第20章 ゼフ
夜明け前だった。
空に光はなかった。湿った空気が肌に張りついていた。霧ではなく、もっと重いもの。息を吸うと、土の冷たさが肺の奥まで入ってきた。吐いた息が白くなった。すぐに消えた。
近接班が峠下の林縁に並んでいた。声はなかった。足音もなかった。装備の金属音だけが、時々した。木の梢が揺れた。風だった。寒かった。
地面が湿っていた。昨夜から降った雨の跡だった。足の裏に泥の重みがあった。冷たかった。沈んだ。まだ暗い中で、足だけが地面の状態を知っていた。どこかで鳥が鳴いた。一声だけだった。それきり何もなかった。
ゼフが右の列にいた。カインは中央にいた。ガルクが前に出た。短く言った。
「前衛、前へ」
動いた。
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光が走った。
最初の一本は左だった。木が爆ぜた。幹の断面が白く光って、すぐに煙になった。火の匂いがした。二本目は地面に落ちた。土が砕けて飛んだ。足元に細かい泥が降ってきた。顔にも来た。
敵の数が多かった。前方に、動く影が複数あった。魔法を使うものと剣を持つものが混在していた。近いものと遠いものがいた。遠いものが光を放っていた。
カインは前に出た。
一人目の剣を受けた。腕全体に衝撃が来た。押した。足が泥に沈んだ。沈んだ分、押し返した。相手が崩れた。その隙に剣を振った。入った。次が来た。横からだった。受けた。そのまま体ごとぶつかった。倒れた。踏んだ。次へ向いた。
三人目が剣を上から振ってきた。受けた。手が痺れた。それだけだった。押した。退いた。また次が来た。膝を使った。倒した。立った。
右から光が来た。カインの横を通った。地面に落ちた。泥が爆ぜた。顔に泥が飛んだ。目を細めた。次の敵が来た。
光がまた走った。遠かった。左だった。誰かが叫んだ。後ろだった。
来るものを処理した。止まらなかった。
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視界の端で、何かが動いた。
弧を描く光だった。速かった。右から来ていた。
ゼフのいた方向だった。
爆音が来た。熱が来た。地面が揺れた。足の裏に振動が上ってきた。
カインは右へ向いた。
穴があった。右の前衛列に、人がいなくなった空白があった。敵の一人がそこへ向かっていた。後ろにもう一人いた。
カインは穴へ動いた。剣を振った。受けた。押した。もう一人来た。受けた。足が泥を踏んだ。重かった。血が混じっていた。匂いが鼻に来た。足を踏み直した。押し返した。退いた。もう一度振った。
止まらなかった。
視界の端に、倒れているものがあった。
見なかった。
剣を振った。また振った。来るものを処理した。
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光の本数が減った。
影が退いていた。剣を持つ敵が散っていた。追いかける声がどこかから聞こえた。カインは追わなかった。追う必要があるかどうかを判断する前に、足が止まっていた。
周囲の音が変わっていた。爆音がなくなった。剣の音がなくなった。
残ったのは、草の揺れる音と、誰かの荒い息だった。
カインの息だった。
胸が動いていた。知らない間に動いていた。吸って、吐いていた。口の中に血の味があった。どこかが切れていた。唇だった。気づかなかった。
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カインはゼフのところへ歩いた。
ゼフは仰向けだった。腹を両手で押さえていた。手の下から、赤いものが染み出していた。量が多かった。地面に広がっていた。泥と混じって、黒に近い色になっていた。
カインがゼフの横に膝をついた。
「行け」
ゼフは言っていた。カインが来る前に、もう言っていた。声は小さかった。低かった。それでも聞こえた。
何も言わなかった。
ゼフは目を開けていた。カインを見ていた。口が少し動いた。何も出なかった。また動いた。それだけだった。
腹の手が、ほんの少し震えていた。
膝の下の地面が冷たかった。湿っていた。泥が膝に染みてきた。カインはそのままそこにいた。
呼吸があった。
浅かった。
細かった。
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ガルクの声が聞こえた。
「集まれ」
遠かった。後方の林の向こうからだった。
カインはゼフの横にいた。
ゼフの目がカインを見ていた。まばたきがあった。一度だけだった。
呼吸があった。
それだけだった。
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