第6話
あれからさらに一週間が経った。
言葉を教える件については、進んでいないことはないってくらいの進捗。
変わったことといえば、俺にも友達ができたことくらい。
集落に着いた初日からずっと言葉を教えようとしている旧人の若い男――なんとなく心の中で『ヒロシ』と呼んでいるそいつは、五日目を過ぎた頃から俺の隣から離れなくなった。
翌日には、若い女と幼い男の子を連れてきた。ユリアによれば、嫁と子供らしい。
ヒロシは俺を住処に招き入れ、一緒に食事をするようになった。
まあ、腕を引っ張られて無理やり連れ込まれただけなんだが。
ヒロシはにこやかに肉を差し出してくる。枝に突き刺して直火焼きをしただけのもの。
一口噛んで、飲み込む。焦げた匂いが口の中に広がった後、肉本来の旨味がやってくる。味付けはないが、とても美味しい。
「美味いな」
感情に身を任せ、そのまま声にする。
「う・ま・い」
ゆっくり、はっきりと。
ヒロシはただじっと俺の口元を見つめている。嫁も子供も同じように。
もう一度、今度は少し大げさに。
「う・ま・い」
ヒロシは満足そうに頷いて、自分も肉にかぶりついた。嫁も子供も。
それから俺は毎日のように住処に案内され(連れ込まれ)ては、食事を出してもらうようになった。
口に運ぶたびにわざとらしく「う・ま・い」と言う。
ヒロシ一家はそんな俺の様子を確認してから食事を始めるようになってしまった。
なんだか、妙な習慣が出来上がったしまった。
「いい兆しが見えていますね」
一連の出来事をユリアに話すと、そんなポジティブな返答が返ってくる。
「本当かよ」
「ええ。確実に『美味い』という言葉を理解しつつある証拠ですよ」
「じゃあ、もう少しってことか?」
「あと一歩……とまではいきませんが、着実に進んでいるのは確かです」
そんな言葉を信じ、俺は今日もヒロシたちの住処にいる。
なんやかんやで、俺にとっても習慣のようになってしまった。
俺が定位置に座ると、子供が陣取るように隣に座ってきた。
最初は遠巻きにされていたが、いつの間にか心を開いてくれたらしい。
まあ、子供というのはそういうものだろう。
今日出してくれた肉はいつもと違った。表面に黒い煤は付いていないし、しっとりと湿り気を帯びていた。
歯を立てた瞬間、抵抗もなく繊維がほどけていき、熱を含んだ旨味の汁が舌の上に広がっていった。
焦げた匂いも、乾いた硬さもない。代わりに、草と土と肉が混ざったような優しい香りが漂ってくる。
「うまっ!」
思わず大きな声が出てしまい、ヒロシたちが驚いた表情をする。
「あ、ごめんごめん」
咄嗟に謝るが、当然通じてはいない。
すると、子供が口をぱくぱくと開けたり閉じたりし始める。ほんの少し、音が漏れ出している。
「……ま、い」
掠れた小さな声。
そんな小さな声を俺の耳は逃さなかった。
子供は何かを掴もうと、じっと俺の方を見つめている。
だから俺はいつもよりもしっかりと、子供の方に寄って「う・ま・い」と口にする。
「ま、い!」
まだ言葉と呼ぶには怪しいが、確かに言っている。
ずっと前、ヒロシに『クルミ』を覚えさせようとした時よりも、はっきりと。
その日を境に、まるで重い扉が開けたかのように状況はどんどんと変わっていった。
俺が「美味い」と言えば、子供だけでなくヒロシや嫁も「ま、い」と言うようになった。
やがて、食事を口にするたびに自分から「ま、い」と言うようになった。
そしてある昼下がり、いつものように肉を囲んでいると、ヒロシがぽつりと言った。
「……う……まい」
嫁も子供も気に留めていない様子。いつもの「ま、い」と同じように。
あまりにも自然に飛び出したその言葉に、俺も聞き逃してしまいそうになった。
「う……まい」
また一口食べて、ヒロシが言う。
まだ迷いがある。ぶっきらぼうで抑揚もない。でも、確かに。
「う……まい!う、まい!」
今度ははっきりと力強く。
「お前!」
思わず勢いよく立ち上がり、大きな声を出してしまった俺のことを三人は何事かと凝視してくる。
俺は堪えきれず笑ってしまう。嬉しさと達成感とその他諸々が溢れ出して、腹の底から声を出して笑ってしまう。
「そう!そうだ!美味い!」
ヒロシは楽しそうな表情のまま肉にかぶりついては「うまい、うまい!」と連呼する。
それがどうしようもなく嬉しくて、俺も肉を口に運ぼうとした、その時だった。
白い光が俺を包み込む。
優しくて暖かな光が、じんわりと俺の身体の中に染み込んでくる。
ヒロシたちがざわめいた。
「……原園様」
いつの間にか、住処にユリアが立っていた。
「とうとう……とうとう成功したんですね」
「成功……したのか……?」
「ええ……成功です!これで元の世界に帰れます」
息を呑むような静かな声。その声の中に、隠しきれない興奮が滲んでいた。
『帰れる』
その言葉がじんわりと心の中に入ってくる。
俺はヒロシたちの方を向いた。ヒロシも俺のことを見ていた。
「美味かったよ」
ただ一言。
ヒロシは一瞬だけきょとんとした後、今までで一番の屈託のない笑顔で笑った。
「うまい!うまい!」
拙くても、はっきりと分かる言葉。
光が強くなっていく。ヒロシたちの姿がどんどんと白んでいく。
滲む視界の中でヒロシが手を振っているような気がして、俺も小さく手を振ってみた。
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