8話 第5次審査聖女の舞改めダンス審査 セクション3 ノエルとミレーユ

8話 第5次審査聖女の舞改めダンス審査


セクション3 ノエルとミレーユ


「次」


司祭の声が響く。


「ノエル・フロワ子爵令嬢」


観客席の空気が、少しだけ変わった。


エリカのような圧倒的な華やかさも、クラリスのような堅実な安定感もない。

だが、ここまでの審査で、ノエルが“何かやるかもしれない”という妙な期待だけは育ってしまっている。


その期待が本人にとって最悪であることを、ノエルだけはよく知っていた。


ゆっくり立ち上がる。


立ち上がるだけで、すでに疲れている。


「……帰りたい」


小さく、本音が漏れる。


ミレーユが隣で苦笑した。


「まだ始まってないですぅ」


「始まる前から帰りたい」


「知ってますぅ」


ノエルはため息をひとつついてから、舞台中央へ向かう。


薄青のドレスが、照明を受けて淡く光る。

動きやすさも華やかさも、特に目立たない。

けれど、最低限きちんとしている。


つまり、ノエルらしい。


王太子は中央で待っていた。


先ほどまでの二組で、少しだけ慎重になっている。

少なくとも、自分が乱れる可能性があることは理解してしまった顔だ。


ノエルは一礼する。


「よろしくお願いいたします」


声は平坦。

気持ちは全然こもっていない。


王太子が手を差し出す。


「今度は、まともに踊れ」


「頑張ります」


ノエルは答えた。


一拍置いて、付け足す。


「帰りたいですけど」


王太子の眉が寄る。


「今、それを言う必要があるか」


「口を閉じる審査ではないので」


観客席に小さな笑い。


王太子は何も返さず、音楽が流れる。


ワルツ。


さっきまでと同じ、正統な舞踏会の曲。


ノエルの最初の一歩は、意外なほど悪くなかった。


エリカのように華麗ではない。

クラリスのように教本通りでもない。


だが、普通だった。


ごく普通に、習ったことのある令嬢の踊り。


「……あれ」


ミレーユが小さく目を丸くする。


「ノエルさん、ちゃんと踊れるですぅ」


バルバラが腕を組んだまま言う。


「意外だな」


「一応、子爵令嬢ですので」


クラリスが淡々と返す。


「社交の基礎は受けていて当然です」


エリカも扇の陰で小さく頷いた。


「下手ではありませんわね。面白みはありませんけれど」


たしかに、面白みはなかった。


だが、大きな乱れもない。


王太子がやや早めに踏み出せば、ノエルも合わせる。

遅れれば、それなりに待つ。

ターンも、ぎこちないながら破綻しない。


何も起きない。


それが、この日いちばん珍しいことだった。


ノエル本人も、踊りながら自分で少し驚いていた。


(……踊れてる)


自分の中でそう思った瞬間、少しだけ顔が死ぬ。


(踊れてるなら、余計に帰れないじゃん)


それはそれで嫌だった。


「やっぱり帰りたい……」


ふっと漏れる。


王太子がすかさず返す。


「踊りながら言うな」


「黙っていると、余計に帰りたくなるので」


「理屈になっていない」


「帰りたい気持ちに理屈はいりません」


客席から、また小さな笑い。


舞台上では、普通に踊っている。

なのに、会話だけが妙にずれている。


だが、そのずれ方もノエルらしかった。


一曲が終わる。


大きな拍手ではない。

だが、きちんとした拍手。


失敗も、事故も、破綻もない。

ある意味では、ここまでで最も安心して見ていられる組だった。


ノエルは一礼して、すぐに下がろうとする。


王太子が短く言った。


「可もなく不可もなくだな」


ノエルは立ち止まり、少しだけ考えてから答えた。


「三位くらいですか」


観客席がどよめく。


エリカが扇を止める。

クラリスが珍しく少しだけ笑う。

ミレーユが「言うですぅ?」という顔になる。

バルバラは普通に感心した。


王太子が目を細める。


「自分の評価を先に決めるか」


「高くはないけど、落ちるほどでもない感じでした」


あまりにも冷静な自己分析だった。


王太子は何か言おうとして、やめた。


ノエルはそのまま戻る。


席に着くなり、小さく息を吐いた。


「……終わった」


「ちゃんと踊れてたですぅ」


ミレーユが言う。


「そうですね。安定していました」


クラリスも素直に評する。


ノエルは嫌そうな顔をした。


「安定って、帰りたい人への褒め言葉じゃない……」


その返しに、ミレーユがくすっと笑う。


「次は私ですぅ」


その声に、少しだけ緊張が混じっていた。


ミレーユ・サンディールは、本来なら踊れる。


見せ方も知っている。

リズムの取り方も悪くない。

軽やかさもある。


だが、問題は相手だった。


ミレーユが立ち上がり、舞台中央へ向かう。

観客席からは、期待混じりのざわめき。


彼女は舞台に立つのが上手い。

それはもう、疑いようがない。


王太子の前で礼をする。


「よろしくお願いしますですぅ」


やわらかな笑顔。


だが目は、少しだけ不安げだった。


音楽が流れる。


最初の一歩は悪くない。


いや、むしろいい。


軽やかで、可愛らしく、見せ方も上手い。


観客席の空気がふわっと明るくなる。


「やっぱり上手いですぅね」 「似合うな」


だが、二歩目でそれが崩れた。


王太子のステップが、わずかに遅れる。


ミレーユはそれに気づき、合わせようとする。


合わせたせいで、自分のリズムが崩れる。


三歩目で、今度は王太子が強く引く。


ミレーユが半歩よろける。


「……あ」


小さな声が漏れた。


なんとか持ち直す。

だが、もう最初の軽やかさはない。


バルバラが眉をひそめる。


「引っ張られてるな」


クラリスが頷く。


「相手に合わせようとしすぎています」


エリカは冷静に言う。


「良くも悪くも、素直すぎますのよ」


ミレーユは必死に笑顔を保とうとする。


だが王太子のリードは安定しない。


遅い。

強い。

今度は逆に弱い。


合わせるたびに、ミレーユの足元が揺れる。


「……っ」


踏み直す。


ターンに入る。


王太子の重心が少しずれる。


ミレーユが引きずられる。


ついに、顔に出た。


「殿下、下手すぎですぅ」


ぽろっと、本音がこぼれる。


会場が止まる。


本当に一瞬、止まった。


王太子の顔が固まる。

観客席がざわめく。


ノエルが小さく呟く。


「言った……」


クラリスは目を伏せる。


「言いましたね」


エリカは扇の陰でかすかに笑う。


「ついに口にしましたわね」


ミレーユ本人も、言ってから「あっ」という顔になった。


だが遅い。


空気が崩れたせいで、さらに足が乱れる。


王太子の一歩とミレーユの一歩がずれる。

体勢が流れる。

完全に転びかける。


「きゃっ」


かろうじて持ち直す。

だが、もう舞踏ではない。


必死の建て直しだ。


観客席からは、応援するような声まで上がる。


「がんばれ!」 「持ち直せ!」


まるで別の競技になっていた。


どうにか最後まで踊り切る。


終わった瞬間、ミレーユは一礼しながらも、完全に半泣きだった。


席へ戻るなり、崩れるように座る。


「私のせいじゃないですぅ……」


それが第一声だった。


ノエルが横で頷く。


「うん」


珍しく、即答だった。


「今のは、たぶん違う」


ミレーユは目を潤ませる。


「ほんとですかぁ……」


エリカも、ここではかばう側に回る。


「あなたのせいではありませんわ。あの程度の乱れでそこまで崩れたのは、相手との相性が悪かっただけです」


クラリスはもっと冷静だ。


「いえ、相性ではなく技量差の問題です」


「はっきり言いますわね!?」


ミレーユが涙目で突っ込む。


だが、それが逆に少し救いになった。


舞台の中央には、まだ次が待っている。


ここまでで見えたものは、かなりはっきりしていた。


ノエルは平均。

ミレーユは本来もっと踊れる。

だが王太子と組むことで、審査は候補者だけのものではなくなる。


そして、最後に残っているのは――


最も“合わせる”ことに向いていなさそうな女だった。

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