第6話:勇者への道、その想定外
「聖剣を抜く前に、一応の『職務実績』を作っておくべきだ。いきなり無名の奴が最強の武器を握っても、あらぬ疑念を招きかねないからな」
サトウは地図を広げ、聖剣の迷宮の目と鼻の先にある『リベールの村』を指差した。一週目の記憶では、ここは小規模な魔物の被害に悩まされているだけの、言わば「初心者向けのボーナス案件」だったはずだ。
「サトウさん、あそこなら美味しい特産品のチーズがあるって聞いたっス! アタシ、魔物をサクッと片付けて、チーズの食べ放題を要求するっスよ!」
「ああ。俺たちのレベルなら、本来はオーバーキルな仕事だ。サクッと納品して、その勢いで聖剣を回収する。完璧なスケジュールだ」
サトウは自信満々だった。バグ技で上げたレベル20は、この地域の適正レベルを遥かに凌駕している。負ける要素など万に一つもない。そう確信して村に足を踏み入れた瞬間、サトウの「生存本能」という名の警報機が、鼓膜が破れんばかりの音を立てて鳴り響いた。
「……待て。空気が重すぎる。これは、ただのコボルトやゴブリンの気配じゃない」
村の広場は、凄まじい衝撃波によって石畳が砕け、家々は無残にねじ曲がっていた。そして、その中央に鎮座していたのは、一週目ではこの時期に出現するはずのない、漆黒の鱗を持つ中位竜『カオス・ドラゴン』だった。
「グルゥゥ……アアアアッ!」
「な、なんでこんな奴がここにいるっスか!? これ、アタシの拳が届くサイズじゃないっスよ!」
マイが尻尾を逆立てて構えるが、ドラゴンの放つプレッシャーだけで地面が陥没していく。サトウの顔面は、提出直前の重要書類をシュレッダーにかけられた時のように真っ白になった。
(バカな……! 一週目ではこいつの出現は半わ年後、聖都崩壊イベントの時だったはずだ! 俺がバグ技でレベルを上げすぎたせいで、世界のゲームバランスが狂ったのか……!?)
社畜時代の教訓その百六十八。想定外のトラブルこそが、プロジェクトを死に追いやる。ドラゴンの尾が一振りされるだけで、サトウたちの背後の民家が粉々に砕け散った。
「逃げるぞ、マイ! 今の俺たちの装備では、レベルが足りていても防御力が紙だ! これは『撤退』という名の戦略的決断だ!」
「でもサトウさん、逃げ道が塞がれてるっス! こいつ、アタシたちの足を狙ってきてるっスよ!」
ドラゴンの冷徹な瞳がサトウを射抜く。逃走は不可能。かと言って、有効な打撃を与える手段もない。サトウは絶望した。ホワイトな二週目を夢見て、定時退社を望んだはずの人生が、ここで終わるのか。
(……クソッ、ここまでか。俺のホワイトプランが、たった一つのイレギュラーで……!)
サトウが死を覚悟し、目を閉じたその時。戦場に、あまりにも聞き慣れた、そして今最も聞きたくなかった「救い」の声が轟いた。
「……その方にその汚らわしい爪を向けようとするなんて。……万死に値するわ」
紅蓮の炎が、ドラゴンの頭上で爆発した。空から舞い降りたのは、深紅の魔導衣を翻し、狂気と歓喜に瞳を燃やしたリナだった。
「ああ、やっと見つけました。あんなに急いで行かれるなんて、照れ屋さんなんですから。……でも、もう大丈夫ですよ。この『汚物』は、私が灰にして差し上げます」
ドラゴンの咆哮をかき消すように、今度は空気が「聖なる気配」で塗り替えられる。村の入り口から、清廉な微笑みを浮かべたセシルが、血の気が引くほど穏やかな足取りで歩いてきた。
「神に背く竜よ。……この方の歩みを邪魔することは、私が許しません。あの方はこれから、私と一生……いえ、来世まで続く契約を結ぶのですから。……お眠りなさい」
セシルが聖印を掲げると、ドラゴンの四肢が光の鎖で縫い付けられた。リナの極大魔法と、セシルの特級拘束。二年前の彼女たちでは不可能だったはずの出力が、サトウへの
「……リナ!? セシル!? なんでここに……というか、なんでそんなに強くなってるんだ!?」
「あのサトウさん……って、サトウさん、あの二人……なんだか目が笑ってないっスよ! ドラゴンよりも、あっちの方がヤバい気がするっス!」
マイの野生の勘は、正解を射抜いていた。ドラゴンを圧倒的な暴力で蹂躙しながら、二人のヒロインは同時にサトウへと顔を向けた。その顔は、長年探し求めた「逃げた債務者」を追い詰めた冷徹な取り立て屋そのものだった。
「サトウさんっていうんですね……、お話がたくさんあります。……まずは、あの納豆の使い道についてから、じっくりと」
「ええ。その後は、私の隣で『献身』を……♡」
サトウの背中を、ドラゴンの吐息よりも冷たい戦慄が駆け抜けた。助かったはずなのに、心臓の鼓動は先ほどよりも激しく打ち鳴らされている。
社畜時代の教訓その百七十。最悪のピンチを救ってくれたのは、さらに最悪な強制労働への招待状かもしれない。
サトウの二週目、ホワイト勇者計画。それは、一週目よりも遥かに重く、遥かに逃げ場のない「愛の独占雇用」という名の監獄へと、音を立てて崩れ落ちようとしていた。
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