おじさんと令嬢
「……ルイ、今日はもう上がっていい」
「え、でもまだ昼過ぎですよ」
「いいから。ちょっと出かけてきなさい」
ルイが不満そうな顔をしながらも、「わかりました」と前掛けを外して出ていく。足音が遠ざかって、扉が閉まる音が聞こえる。
ルイが退出したことを確認した私は、向かいの椅子に座っているその人を見た。
沈黙が流れる。
先に口を開いたのは、その人だった。
「……一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「あんた、いつからそこにいる」
(いつから、というのは——)
「眠って、気がついたらここにいました」
「俺も同じだ」
その人——リゼットの体の中にいる人——が、低い声でそう言った。
「目が覚めたら、この体だった。それまでのことは——ぜんぶ覚えている」
(やっぱり)
ここまで来たら流石に分かる。私も馬鹿じゃない。
「あなたは、ガルド・ヴェルナーですね」
「……そうだ」
「この体の記憶があります。ガルドさんの記憶が、少しずつ染み出してくるんです。あなたも同じでしょう」
その人——ガルドさん——が、しばらく私の顔を見ていた。
今度は値踏みではなく、何かを確かめるような目だった。
「……やっぱり、あんたがリゼットか」
「はい。リゼット・アルトリアです。」
ガルドさんが、ふう、と長く息をついた。
その仕草は、完全に中年男性のそれだった。リゼットの体でやると妙に迫力がある。
―――――――――――――――――――――
「それで」と私は言った。「あなたは今、どういう状況なんですか。その体で、なぜここまで」
「追われている」
(追われている?)
「断罪されたんだろう、この体の令嬢は。軟禁されて、追放の手続き待ちだと記憶にある」
「……そうです。その最中にこの体と入れ替わったので」
ガルドさんが腕を組んだ。無駄に迫力がある……。
「ガルドさんは、あの状態から入れ替わったんですか?」
「まあそうだな。目が覚めたらこの体で、部屋に閉じ込められていた」
「……それで、どうやって?」
「兵士は一人だけだったからな。まあ……その、殴った」
…………ん?
私は一瞬、返事ができなかった。
「えっと……殴った、というのは」
「そのままの意味だ。逃げる時に兵士を殴った。夜中だったこともあって、人も少なかったからな。殴って、鍵を奪って……逃げた」
「令嬢の体で、兵士を……」
「この体、見かけによらず動くんだな」
(ガルドさん、あなたという人は……)
私は頭を抱えたくなったが、ガルドの体の手はごつすぎて頭を抱えるのに向いていないので、やめた。腕を組んでふんぞり返っている令嬢の前で、頭を抱える図体のでかいおじさんという構図もなんだか……よくない気がした。
「それで今、王都の兵士が追ってきていると」
「おそらくな。それで隣国のここまで逃げ込んできた」
「追跡は……」
「時間の問題だろう」
ガルドさんが窓の外に目をやった。曇り空を見る目が、妙に冷静だ。令嬢の体でその目をすると、なんというか……まあいい。
「それで」とガルドさんが言った。「頼みというのは、そういうことだ」
「つまり、かくまってほしいと」
「当面の間だけでいい。元に戻る方法を探しながら、ここを拠点にさせてほしい」
私は少し考えた。
考えるまでもなかった、というのが正直なところだけれど。
「……わかりました。ルイには、遠い親戚だとでも言っておきます」
「助かる」
「ガルドさん、一つだけ聞いてもいいですか」
「なんだ」
「兵士を殴ったとき、怪我はなかったですか。その体は、私の体なので」
ガルドさんが、一瞬だけきょとんとした顔をした。
それからぼそりと言った。
「……心配するな。殴り方は知っている」
(鍛冶屋さんの「殴り方は知っている」、すごく頼もしいような、すごく心配なような……)
―――――――――――――――――――――
「元に戻りたいか?」
ガルドさんが、唐突に言った。
「……当然です。あなたは?」
「俺もだ。俺には俺の仕事があるし、ルイもいる」
「私も、この体でずっとはいられない。やらなきゃいけないことがあるので」
「やらなきゃいけないこと?」
私は少し迷ってから、正直に言った。
「ガルドさんは既に状況をご存じだと思うんですけど……私の身の潔白を証明したいんです。閉じ込められたけど、私は何もしていない。そのまま追われて逃げ続けるのは嫌です」
ガルドさんがこちらを見た。
品定めするような目ではなく、もう少し、真剣な目だった。
「証拠はあるか」
「手元にはないんです……。でも、城の記録室に当日の記録が残っているはずだと思います。誰が何をしたか、ちゃんとした記録が」
「城に入れるか」
「……方法はあると思います。一人では無理ですが」
ガルドさんがしばらく黙った。
窓の外をまた見て、空の色を確かめるように目を細めて、それから私に向き直った。
「俺は城には詳しくないが、体を動かすことは得意だ」
「それは……頼もしいです」
「城の構造はあんたが知っているか」
「もちろんです。だいたいの見取り図も書けるかと」
「ならもう一回忍び込むか」
ガルドさんが立ち上がった。背筋がすっと伸びて堂々としている。
私も立ち上がった。ガルドの体の重心は低くて、足元がどっしりしている。立つだけで地に足がついている感じがする。
「城に乗り込む、ということでいいですか」
「そういうことだ」
「まだ追われている身ですよ」
「わかってる」
「捕まったら大変なことになります」
「わかってる」
「それでも……行ってくれるんですか?」
ガルドさんが、私の顔を真っ直ぐに見た。あの頃、鏡で見続けた怯えた令嬢の顔ではない……凛とした令嬢らしい強い顔だった。
「あんたは、やられっぱなしで終わりたいか」
考えるまでもない。
答えは、最初からわかっていた。
「……嫌です」
「なら行く。俺も追われ続けるなんてごめんだしな」
ガルドさんがそう言って、椅子の背もたれに掛けていた外套を取った。令嬢の手が、慣れた動作でそれを羽織る。
「準備ができたら教えてくれ。俺はそこで待つ」
「どこで待つんですか」
「外。この体で鍛冶場にいると落ち着かない」
(鍛冶屋さんが、自分の鍛冶場で落ち着かないのか……。そういえば、この体で私が鍛冶をしていることを知ったらどう思うだろう)
ガルドさんが一礼をして、外に出る。
私は一人になって、鍛冶場を見回した。金槌、鉄床、まだ途中の礼装剣。やることが山積みだ。
城へ行く。
潔白を証明する。
元に戻る方法を探す。
王子の剣を打ち上げる。
おじさんの生活は、どうやら忙しくなりそうだ。
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