あの三ヶ月の続きを、今。

ましろ

第1話 再会は、予定外に

春の終わりを感じさせるやわらかな風が、オフィスビルの自動ドアを抜けて流れ込んできた。


齋藤菜緒は、小さく息を吐いてから受付を通り過ぎた。

入社して二年目。つい先日までいたシステム開発課から、経理課へ異動になって一週間が経つ。


パソコンに向かう時間は減ったのに、数字に追われる毎日は変わらない。

ただ一つ違うのは——人の流れが、妙に見えるようになったことだった。


経理課は、会社全体のお金の流れを見る部署だ。

どの部署が動いていて、どの人が結果を出しているのか、嫌でも数字が教えてくる。


その中で、最近よく目にする名前があった。


「山岸三太」


営業一課の中でも、ひときわ売上が伸びている社員。

資料に並ぶ数字は、異様なほど安定していた。


(同じ名前、なだけ…だよね)


心の中でそう言い聞かせながらも、どこかで引っかかっている。

あの名前を、知らないはずがなかった。


——大学三年の春。


初めてバイトに入った引越しセンターで、彼と出会った。


大きな声で笑って、重い荷物を軽々と持ち上げて、でも細かいところで不器用で。

三ヶ月だけ付き合った、短すぎる恋。


忙しさにすれ違い、言葉が足りず、気づいた時には終わっていた関係。


(まさか、ね)


菜緒は首を軽く振って、デスクに向かった。


その日の午後。

経理課に一本の内線が入る。


「営業一課から、経費精算の件で確認したいそうです」


先輩にそう言われ、菜緒は受話器を受け取った。


「お電話代わりました、経理課の齋藤です」


一瞬の沈黙。


それから、低くて、どこか懐かしい声が耳に届いた。


「……あの、山岸です。営業一課の」


時間が、止まったような感覚だった。


名前だけで、十分すぎるほどだった。

忘れたつもりでいた記憶が、一気に引き戻される。


「……齋藤、さん?」


一呼吸遅れて、相手がそう言った。


声のトーンが、わずかに揺れる。


(やっぱり——)


間違いない。


あの頃より少し落ち着いた声。

でも、奥にある不器用さは変わっていない。


「はい。経理課の齋藤です」


あえて、事務的に返す。

心臓の音が、自分でも分かるくらい大きい。


電話越しに、わずかな沈黙が落ちた。


「……久しぶり、だな」


その一言で、三ヶ月分の記憶が、鮮明によみがえる。


汗だくの夏の日。

狭いトラックの中で交わした他愛もない会話。

帰り道に飲んだ缶コーヒーの苦さ。


そして、最後に交わした、噛み合わない言葉。


「……そうですね」


菜緒は視線を落とし、書類の数字に目を向けた。


今は仕事中。

ここは、あの頃とは違う。


「ご用件、伺ってもよろしいですか?」


少しだけ間を置いて、三太は小さく息を吐いた。


「……ああ、悪い。経費の件で確認したいことがあって」


仕事の話が始まると、空気はすぐに切り替わる。

それが逆に、二人の距離をはっきりさせた。


電話を切ったあとも、菜緒はしばらく動けなかった。


再会は、もっとドラマチックなものだと思っていた。

偶然街で見かけるとか、何かのきっかけで話すとか。


でも現実は、無機質な内線電話。


それでも——


(また、会うことになるんだ)


そう思った瞬間、胸の奥がわずかに熱くなる。


嬉しいのか、怖いのか、自分でも分からない感情。


ただ一つ確かなのは。


終わったはずの三ヶ月が、

まだ自分の中で、終わっていなかったということだった。

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