Ep.14 罪人
閉店作業を終わらせて執拗に指差し確認をして店を後にする。今日はいつもより2分ほど早い。少し軽い足取りで従業員用の階段を駆け下りた。従業員証をかざして外に出ると、いつもより暖かい。もうすぐ春が来るのかもしれない。春の陽気を想像して少しだけ眉間にしわが寄る。
車で帰路につくと、後輩のポニーテールと怒っていたお客さんの顔が交互に浮かんでくる。今日はなんだか疲れてしまった。幸先がいい日だと思っていたのに。
そういえばハンドソープを切らしていた。食器用洗剤で手を洗った時の乾燥とスーパーに寄るめんどくささを天秤にかけたら、乾燥の方が少しだけ重かった。
夜の駐車場からスーパーに入る瞬間、軽く目を閉じる。一生慣れることのない眩しさと騒がしさだ。
ついでだからとハンドソープの他に食材を買い足すことにして、ほとんどない食欲の中でなんとか食べられるものを見繕っていると、お酒のコーナーに目が留まった。すぐ酔ってしまうからほとんど飲まない。でも今日くらいはいいか、と手を伸ばした。3%の缶チューハイで十分だ。
レーンを抜ける時に、ビールを数本怠そうにカゴに入れている男の人を横目で見る。私にはビールはまだ不味い。みんなが美味しいと言うものを美味しいと思うその人が少し羨ましかった。
帰宅してハンドソープを開けて手を洗い、食材もチューハイも冷蔵庫に入れてからそのまま浴室に向かう。たった3%の度数でも、アルコールを入浴前に飲むのは危ないと思い込んでいるからだ。染みついたものが抜けない融通の利かなさは数ある短所の一つである。
髪を乾かして急いでリビングに戻り、缶チューハイを取り出す。風呂上がりの手に刺さるような冷たさが妙に心地いい。風呂上がり、缶チューハイ、ソファ。まるでドラマのようだ。昼間の憂鬱が遠ざかっていく。
甘すぎるチューハイを流し込んでスマホの未読のメッセージを1件確認し、ようやく裏垢に来ていたDMのことを思い出した。返信をしなくては。店の掃除をしながらああでもない、こうでもないと練っていた言葉を打ち込んでいく。最後を句点で終わらせてみる。ちょっとそっけない。三点リーダーならどうだ、かわい子ぶって見える。迷って汗の絵文字を入れてそのまま送信ボタンを押すと、すぐに返事が来た。
相手が謝っていることに驚いてしまった。謝れるんだなんて失礼なことを思いながら時間をかけてまた返信する。
チューハイを半分ほど飲んで猛烈な眠気に襲われながら会話をしばらく続けていた。睡魔に思考回路を盗られてしまい、途中から何も考えずに返事をしていく。最後に「裏垢でも」と返事したところで相手が入力中の文字のまま止まってしまった。その文字列の点滅がまた心地いい。
返事を待ちくたびれてソファに横になるとまた会話が動き出す。
「犬、好きなの?」
なんで犬。突拍子もない質問に誤爆を疑う。
「送るところ、たぶん間違えてます。」
「合ってる。夕方投稿してたろ。」
あぁ、そうだったっけ。どんどん重くなる頭で休憩時間に投稿した文章を思い出した。
「好きです。猫派だけど、大きい犬は特に可愛いと思います。」
嘘をついてしまう。ただ可愛いと思っただけじゃない癖に、犬の無償の好意を利用したいだけの癖に。
「でもでかい犬はうるさいし、鼻先の力すごいぞ。」
「大きな犬飼ってるんですか?それともすごく好きとか。」
「あー、いや、見たことも触ったこともないし、どちらかというと嫌い。」
思わず笑いで息が漏れる。見たことも触ったこともないのに、噛む力やリードを引っ張る力ではなく鼻先の力が強いなんてマニアックなことを知っている。犬嫌いなのに。変な人だ。
0時を回るまで会話が続いた。チューハイはもう空になり、だんだん酔いと睡魔もいなくなり始める。この人のDMは誤字が多い上に気を使ってくれてる感じもしない。絵文字だってほとんどないから殺風景な文字列がどんどん積み重なっていく。それがなぜか話しやすい。
がばっと突然起き上がって思わずスマホをテーブルに伏せた。人との会話を楽しいと思っている自分がとんでもない罪人である気がしたから。心地いい、話しやすい。私みたいな人間がそんな感情を持っていいはずがなかった。罪人にはいつかそれなりの罰が下る。
何かに追い立てられるように急いでスマホを充電器と繋ぐと、早足でベッドに向かう。頭の中で居心地のいい誰かが現れては消えていく。これは妄想でも、思い込みでもなくて、経験のフラッシュバックだった。
甘いものを飲んだのに歯も磨いていない。買い物をしたのに家計簿もつけていない。でも今は這い寄ってくるものに怯えて布団に潜るしかなかった。
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