第3章 出撃前夜
訓練は二週間続いた。
走った。打ち込まれた。打ち返した。何度も地面に落ちた。立った。また打ち込まれた。右腕の痛みは三日目に消えた。
ゼフは毎日、訓練場に残っていた。
話しかけてくる。帰れと言っても帰らない。そういう男だった。
「お前って友達いないだろ」とゼフは言った。
七日目の夜だった。
「いる必要がない」
「そういうことじゃなくて」
ゼフは豆粒の炎をくるくる回しながら言った。
「孤独が平気なやつって、大体どこかおかしいんだよ」
「お前がうるさいだけだ」
ゼフは笑った。
「明日の稽古、上官が実戦形式にするらしい。一対多だ」
「知ってる」
「お前、楽しみなの?」
答えなかった。答えるほどのことでもなかった。
ゼフはまたしばらく黙った。
「俺、魔法、たいして使えないんだよな」
右手の炎を見た。
「この程度しか出ない。前線じゃ役に立たない」
カインは剣を磨く手を止めなかった。
「お前はいいな」
ゼフは言った。
「魔法がなくても、全然平気そうで」
「別に平気とかじゃない」
「じゃあなんなんだ」
「ただ、戦えればいい」
ゼフは黙った。しばらく炎を見ていた。「そっか」それだけ言って、今日は早く帰った。
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十四日目の朝、上官が全員を集めた。
「出撃命令が出た。三日後、北の前線へ向かう」
誰も声を上げなかった。風が吹いた。草が揺れた。
上官が続けた。
「ヴァルガの部隊が北の山道を抑えている。俺たちはそこを奪い返す。魔法使いは前衛に入る。非魔法兵は補助と近接を担う。死ぬ気でやれとは言わない。生きて帰れ。ただし、仕事をして生きて帰れ」
淡々とした声だった。怒鳴らなかった。
解散した後、誰も動かなかった。ゼフが隣に立っていた。
「聞いたか。前衛が魔法使いだって」
「聞こえた」
「じゃあ俺たちは後ろの方か」
「たぶん」
「……それって、安全なのか?」
カインは答えなかった。
その夜、宿舎がざわめいた。
誰かが手紙を書いていた。羽根ペンの音。誰かが祈っていた。小さな声で、何かを繰り返していた。誰かが隣の兵士と話し込んでいた。声は低かったが、止まらなかった。誰かが水を飲んだ音がした。また別の誰かが、寝台を軋ませた。
窓の外、風が木の葉を鳴らした。遠くで馬が一声、鳴いた。
カインは剣を磨いていた。
ゼフが横に来て座った。何も言わなかった。珍しかった。しばらく沈黙が続いた。
「怖くないか」
ゼフは言った。
カインは手を止めなかった。
「何が?」
「死ぬのが」
布が剣の上を滑る。カインは答えなかった。
「俺は怖い」
ゼフは言った。声が少し低かった。
「死んだやつを見たことあるから。村で一人、戦死した人がいて。帰ってきた遺体が、全然、その人に見えなかった」
カインは磨き終わった剣を鞘に収めた。
「それで?」
「それで、って聞くのか、お前は」
「死ぬのが怖いなら戦わなきゃいい。でも来たんだろ」
ゼフは少し黙った。
「来た」
「なら戦う」
カインは横になった。天井を見た。木の板の節目が、暗がりの中にぼんやり見えた。ゼフはまだ座っていた。
「お前の剣の音、うるさくないんだよな」
ゼフはぽつりと言った。
カインは目を閉じた。何も言わなかった。
やがて、静かになった。
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三日後の夜明け前。
全員が整列した。空は暗かった。星がまだあった。草に露が降りていた。兵士たちの息が、白く見えた。
誰も話さなかった。足音だけがあった。装備の革紐が軋む音。剣が鞘の内側に当たる、低い金属音。
カインは足に力を込めた。靴の底から、地面の感触が伝わってきた。草と土。石畳でもない、訓練場の泥でもない。今日の地面。
前を向いた。空の端が、わずかに白んでいた。
隣でゼフが一度、大きく息を吸った。
行軍が始まった。靴の裏に、草が踏みつぶれる感触があった。朝の冷気が喉に入った。
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