第1話-④ 穣神さまを祀る者

「珍しいなあ、高校生がここに来るなんて」


 四人は一斉に振り返る。その視線の先には、無精ひげを生やした老人が、風呂敷に包まれた四角いものを片手に微笑んでいるのが見えた。


「あ、どうも」涼の声に続き、一同は軽く会釈をした。


「見学かい?」


 老人の問いに弥生が「そうです」と笑顔で返事をする。


「そうか。勉強熱心な高校生だ」老人は今にも転びそうな足取りで四人のもとに歩いてきた。


「この木はあの災害を忘れないため、市が力を入れて管理してる木なんだよ。もう知ってるとは思うけどもな」


 老人はそのまま柵に歩み寄った。


「わしも毎年、春の祭りでこの木に宿る神様を祀る行事を見るんだけどな。やはりあれは一度は見ておくべきものだ」


 にんは首をかしげた。すると、れいが耳元でそっと囁いた。


「さくら祭りの夜、この木の前で巫女さんが踊るんだよ。にんちゃん、見たことないでしょ?」


「うん。毎年混むし、家のことやらないといけないしで、なかなか見れないんだ」


「一度は見た方がいいぞ、にん。なんなら、今回は三人で見に来ようぜ」涼が言った。


 三人、とにんは再度首をかしげた。これまでに何度も首をかしげるあたり、にんは五条河原の催事には疎い。新水島市に住んでかれこれ九年近くになるが、いまだに五条河原区の地理や催事には疎いのだ。それもそのはず、足を運ぶことが少ないからである。


 すると、弥生がくすくすと笑った。


「おいおい、まさか知らないなんてな、にん」涼とれいが顔を合わせ、弥生に続いて笑みを浮かべる。


「え? じゃあその巫女って――」にんは弥生に目をやった。


「そう。あたし!」弥生が満開の花のような笑顔で言った。


 驚きを隠せなかったにんだが、冷静に考えてみれば確かに彼女が適任だというのは頷ける。しかし、驚愕したのはにんだけではなかった。


「なんと、君がその巫女さんなのか」老人が目を丸くして言った。


「あら、毎年ご覧になってるのにご存じじゃないんですか」れいが尋ねた。


「まあ、遠くから見てたから、顔までは良く見えなかったんだよ」老人が薄ら笑いを浮かべる。


「今年もやるので、よろしくお願いします」弥生が頭を下げる。


「楽しみにしてるよ。ところで、ここで会ったのも何かの縁。この饅頭を君たちにあげようと思うんだが、いかがかな?」


 そう言って老人は風呂敷を解き、四角い箱を開けた。中には白い饅頭が所狭しと並んでいる。


「わあ、美味しそう……!」弥生が思わず言った。


 弥生は和菓子が大好物なのである。


「京都のお土産にいただいた物なんだげっともね……、わしはどうも小豆が苦手でな」


 確かに小豆を嫌う人は少なくない。にんは甘党であるので小豆は大好物である。


「ほれ、そこの赤い髪の人から」そう言って老人は饅頭をれいに渡す。


 れいはお礼を言ったのち饅頭を受け取った。しかし、すぐには食べず、他の三人にも配られるまで待った。

「いただきます」という声と同時に四人は饅頭を口に運んだ。饅頭の柔らかな生地と粒あんのほのかな甘さが口の中に広がる。


「美味しい!」弥生が言った。


 この饅頭は絶品だった。にんもその頬が落ちるほどの美味を味わいながら「美味しいです」と伝えた。


「それはよかった」


 老人は一時の笑みを浮かべたのち、四人がまだ食べ終わらないうちに言葉を続けた。


「君たちは、この街が好きかい?」


 不意打ちの質問に饅頭をのどに詰まらせそうになったにんだが、すぐに「もちろんです」と返事をした。


「故郷を好きになるのは良いことだ。だが――」老人は途端に真剣な眼差しになった。「好きという理由だけでは、この街をよりよくすることはできない。未来を担う若者なら、そのことを努々ゆめゆめ、忘れないことだ」


 四人の食べる手が急に止まった。突然何を言い出すのだと、全員が思った。

 老人はにこやかにほほ笑むと、不安定な足取りで木蓮の木の前を去っていった。にんは饅頭を食べながら次第に遠のく老人の背中を見つめ、再度手元に視線を戻した。


「よく分かんねえこと言ってたけど、こんなうまい饅頭くれるなんて、いい人だな、あのお爺さん」涼が言った。


「ねえ。五条河原の人は、みんなあの人のような感じなんだよ」


 弥生の言わんとしていることはすぐに理解できた。さくら祭りを中止しろなどと不安がる住民に対して、悪い印象は持つものではない、ということだ。


「じゃあ、尚更不安を解消してあげなきゃな」にんが言った。


「うん。みんなで頑張ろ!」


 どこまでも明るく、清流のように澄んだれいの声に一同は頷く。その様子を、開花を待つ木蓮や桜の花も聞き届けたことだろう、とにんは思った。




 * * *




 続いて弥生に案内されたのは、山に囲まれた古びた神社の入り口だった。ここは弥生の家からさほど遠くなく、さきほどの荒れたアスファルトの道を十分ほど歩けば着く程度だ。神社への立ち入りはできず、黄色いバリケードが設置されている。


「ここは茄子野なすの神社。三人とも知ってるでしょ?」弥生が言った。


「ああ。噂には聞いたことがある」にんが言った。


「あたしは巫女もやってるから、この神社の見回りを任されてるんだけど……」そう言って弥生はバリケードをくぐる。


「お、おい……、入っていいのか?」涼が尋ねた。


「あたしがついてれば大丈夫だよ。別に神社の中に入らないし」


 不法侵入で補導されたくなかったが、管理人の許可が下りれば大丈夫であろうと考えた三人は弥生の後を追った。

 整備されていない小道を歩く。古びた電柱を結ぶ電線には、現在は使用されていないと思われる白熱電球がもの寂し気にぶら下がっていた。


「随分と古いね」れいが辺りを見回しながら言った。


「誰も整備しないもん。あたしだって二か月に一回くらい、神社の様子を見に来て軽く掃除するくらいだし」弥生が言った。


 管理と言っても殆ど手付かずと言ってよい、ということだった。


「誰も入んないし、手も入れないなら様子を見に来る必要なくね?」涼が言った。


「そう思うでしょ?」弥生は足を止めた。「さあ、着いたよ」


 正面に飛び込んできたのは、苔に覆われた鳥居と、朽ち果てた木々で形作られた小さな神社であった。神社の周りは伸びきった雑草に覆われ、これ以上は立ち入れそうにもなかった。


「すげえ……」にんはその老朽化具合と辺り一面に漂う寂寥の雰囲気に気圧され、力なく声を漏らした。


「ここに祀ってある神が、その穣神さまなのよ。今は見えないけど、この奥にその像が置いてあるんだ」


 弥生は、神社の固く閉ざされた本殿の扉を指さした。


「無名病が穣神さまの仕業だって、この辺の人たちが信じ込むようになってから、誰も手を付けようとしなくてさ。一応市が管理している体なんだけど、実際は区長であるお爺ちゃん一人に任されてるの。さっきも言ったけど、管理なんてただ様子を見に来るくらいだから、巫女もやってるあたしが代わりに見に来るって話」


 なるほど、と三人は頷いた。


「神主とかはいたの?」れいが尋ねた。


「昔はいたらしいんだけどね。いつの間にかいなくなってたって聞いた。ここら辺の人たちは、穣神さまの怒りに触れたって思ってるんだよ」


 これまた謎である。にんは眉をひそめた。


「話には聞いてたけど、やっぱり五条河原は言い伝えとかに囚われるタイプなんだな」涼が言った。


「あたしもそう思う。お爺ちゃんはそれをどうにかしたいと思ってるんだけど」


 弥生の眼差しは依然真剣だった。彼女にもそのような意思があるのだろう、とにんは頷いた。


「中にはここに来て貢物を置いて行ったり、逆に荒らしたりする人もいるから、あたしがたまに見に来てるんだよ」


 薄暗い林の中を、生暖かい風が通り過ぎていく。四人の髪を揺らし、そして肌を撫でていった。


「大変だね、弥生っち」れいが言った。


「あたしはそうでもないけど……、やっぱり、何かを変えるには誰かが動かなきゃって思うんだ」


 弥生の言葉から読み取れる、純然たる覚悟と志。将来はこの街を変えていく存在になるのだろう、とにんは感じた。


「茄子野神社に祀ってあるのは、穣神さまだけじゃないって話、聞いたことある?」弥生が尋ねた。


「え? そうなの?」れいが言った。


 これに関してはれいと涼も知らなかったらしく、弥生の説明を待った。


茄子野なすの信彦のぶひこ。昔の薬師、つまりお医者さんだった人で、無名病を最初に見つけて治療した人だって言い伝えられてるんだよ」


「あんまり聞かないけど、それは表沙汰になってないの?」涼が尋ねた。


「なってない。その人については謎だらけだし、本当に言い伝えでしかないから」


 実在したかも不明な人物を密かに祀るこの五条河原区は、案外近づきがたい地区なのかもしれない。それが中央区との不仲にも繋がっているのだろう。にんは小さく頷いた。


「じゃあ、戻ろっか」


 弥生が神社に背を向け、それに三人が続く。神社の物憂げな視線を感じながらも、四人は弥生の家の前まで戻ってきた。


「こんな感じかな。七谷くん、だいたいわかった?」春風に揺れるポニーテールの弥生が言った。


「いろいろ勉強になったよ。ありがとう、白河」にんも感謝の意を込めて笑顔を送る。


「どういたしまして。じゃあ、お祭り当日はよろしくね」


 弥生の言葉で今日という日が終わりを迎えた。陽はまだ沈んでいないが、一同はそれぞれの家へと戻っていった。

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