完結後SS

2人で里帰り

 時系列はリアンが聖女になった直後です。 

────



 クロワール辺境伯領は、王国の南端、隣国と接する場所にある。


 王都から馬車で半日。馬車の旅は、乗り心地の良い移動手段に慣れてしまった転生者としては大変なものだった。背中が痛かった。腰も痛かった。石畳の上を走るたびに、車輪の振動が全身に伝わる。


 でも、隣にリアンがいると、不思議と苦痛ではなかった。


 リアンがずっと窓の外を見ていた。景色が変わるたびに「あ、あの山、覚えています」とか「この川、昔お姉様と来ましたよね」とか言っていた。わたしが「来た記憶がない」と言うと「来ました。お姉様が覚えていないだけです」と言われた。そういうものかもしれなかった。

「お姉様、見えてきましたよ」


 リアンが身を乗り出した。窓の外を指をさす。


 遠くに、見覚えのある建物の輪郭が見えた。クロワール辺境伯領の街並みだった。


 リアンは久しぶりの故郷帰りに浮かれているようだ。

 表情が柔らかかった。目が輝いていた。


 対するわたしは、憂鬱だった。


 親との関係が複雑だったからだ。こんなことなら長期休暇とあっても学院に残って研究をしていたかった。擬似ブラックホールの規模拡大の実験を、ずっと後回しにしていた。エドヴァルトも「休暇くらい休め」と言っていたが、研究室で文献を読んでいる方が、実家に帰るより百倍楽だった。


 でも、リアンが「お姉様との帰省、楽しみです」と言ったから。


 その一言で、わたしの選択肢は一つしかなかった。



 街に入ると、人が多かった。


 昼間にしても、多すぎた。わたしが学院にいた二年間で、人口が増えたのだろうかと思ったが、それにしても多すぎる。街の人間だけではない気がした。


 馬車が大通りに入ったとき、声がした。


「リアン様が帰ってきたぞ」

次の瞬間、あちこちから人が出てきた。

「うおおおおおおお」

「聖女様だ」

「リアン様」

「おかえりなさい」


 大通りが人で埋まった。馬車の両側に、街の人間が並んだ。手を振っている人がいた。花を持っている人がいた。子どもが何人か走ってきて、馬車の側面を手で叩いていた。


 リアンが帰省するという話が、街に広まっていたのだろう。聖女になってから初めての帰省は、街がすっかり歓迎ムードだった。


 リアンの反応はというと、ドン引きしていた。


 無言でわたしの服の袖を掴んだ。震えていた。


「お姉様」と小声で言った。

「なに」と小声で返した。

「こんなになるとは思っていませんでした」

「そう」

「どうすれば」

「笑って手を振ればいいんじゃないかしら」

「笑い方、忘れちゃいました」


 馬車の扉が外から開けられた。御者が「到着でございます」と言った。

リアンがわたしの袖を掴んだまま、外に出た。

その瞬間、歓声が上がった。

「うわあ」とリアンが言った。聖女候補として訓練を積んできた人間の発言とは思えない声。


 でも街の人間たちは気にしない。


 前の方から年配の女性が一人出てきた。「リアン様、大きくなられましたね」と言った。「小さいころ、よく駄菓子を爆食いしていたあの子が」と言った。


「あのことは忘れてください」とリアンが言った。顔が赤かった。


 女性が笑った。


 別の男性が「うちの子が聖女様と同じ学院を目指すと言っています」と言った。「応援しています」とリアンが答えた。


 子どもが一人、リアンを見て言った。


 「普通に美人」


 リアンがしゃがんだ。子どもと目の高さを合わせた。「ありがとうございます」と言った。


 子供は顔が真っ赤になった。あーあ、これは初恋泥棒しちゃっただろうか。


 リアンが笑った。


 わたしの袖を掴んでいたリアンの手が、少しだけ緩んだ。緊張が解けたのだとわかった。


 わたしは少し後ろに下がった。


 リアンが街の人と話しているのを、少し離れたところから見ていた。


 笑っていた。


 いつもの笑い方だった。学院での笑い方と同じだった。でも少し違った。故郷の空気が、リアンの笑い方を少し柔らかくしていた気がした。




 屋敷に着くと、執事と侍女たちが並んで出迎えてくれた。


 屋敷の外壁に、垂れ幕が掛かっていた。


『祝 リアン・ド・クロワール、聖女就任』


 浮かれているのは街の人間だけではないようだった。おそらく父が掛けさせたものだろう。インターハイ出場の告知のような垂れ幕を、こんな大きさで掛けることはないだろうとは思ったが、父らしいといえば父らしかった。


 リアンが垂れ幕を見上げた。「大きいですね」と言った。

「大きいわね」とわたしは言った。

「お父様がやりそうです」

「そうね」

「お姉様は、こういうものを掛けてもらえなくて寂しいですか」

「全く」

「そうですか」リアンが少し考えた。「わたしは、お姉様にも掛けてほしかったです。『祝 ルネ・ド・クロワール、後輩を次々と落とす』みたいな」

「やめなさい。……もしかして、根に持ってる」

「根に持ちますよ。いつまでも」


 リアンが笑った。


 屋敷に入ると、父と母が待ち構えていた。


 ちょうど夕食の時間だった。


「リアン、よく帰ってきたな」と父が言った。


 四人で食卓を囲んだ。


「リアン、この度は本当によくやった」と父が言った。目が潤んでいた。

「ええ、あなたは私たちの誇りよ」と母が言った。声が少し震えていた。

「ありがとうございます」とリアンが言った。


 淡々としていた。


 夕食のお肉の方に、じっと目を向けていた。


 リアンのそういう部分を見るたびに、少し笑いたくなった。感動的な場面でも、おいしそうなものがあれば目がそちらに向く。それがリアンだった。


「ルネ……えっと、お小遣い、足りてるか?」


 父がわたしを見た。


 相変わらずだった。


 何を話せばいいかわからない、という顔をしていた。肌がチリチリするような気まずさがあった。


「足りています」とわたしは言った。

「そうか」

沈黙があった。

「お姉様はすごいんですよ」とリアンが言った。

顔を上げた。リアンを見た。

「闇属性の研究で、みんなから一目置かれているんです。先生方も、他の研究者の方も、みんなお姉様の研究を認めています」

「……そうか」と父が言った。「精進しろよ」


 またわたしを見なかった。


 お肉を切り始めた。


 そうか、精進しろよ。


 その言葉を受け取った。褒め言葉ではなかった。ねぎらいでもなかった。でも、それが父だった。


「ごちそうさまでした」と言って、席を立った。



 自分の部屋に戻った。


 二年ぶりだった。


 何も変わっていなかった。机があった。本棚があった。小さいころに読んでいた本が並んでいた。


 窓を開けると、夜の庭が見えた。


 わたしはここで、リアンが初めて闇魔法を見た時のことを思い出す。


 怖くなかった、きれいだと思いました——と言った夜の庭だった。


 あのとき、リアンが言わなければ、今のわたしはどこにいたのかわからなかった。


 


 乾いたノックが響く。


「お姉様、入っていいですか」

「どうぞ」


 リアンが入ってきた。


 手に皿を持っていた。お肉が乗っている。


「どうしたの」

「お姉様、あまり食べていなかったので」とリアンが言った。「持ってきました」

「食べていた」

「あまり食べていませんでした。見てたので、わかります」

「……」

「食べてください」リアンがお皿を差し出した。「おいしいですよ。わたしが目をつけていたやつです」

「あなたが目をつけていたものをもらっていいの」

「お姉様の方が大事なので」


 受け取った。


 食べた。


 おいしかった。


 リアンがわたしの隣に座った。しばらく黙っていた。


「お父様は」とリアンが言った。「不器用なんだと思います」

「そうね」

「でも、お姉様のことを何も思っていないわけではないと思います」

「どうして」

「夕食の前に、お父様がわたしにこっそり聞いてきました。ルネは研究でどんなことをしているのか、と」

少し間があった。

「……聞いてきたの」

「はい。だからわたし、たくさん話しました。干渉実験のこと、擬似ブラックホールのこと、お姉様がどれだけすごいか、全部」

「余計なことを」

「余計ではないです」リアンが言った。「お父様、ちゃんと聞いていました。最後に、そうか、と言っていました」


 そうか。


 夕食のときと同じ言葉だった。でも、聞き方が違う話の後の「そうか」だったとしたら——


「……そうね」とわたしは言った。


 リアンが窓の外を見た。


「お姉様、あの夜のこと、覚えていますか」

「あの夜というのは」

「わたしが初めて、お姉様の闇魔法を見た夜です。この庭で」

「覚えている」

「わたし、怖くなかったって言いましたよね」

「言っていた」

「今でも、怖くないです」リアンが言った。「お姉様の魔法は、今でも、きれいだと思っています」

「……そう」

「だから、お父様もいつか、そう思ってくれるといいなと思っています」


 あの夜と同じ庭に、星が煌めいている。


「……そうね」とわたしは言った。


 リアンが「おやすみなさい、お姉様」と言って、部屋を出た。


 扉が閉まって、一人になる。


 お皿がまだ手にあった。窓の外を見ながら、残りを食べる。味は悪くない。


 

 しかし、その夜のことだった。


♦︎


 ドアが突然ノックされた。


「お姉様、わたしです」


 入っていいわよ、と声をかけると、寝巻き姿のリアンが入ってきた。白いレースのついたナイトガウン。シンプルに、可愛かった。


「どうしたの?」

「その……実はですね」

 言いにくそうにしている。

「お姉様と一緒じゃなきゃ、寝れなくて」

「え?」

「どうやら、お姉様と一緒の部屋じゃないと寝れなくなってしまったみたいで」


 ……そんなことがあるのだろうか。リアンはもういい歳だ。確かに、寮の部屋が2人部屋になってからは毎日一緒に寝ていた。とはいえわたしはソファで寝ていたが。この年齢になって急に1人で寝れなくなるなんて、にわかには信じがたかった。


 だが、うるうるとした目を向けられると、それ以上追求できなくなってしまった。


「いいわよ。……あ、でもこの部屋、ソファがない」

 いつもはわたしがソファで寝て、リアンがベッドに入っていた。

「一緒のベッドで、寝てくれませんか?」

「え?」

「ダメ……ですか?」


 あざとい上目遣いで言われる。

 結局、一緒のベッドで寝ることになった。


「お姉様と一緒のベッドで寝るの、久しぶりです」

「そうね」

「同室になった初日は一緒に寝てくださったのに、どうしてソファで寝るようになってしまったんですか?」

「……気分よ」

 

 まさか、あんたの寝相のせいだとはいえなかった。

 

 眠くなるまで、他愛のない話をした。授業のこと、食堂のメニューのこと、寮の廊下が最近やたら寒いこと。リアンはよく笑う。ふふ、と声を立てて笑うのではなく、口元だけで笑う。わたしはそれが好きだった、と今更気づいて、すぐに思考を打ち切った。


 気づけば、リアンの返事が途切れていた。

 横を見ると、目を閉じていた。呼吸が、規則正しい。

 ……寝た。


 わたしはしばらくそのまま天井を見ていた。まだ眠れそうにない。そして今更ながら、このベッドの問題点を認識していた。


 蹴られる。


 リアンの寝相は、悪い。具体的には、夜中に急に手足が暴走する。今まではわたしがソファで寝ることで回避していた。だが今夜はベッドの上で、隣に本人がいる。距離は近い。つまり、射程範囲内だ。


 作戦を立てた。


 名付けて、『くっついて寝れば蹴られない作戦』。


 我ながらIQが低いと思った。だが他に手が浮かばなかったので、実行することにした。


 そっと、リアンのほうに体を寄せる。背中同士がくっつく手前まで近づいて、止まった。


 温かかった。

 体温がある。当たり前のことなのに、少し驚いた。柔らかな吐息が、規則正しく繰り返されている。リアンの体が上下するのが、はっきりわかった。


 ……まずいことをしている気がしてきた。


 これは蹴られないための合理的な作戦であって、誓ってやましい気持ちなどなかった。だが、なぜかそう思った。根拠はない。ただ、リアンの吐息が聞こえるほど近くにいて、体温があって、体が柔らかくて、なんか、すごくまずい気がした。


 もう少し離れようかと思い始めたとき。

 抱きつかれた。


「……っ」


 後ろから、両腕が回ってきた。


 声が出なかった。というか、息が止まった。リアンの腕がわたしの腹のあたりにある。頭が、背中に押しつけられている。吐息が、首の後ろにあたった。


 ……至近距離、というか。


 密着、している。

 体温が、全身にある。リアンのものだ。背中からも、腕からも、頭からも、じわじわと伝わってくる。均一で、柔らかくて、安定していて、


 変な気持ちになってしまった。


 正確に言語化できなかった。ただ、まずい、と思った。さっきよりずっと強く。作戦とは全く関係のないところで、確実に、まずかった。


 リアンの呼吸は、変わらず規則正しい。

 眠ったまま、抱きついている。

 わたしはしばらく動けなかった。


 そのうち、リアンが何やらぼそぼそと言ってきた。


「お姉様……」

「……」

「お姉様、大好きです」

「……」

「すき……すき……だいすき……」

「…………」


 これは……ASMR!?

 もちろんその日は朝まで、寝られなかった。

 


 

 

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乙女ゲーの主人公の姉に転生したから妹を溺愛してみたら「お姉様と結婚する」と言って攻略対象に見向きもしなくなってしまいました ただの百合好き @neo_kagerou

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