第12話「君が好きだと言った香り」

 ホワイトデーが近づいてきたある日。僕は駅前の雑貨屋に来ていた。

 店内にはお菓子や小物、アクセサリーが並んでいて、どれもいかにも「お返し」に向いていそうなものばかりだ。

 けれど、どれを見ても決め手がない。

 なぜなら、この約二十年間で、小物やアクセサリーは、何度もプレゼントしてきてしまっているから。

 小春ちゃんに飽きられたくない。

「何が良いんだろう」

 小さく呟きながら店内を歩いていると、ハンドクリームのコーナーにたどり着いた。

 色とりどりのパッケージが並ぶ棚の前で、試供品のテスターが目に入り、何となく手に取ってみた。

 キャップを開けると、ふわりと甘い香りが広がった。

 その瞬間、ふと昔の記憶が蘇る。



 中学の冬、小春ちゃんが手を見ながら、

「うわ、手ぇカサカサだ……」

「僕のハンドクリーム使う?」

「良いの?」

「もちろん!」

 僕はハンドクリームを少し多めに出し、小春ちゃんの手に優しく塗り込んだ。

 小春ちゃんの手は、冬のせいか少し冷たかった。

 指先まで丁寧にクリームを塗り込むと、少しだけ力が抜けたみたいに手を預けてくれた。

「光希マッサージ上手いね〜」

「そう? ありがとう」

「このハンドクリームいい匂い……光希は本当センス良いよねぇ」

 小春ちゃんが優しく微笑んでくれて、すっごく嬉しかった。

 僕だけに向け続けてくれれば良いのに。



 小春ちゃんは多分、あのことなんてきっと覚えていないだろうな。

 僕は、あの日小春ちゃんが気に入ってくれた匂いがするハンドクリームを選んで購入した。

 思い出してもらえるかもしれないと思いながら。


 店を出ると、夕方の冷たい空気が頬に触れた。

 三月とはいえ、まだ冷え込んでいるようだった。

 紙袋の中には、小さなハンドクリームが一つ。

 大したものじゃない。値段だって高くない。けれど、僕にとってはちゃんと意味がある。

 あの日、小春ちゃんが「好き」と言ってくれた匂い。

 覚えているのは、多分僕だけだけど。それでも良いんだ。

 思い出してくれたら嬉しいし、思い出さなくても構わない。

 小春ちゃんがまた同じ匂いを「いい匂い」って笑ってくれたら、それで充分だ。


 小春ちゃんの笑顔を想像しながら歩いていると、不意に声をかけられた。

「すみません」

 振り向くと、見知らぬ女性が立っていた。少し緊張した様子で、こちらを見ている。

「お兄さんカッコいいですね♡良かったら連絡先とか」

「ごめんなさい無理です」

 思わず食い気味に即答した。

 女性がきょとんとした表情をしているのを一瞬だけ見て、それからすぐに視線を外した。

「彼女いるので」

 それだけ伝えて、そのまま歩き出した。

 せっかく良い気分だったのに。

 台無しだ。

 失礼だったかもしれないけど、仕方ないことだ。

 正直、小春ちゃん以外どうでもいい。

 小春ちゃんが、僕の全てだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る