第二章

第12話 NR

ガラス張りの部屋の向こうでは、人の出入りも端末の操作も絶えず続いていたが、内側まで届いてくる音はやわらかく抑えられていて、デスクに向かっていると外の動きだけが薄い膜越しに流れていくように見えた。


卓上に並んだ画面を切り替えながら、監視局から回ってきた報告を追っていく。

広めに取られたデスクには複数の情報窓が開かれ、地図、時系列、報告欄が見やすい位置に整理されていた。

現場へ渡すべき情報だけを抜き出し、余計な推測を混ぜず、使える形に整える。

それがここでの役目だった。


開かれているのは、セントラルベルト西寄りの区画についての報告だった。

商業施設と飲食店が並ぶ一帯で、不自然な動きをする人物が断続的に確認されている。

対象の特定にはまだ至っていない。

だが、監視だけで流してしまうには少し引っかかる。

表示された地図と報告欄を見比べながら、現場で必要になる情報を頭の中で並べ直していた時、ガラスの向こうを横切る影が視界に入った。


片手にコーヒーを二つ持った男が、そのまま迷いなくこちらへ向かってくる。

入口の認証が開き、男はいつものように部屋へ入ってきた。


「お疲れ」


短く礼を言って受け取る。

男は自分の分を手にしたまま、デスクの画面へ目を向けた。


「リオスさん。捜査依頼です」


そう告げると、リオスと呼ばれた男は、手にしたカップを口元へ運ぶ前に、先に卓上の画面へ視線を落とした。

地図と報告欄を一度なぞるように見てから、短く問いを返す。


「調査隊は」


「まだです。監視局からこちらに回ってきた段階で止まっています。現地確認は、これからです」


リオスは黙ったまま画面を見ていた。

視線が地図の上を滑り、表通りから裏手の搬入路、その先の細い導線へと落ちていく。

長く見ているようには見えない。

それでも、見るべき場所はその短い間にもう整理されているようだった。


「ウェストコア西側か」


「はい。商業施設と飲食店が並ぶ一帯です。不自然な動きをする人物が断続的に確認されています。対象の特定はまだできていませんが、現場確認を入れる価値はあります」


リオスはもう一度だけ画面に目を走らせた。

表通り。

搬入路。

裏通路。

隣接区画へ抜ける細い導線。

地図の上に並ぶ情報は少ない。

だが、追う側にはそれで足りるらしかった。


「範囲は」


「商業施設裏の一帯です。搬入路と裏通路、それから隣接区画へ抜ける細い導線。監視局の報告でも、動きが出ているのはその周辺に偏っています」

「数は」

「不明です。同一人物かどうかも、まだ断定できていません」


リオスは地図の上に落ちた情報を追い、表通りから裏手へ抜ける導線をひととおり見たあと、そこでようやくコーヒーを一口飲んだ。


「昼の商業区画か。人が多いな」


独り言のように言って、視線を画面から外さない。


「紛れるには都合がいい。本格的に動くなら夜から深夜だろうが、昼でも下見や導線の確認くらいはできる」


テオは小さくうなずいた。


「はい。監視局も、今のうちに現場確認を入れておきたいという判断です」


リオスはもう一度だけ地図を見た。長く考え込む様子はない。だが、現場に立った時の動き方は、その時点でもう決まっているようだった。


「監視だけで追うには薄いな」

「はい。ただ、流すには少し引っかかります」


そう答えると、リオスはわずかに視線を上げた。

肯定とも否定ともつかない、続きを促すような目だった。


「人の流れには紛れていますが、要所で少しずつ外れています。立ち止まる場所も、動く位置も整いすぎています。監視局の判断も現場確認優先です」


短いやり取りのあと、リオスはもう一度画面に目を落とした。

それから静かにカップを置き、椅子の背にかけていた上着へ手を伸ばす。


「現場まで二十分ってところか」


独り言のように言って、上着を羽織る。

急ぐそぶりはない。

それでも立ち上がった瞬間、部屋の空気が静かに切り替わった。


テオはすぐに追加情報をまとめた。

周辺導線。

監視カメラの死角。

裏手から抜ける細道。

現場で使うものだけを短く整え、共有先へ流し込む。


「補足、送りました。表通りより、裏側の方が気になります」


リオスは端末に落ちた受信表示を一瞥した。


「確認する」


「自分はこのまま監視を続けます。追加が来たらすぐ回します」


扉の前まで行ったところで、リオスがわずかに振り返る。


「頼む、テオ」

「はい」


それだけで十分だった。

リオスは部屋を出ていき、扉が静かに閉まる。


残された部屋の中で、デスク脇に置かれたコーヒーからまだ細く湯気が上がっている。

テオは端末へ視線を戻し、監視局から回ってきた記録をもう一度追い直した。

薄い。

曖昧だ。

だが、このまま何事もなく消える動きには見えなかった。


エレベーターホールへ向かう足は一定だった。

急いでいるわけではない。

それでも、足を止める理由もない。

扉が閉まるまでの短い間、さきほどのやり取りを頭の中でなぞる。


少しずつ、形になってきている。


自然に浮かんだのは、それだった。


入ってきたばかりの頃は、必要な情報を拾えていても、渡し方にまだ粗さがあった。

報告の順が前後したり、判断の余地を残すところと切っていいところの線引きが甘かったりすることもあった。

だが、今は違う。

何を先に出せば動きやすいかを考えたうえで、余計なものを削って持ってくるようになっている。

さっきの報告も、以前よりずっと流れがよかった。


ただ、それでもまだ完成ではない。

拾える情報も、絞る精度も、詰められる余地はまだある。

伸びているのはわかる。

だからこそ、ここから先が重要だった。


エレベーターが開く。

乗り込み、閉まっていく扉の隙間を見送る。

視界から光が消えるのと一緒に、頭の中からさっきまでのやり取りも静かに引いていった。


昼の商業地区は人が多い。

紛れるには都合がいい。

表の流れと裏の抜け道を重ねて見るには、悪くない時間帯だった。


一階に着くと、そのまま駐車スペースへ向かう。

外へ出た瞬間、昼の光が視界を押し開いた。

車も人も多い。

建物の中にいた時より、街の流れがずっと表に出ている。

商業区画へ向かうには、ちょうど人が厚くなる時間帯だった。


車のロックを外し、運転席へ乗り込む。

ドアを閉めると、外の音が一段遠のく。

エンジンをかけ、共有端末を固定しながら、送られてきた補足を流し見る。

搬入路。

裏通路。

隣接区画へ抜ける細道。

頭の中で現場の形を組み上げるには、それで足りた。


表から入るより、先に裏を見る。

その判断に迷いはない。


車をゆっくりと発進させる。

信号を一つ抜けたところで、もう一度だけ地図を見た。

商業区画までは二十分弱。

考えをまとめるには十分な距離だった。



その日の夜。

ヴェインはトレーニングを終え、シャワーを浴びて戻ってきたところだった。

まだ少し湿り気の残る髪をそのままに、オペレーション側へ足を向ける。

そこで先に気づいたのはイリーナだった。


「ヴェイン」


呼ばれて、ヴェインは足を止める。

イリーナは端末から目を離さないまま言った。


「監視局から要確認案件。セントラルベルト西寄り、ウェストコア外縁よ。現地確認はまだ入ってない」


「内容は」


ヴェインがそう返すと、イリーナは表示された報告欄を見たまま、要点だけを崩さずに口にした。


「商業施設裏で不自然な動きが断続的に確認されてる。対象の特定はまだ。監視だけで流すには弱いけど、切るには引っかかる」


ヴェインはそのまま端末へ目を落とした。

開かれた地図の上には、商業区画の表通りと、その裏手に回る搬入路、さらに隣接区画へ抜ける細い導線が簡潔に並んでいる。

情報量は多くない。

だが、見るべき場所を絞るには十分だった。


「調査班は」


「もう動かしてる。そう遅くはならないわ」


短く確認して、ヴェインはもう一度だけ地図を見た。

夜の商業区画は、昼とは空気が違う。

人の流れはまだある。

だが、店の光と影の境目がはっきりして、表にいる人間と裏へ逸れる人間の差も見えやすくなる時間帯だった。


「補足は送るわ。表より裏。先に裏側の導線を見て」


「了解」


それだけ返して、ヴェインは端末を閉じる。

イリーナはそこでようやく視線を上げた。


「軽く見て、引っかかるなら深追いして。まだ薄い案件よ」


「わかってる」


言葉は短かったが、それで十分だった。

イリーナもそれ以上は足さない。

この段階で必要なのは説明を重ねることではなく、現場を見たうえで切り分けることだと、互いにわかっていた。


ヴェインは踵を返し、そのままロッカーへ向かう。

必要な装備は多くない。

上着の内側を確かめ、端末を収める位置を整え、動きを邪魔しない範囲で最低限だけを身につけると、そのまま駐車スペースへ向かった。


自動扉の向こうから夜の外気が流れ込んでくる。

昼の熱をわずかに残した空気が頬を撫で、街の明かりが途切れず先へ続いていた。

人も車もまだ多い。

それでも時間が進んだぶんだけ、街の輪郭は少しずつ夜のものへ変わっている。


足を止めず、共有回線だけを開く。


「ヴェイン。通信、入る」

『問題ないわ。補足も共有済み』

「確認した」


短く返して、そのまま駐車スペースへ下りる。

必要なのは、それで十分だった。



車へ向かう途中、端末に落ちた補足へもう一度だけ目を通し、裏通路や細い抜け道、人目の薄くなる導線を頭に入れると、ヴェインは端末を固定した。


進路はダスクフィールド寄り、ウェストコア西側の一帯。まずは軽く見る。

表の流れと、裏へ抜ける道、その両方を押さえたうえで、深く入るかどうかはその先で決める。


エンジン音が低く立ち上がる。

ヴェインの車は駐車スペースを抜け、そのまま夜の車列へ滑り込んでいった。

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