鼓動を打ち鳴らして「本当はどう思ってるのさ」とうるさく訊いてくる。何度も何度も。


「……わたしはティッシュで拭くから」

 これがわたしの口から出せる最大の言葉だった。ハンカチは一枚しか持ってきていなかったから、こうするしかない。


「うん、ありがとう。……わたしのハンカチもあったんだけどな」

「もういいよ。それ使って」

「凛奈って、意外と考えを抜かすことあるよね」


 彼女のこういう、わたしを弄るような言葉に対して、いつも腹立てている。今だって何も思わなかった訳ではない。ただ、それ以上にもっと綺麗で幸せな感情がわたしの中を渦巻いていた。


「ねえ、真愛明はそれでどうしたいの?」


 わたしはさきほどの彼女の発言を無かったことにして、そう静かに訊いた。すると、彼女はボソッとこういった。


「わたしと付き合って」


 多分、そう言っていた。ただ、あまりに小さな声だったから確証が持てなくて、わたしは「ごめん、もう一回言ってくれない」と言ってしまった。

 もし本当に付き合って、と言っていたなら、今のわたしの発言は最低だ。恋愛に対して疎い自覚はあるけど、それでも流石にわかる。こういう所で、自分に友達ができない理由が明るみになってしまう。


「もう! 付き合って、って言ったじゃん! 二回も言わせないでよ……恥ずかしいじゃん」


 本当に告白だった。わたしは何と答えれば良いのかわからなくなった。彼女の告白を受け容れることだって、逆に断ち切ることだって可能。可能だというのに、どちらもする気にならなかった。

 彼女の顔は紅潮しきっていて、今にも爆発してしまいそうだった。わたしだってそうだ。


 どうやら、わたしは人からの好意を受け止めることが苦手らしい。15年近く生きていて、初めて知った衝撃の事実だ。


「……ごめんね? 別に、今返事しなくなって」

「いや、ちょっと今考えさせて、花火大会が終わるまで、待って」


 待って、これは何とも我儘な願いだ。明確な期間を設けることで、その苦しみを誤魔化そうとしているが、間違いなく真愛明にとって辛いことだろう。

 だって、待って欲しいということは、その人の頭の中に断る選択肢があるということじゃないか。

 本当は辛いはずなのに彼女は優しく笑った。


「うん、待ってる」


 彼女はハンカチを一回強く目に擦りつけ、それを右手に握り締めたまま、夜空を見上げた。わたしも連動するようにまた夜空を眺める。

 色とりどりの花火が黒一色の夜空を彩る。

 花火の音が鳴り、火花が散る音が聞こえると同時にわたしの体に寒気がさした。横に振り向くと、そこには凛乃がいた。なぜだろう、凛乃は不満そうな表情をしていた。


「おかしいじゃん!」

「え?」


 凛乃が突然大きな声を出すものだから、真愛明も横を振り向いた。


「藤花先輩、おかしいよ! なんでお姉ちゃんなんかを好きに……!」


 その発言が放たれたとき、真愛明の表情は急に苦しそうなものになった。


「凛乃っ!」、わたしは人生初めて、凛乃相手に声を荒げてしまったかもしれない。


「おかしくなんか…ない! 人が誰を好こうが自由じゃん! そのことをわたしや凛乃がとやかく言う資格はないじゃん!」


 わたしは凛乃に鋭い視線を向ける。

 凛乃の事が、初めて憎たらしく思ってしまった。真愛明のことを悪く言うのが許せなかった。真愛明のことは嫌いなはずなのに、他人に悪く言われるのは許せなかったんだ。

 こんな想いをぶつけると、凛乃は一歩足を後ろに下げる。


 姉妹喧嘩…というにはわたしが一方的に怒っているようだが、とにかくこの戦いを終わらせたのは真愛明だった。最悪の形で終わらせた。


「……ごめん! 凛奈! 本当にごめん」


 凛奈はハンカチをわたしの右手に手渡しして、泣きながら走っていった。彼女は足が速い。わたしにだって正直追いつけそうになかった。浴衣だというのに陸上選手のような速さだった。


 後ろでは変わらず花火が打ちあがっている。花火大会は一番盛り上がるフィナーレだというのに、わたし達は一番冷え切っていた。


「お姉ちゃん、ごめん! わたし、わたし……藤花先輩のことが好きだったの」

「え?」

「藤花先輩のことが好きだった。それだから、たまたまお姉ちゃんに告白してるのみかけたら、気持ちがぐしゃぐしゃになって理不尽に当たっちゃって……。わたし、本当に最低だ」


 凛乃もまた俯いている。一方わたしは、今起きていることに混乱して、ただ立ち尽くしていた。真愛明を追いかけることも、凛乃を慰めることすらできない。


 花火がわたしを嘲笑しているように感じた。人生で初めて、花火に嫌悪感を持ってしまった。そんな夏祭り。

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