「記憶を売る」という設定そのものが、まずとても惹きつけられます。
けれどこの作品のすごいところは、思い出を売買できる便利で夢のある未来ではなく、そこから先にある不気味さを、かなり冷静な筆致で描いているところだと思いました。
夏休みの楽しい思い出よりも、過酷な労働や恐怖や疲労の記憶の方が高く売れる。
人の苦しみが、教育や研修や労働管理のための「資源」として扱われていく。
その発想がとても鋭くて、読んでいるうちに、感情が数字に変換され、人間の痛みが市場価値として並べられていく怖さがじわじわ迫ってきました。
特に印象的だったのは、語り手の感情が大きく揺れないことです。
悲鳴を上げるのではなく、淡々と査定し、承認し、処理していく。その事務的な冷たさがあるからこそ、この社会ではもう「おかしい」と感じる力さえ削られているのだと伝わってきます。
前編の時点で、記憶の商品化という設定の面白さに引き込まれ、後編ではその仕組みがさらに広がっていくことで、ただの近未来SFでは終わらない怖さがありました。
人間の経験、苦痛、共感、そして自分自身の輪郭までもが管理されていく世界。その静かな残酷さが、とても印象に残ります。
文章も、説明しすぎず、ログや数値や業務文の積み重ねで世界を見せていくのが巧みでした。
感情を直接語らないのに、読み終えたあとには強い虚しさと寒気が残ります。
「感情がただのデータになったとき、人間はどこまで人間でいられるのか」
その問いが、短い物語の中に鋭く刻まれている作品でした。