第35話 中二病ロリっ娘

 いつもの席だった。


 図書館の地下、窓際の左から三番目。いつもリアンが座る向かいの席が空いていた。今日はリアンが神殿の用事で来られなかった。それなので、一人で文献を読んでいた。


 この時間の図書館は、いつも静かだ。


 地下に来る生徒は少ない。上の階と違って、古い文献が多い。目当ての本がある人間か、静かな場所を求めている人間か、どちらかしか来ない。


 ページを繰る。


 書架の奥から、かすかな音がした。

何かが引っかかっているような音だった。紙が擦れる音と、小さな息の音が混ざっていた。


 顔を上げた。


 書架の奥に、誰か、いる。


 背が小さかった。女子制服を着ていた。上の棚に手を伸ばしていたが、どうやら届かないようで、指先が背表紙の下端に触れて、また離れた。少し跳んだ。届かなかった。また跳んだ。やはり届かなかった。


 背が低いのか、目当ての本が高い位置にあるのか、あるいは両方か。


 見ていたら、また跳んだ。


 やはり届かなかった。


 文献を閉じて、立ち上がった。書架の前に行った。


「どの本?」


 その小さな生徒が振り返った。


 目が鋭かった。年齢に似合わない目だった。でも身長は年齢相応。制服の着こなしが整っていた。少し長めの、緑色の髪が目にかかっていた。


「……」


 わたしを見ていた。値踏みするような目だった。


「どの本か聞いた」

「その棚の、左から四番目だ」


 声が少し高かった。というより、幼かった。


 左から四番目を取った。古い風属性の魔法理論書だった。分厚い。この棚の中では重い部類だった。


 差し出した。


 女子生徒はそれを受け取って、両手で大事そうに抱えた。それにしても、重そうだ。


「感謝する」

「どういたしまして」


 踵を返して席に戻ろうとした。


「待て」


 止まった。


「何?」

「貴様が、ルネ・ド・クロワールか」


 振り向いた。


 小さな女の子……いや、生徒が、文献を抱えたまま、真っ直ぐこちらを見ていた。目が鋭いのは変わらなかった。


「そうよ。あなたは?」

「レヴ・アルカンだ」少し間があった。「ボクは孤高の風使いとして、やがて魔法史に名を刻む者だ」

「……そう」

「飛び級してきた。同年代の者はすでにボクの敵ではなかったのだ」

「何歳なの」

「13だ。だが、年齢で判断するな」

「しない」とわたしは言った。

 レヴが少し間を置いた。「……そうか」


「風属性ね」と、抱えている本を見た。「その本を選んだということは、理論から入る勉強をしているの?」

「当然だ。ボクは感覚派ではなく理論派だ。理論で、術式を組む。それがボクの流儀だ」高い声だった。

「理論から入る方が遠回りに見えて、結局早い」とわたしは言った。「いい選択よ」


 レヴが少し止まった。褒められることを想定していなかったらしかった。耳が少しだけ赤くなっていた。大人ぶった?話し方でも、そういうところは見た目相応で可愛らしかった。


「……当然のことを言うな」

「当然だから言った」


 レヴがわたしを見た。また確認するような目だった。


「貴様に会いたかった」

「なぜ」

「闇属性の魔法使いだと聞いた」レヴが言った。「ボクの情報網には、この学院の特異な存在が引っかかるようになっている。貴様の名前は、かなり前から引っかかっていた」

「……そう」

「だからボクを子供扱いするな」

「してないわ」


 レヴが少し目を細めた。「……ボクを子ども扱いしないんだな」

「13歳は子どもよ。でもあなたの魔法の話をするなら、年齢は関係ない。それだけの話」


 レヴが黙っていた。


 しばらく、何かを考えているようだった。


「闇属性の魔法は、どういうものだ」とレヴが言った。今度は少し違う声だった。中二病のような口調の下に、純粋な好奇心があった。「文献が少なくて、実態がわからない」


「文献が少ないのは事実よ。独学で組み立てるしかなかった」

「独学で」レヴが繰り返した。「貴様が独自に理論を構築したのか」

「ええ」

 レヴが少し考えた。「なるほど。セレーナ・アドミックとの決闘でも、未知の魔法が使われていたと聞く。あれも、貴様が考案したものだったのか」

「情報網で知っていたの」

「知っていた」レヴが言った。「ボクの風属性の感知能力は、学院内の魔力の動きを把握できる。決闘を行っていたことは、魔力の質の変化で察知していた」


 文献を抱えたまま、レヴがわたしを見続けていた。分厚い本の重さが、少しずつ腕に来ているのが表情に出ていたが、下ろさなかった。


「その本、重いでしょう」

「問題ない」

「テーブルに置きなさい。話すなら座って話した方がいい」

「……ボクが座ることを、貴様が決めることではない」

「そうね。でも重そう」


 レヴが少し黙った。それからゆっくり、近くのテーブルに本を置いた。椅子を引いて座った。

わたしも向かいに座った。


「闇属性魔法について、何を知りたいの」

「全部だ」とレヴが言った。「でも今日は一つだけ聞く。闇属性の感知能力は、風属性の索敵能力と何が違うのか」

「風属性の索敵は、空気の流れを通じて対象の位置を把握して、動きを予測する。精度が高い」


「闇属性は」

「気配そのものを読む。位置だけじゃなく、魔力の質と感情の揺れまで察知できる。でも風属性より魔力効率は悪いし、動きの予測は難しい」


 レヴが少し前のめりになった。中二病の構えが崩れていた。


「感情の揺れまで、とはどういうことだ」

「緊張している人間か、落ち着いている人間か、魔力の流れ方で判断できる。戦闘前に相手の状態が読める」

「それは——」レヴが言いかけて、止めた。「……有用だな」と続けた。


「あなたが認めるかどうかは別に関係ないけれど」

「関係ある。ボクが認めた技術は、ボクの知識体系に組み込まれる」

「そう」

「そしてボクは認めた人間は——」レヴが少し間を置いた。「記憶領域に刻印される」

「記憶されたところで、どうなるの」

「どうもならない」レヴが言った。「ただ、刻印するだけだ。それだけのことだ」


 変な言い方をする、と思った。「記憶するだけ」と言いながら、それが何かの意味を持っているような言い方だった。


「また来てもいいか?」

 レヴが少し止まった。「……否、ボクが来ることを、貴様が決めることではない」

「そうね。来たければ来ればいい」

「来る来ないはボクが決める」

「好きにしなさい」


 レヴが立ち上がった。分厚い文献を両手で抱えた。また重そうだった。


「一つ確認する」

「何?」

「貴様は、ボクを子ども扱いするつもりはないか」

「する必要を感じない」

「なぜだ」

「あなたの魔法の話は、年齢に関係なく筋が通っていたから」


 レヴが黙った。


 また確認するような目でわたしを見た。

「……そうか」と言った。


 それだけだった。


 踵を返して、書架の奥に歩いていった。


 分厚い本を抱えたまま、小さな背中が書架の影に消えていった。


 席に戻った。


 文献を開いた。


 中二病の口調で話す13歳の風使いだった。でも質問の中身は真剣だった。理論から入る勉強をしていた。感知能力の違いを正確に理解しようとしていた。


 ただ、尊大な口調の奥に、「孤独」を感じた。わずかな寂しさが、目の奥で揺れているように見えた。


 書架の奥から、ページを繰る音がした。


 静かだった。

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