セレナーデ

桔梗

第1話 episode1

お前がいなくなったあの日から俺はずっと、夜から抜け出せずにいる。


今でもふとした瞬間に、お前の声が聞こえてくる気がするんだ。


心のいちばん柔らかいところに触れて、
俺を呼ぶ、あの穏やかな声。


ーーもっと呼んでくれ。もっと、もっと。


俺が、お前の声を忘れないように。


もし、あの夜がお前の最期ならーー
永遠に夜が続けばいい。夜明けなんて、来なければいい。


夜明けが来るたびに、
あの頃の俺たちが少しずつ遠ざかっていくようで、どうにかして繋ぎ留めるように、

俺は今日もお前との思い出を手繰り寄せて夜の中にいる。



***



「なぁなぁ!今日転校生来るらしいぜー!」


同じクラスの竹本がやけにはしゃいでいる。


「この時期にか?」


「あぁ、それがさ、現役アイドルらしいぜ!?まぁ残念ながら、男らしいけどな」


(男のアイドル?何言ってんだコイツ)


「…は?何言ってんのお前」


「ほんとなんだってば!」


竹本が拗ねたように眉を顰める。


「はいはい、面白い面白い」


「あ、桐生!お前信じてねーだろ!」


「どうでもいい」


そう言って、机に突っ伏す。

耳の奥には、まだ紫苑の声が残っている。


「朔」


呼ばれた気がして、思わず顔を上げた。

当然、そこには誰もいない。


(……バカだな)


紫苑はもう、ここにはいない。


そのとき、教室の扉が開いた。


担任が、少しだけ空気を改めた声で言う。


「えー、静かに。今日からこのクラスに転校してくる生徒を紹介する」


ざわり、と空気が揺れた。

誰かが小さく「マジで来た」と囁く。


扉の向こうから、足音が聞こえる。


一歩。

二歩。


そして現れたのは、竹本の話を信じざるおえないほどに、整った顔立ちの少年だった。


「じゃあ、百合川、自己紹介しようか」


「……百合川依織です」


その声を聞いた瞬間、胸の奥で何かが弾けた。


低くて、柔らかくて、

でも、どこか影を含んだ声。


紫苑と、似ている。あまりにもーー。


依織は黒板に名前を書く。

“百合川 依織”。


チョークの音が、やけに大きく響いた。


「……よろしく、お願いします」


たったそれだけの挨拶なのに、

その声が、耳の奥のいちばん柔らかい場所に触れる。


紫苑の声と、重なる。


(やめろ)


心の中で、叫ぶ。

似ているだけだ。

別人だ。


わかっているのに、

わかっているからこそ、痛い。


「な!!ほんとだっただろ?」


前の席の竹本が俺の方を振り返り、嬉しそうにしている。


「……桐生?」


竹本が、心配そうに俺の顔を覗き込む。


「お前、顔色やばいぞ…大丈夫か?」


「……あぁ」


今自分が何をしているのかわからなくなるほどに、百合川の声に全神経を集中させていた。


クラスの女子がざわめいている。


「ねぇ、あの…百合川くんだよね?」


「え?」


「ほら、あの……最近ニュースになってた……」


「……ああ。NEBULAの?」


その名前が、ひそやかに、しかし確実に教室の空気を切った。


「そうそう。NEBULA!メンバーの一人が、誹謗中傷で自殺したって……」


「マジで……?」


「うん。そのあと活動休止して…百合川くんも脱退したんだよね…」


「なんかテレビの前とイメージ全然違うね」


「確かに、なんか暗いよね」


小さな声なのに、不思議とよく聞こえる。


依織は、何も聞こえないふりをしているのか、少し下を向いている。

その瞳はどこか所在なさげで、痛々しく見えた。


「知ってる人もいるかもしれないが」


担任が言葉を挟む。


「百合川はな、実は芸能界で活動していたんだが、今回事情があってこの学校に転校することになったんだ。みんな、百合川のこと頼んだぞ」


「はーい!」


クラス中の声がこだました。


その中で、俺だけが、まるで暗闇に取り残されたみたいに、ただ百合川依織を見ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る