二章
第13話 対峙
「ねえ、羊羹まだー?」
夕食後の楽しみを待ちきれないメアちゃん。なかなかご飯に箸をつけずにそわそわしている。ソファの方に目をやると、いつものごとく力尽きて眠りについている琴子さんの姿があった。
「あとで私が羊羹切ってあげるから、まずはご飯食べよう?」
「美波ちゃんも羊羹好き?」
「うん好きだよ。ご飯食べよう?」
「メアも羊羹好きー」
「そっか、ご飯食べよう?」
「ふりかけかけてー」
「えっと……ふりかけどこ?」
「知らなーい」
ロスタイム、という言葉が脳裏にこびりついて離れない。ああやって横になっている琴子さんを見ていると、いつ終わりが来てもおかしくない状況に、焦りを感じる。来週にはスタジオで雨野さんに審査される。出来れば一発で合格をもらいたい。
「羊羹まだー?」
「ご飯食べよう?」
「ふりかけかけてー」
「……」
同じやりとりの繰り返し。
なんとか夕飯を済ませ、羊羹も食べ終えたメアちゃんは、定位置である琴子さんとソファの背もたれの間に潜り込む。
「あ、歯磨きは?」
「……」
メアちゃんはピクリとも動かない。
「……もう、」
仕方なく、歯ブラシを取りに洗面所に向かう途中、私はふと足を止めた。そこには誰もいないはずの、防音室のある部屋。
中を覗くとあの巨大な防音室。不思議なことに、防音室の中から人の気配を感じた。
「……誰かそこにいるの?」
いるはずがないと思いつつも恐る恐る防音室の前に立った。
扉を開けた瞬間、心臓が跳ね上がった。中にあるモニターには椿百華が映し出されていたのだ。どうやらパソコンが起動されたままだったようだ。
椿百華は沈黙したまま、じっとこちらを見ている。
「……」
「――それまで私の命が持たなかったら――?」
今朝の琴子さんの言葉が、椿百華の顔に重なってよみがえる。
私は防音室の扉を閉めて、改めて椿百華と対峙した。
「時間がないの。だからお願い」
私はギターのストラップを肩に掛け、マイクを設置して椿百華と向き合ったまま歌った。
ヘッドホン越しに流れる自分の声を聴きながら、がなり声にならないよう一音一音丁寧に歌った。
私の口の動きに合わせて椿百華も口を動かす。だけどやはり、配信で見た椿百華とは何かが違う。
意識を椿百華に持って行こうとすると、歌から感情が離れる。
琴子さんが歌っていた時のような息づかい、母音の伸ばし方を意識しながら、椿百華が離れていかないように歌った。
「……違う」
モニターの椿百華が遠くに見える。
バランスを保とうと意識していたが、やはり何かが違う。椿百華の歌でも琴子さんの歌でもない。私の歌でもなくなったような気がする。これだとどこにも届かない。
マイクのポップガードにおでこを当て、しばらく項垂れていると外から物音がした。
そっと防音室の扉を開けて、隙間から外を覗いた。
「……あ」
そこに居たのは、メアちゃんだった。歯ブラシを握りしめている。どうやら私が居なくなった後、歯磨きをしに行ったのだろう。
「お母さん寝てるのに、お歌聞こえたからびっくりした」
「お母さんだと思った?」
「ううん、お母さんのお歌とは違った」と、メアちゃんはかぶりをふった。それ以上のことは言わなかった。
私は何も言い返すことができず、ただ苦笑いするしかなかった。
ギターを置いて、ノートパソコンを閉じようと手を置いたが、椿百華の顔を見てその手を止めた。彼女はまた沈黙したまま、こちらを見ている。
「……おやすみ」
「まだ寝ないよ」と、メアちゃんが割り込む。
「ううん、違うの。行こう」
扉を閉めて、二人でリビングに戻った。
防音室の中から、また誰かを待っているような気がした。
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