第十八話:二度目の死
「……はぁ、はぁ、……死。……今度こそ、物理的にも概念的にも、俺の人生はまた……おわったのか…………」
深い闇の底で、サトウは自嘲気味にそう思った。
脳裏に焼き付いているのは、断崖絶壁から切り株ソリでダイブした瞬間の、心臓が跳ね上がるような浮遊感。そして、背後から迫りくるリナの爆炎とセシルの断罪の光が混ざり合い、視界が真っ白に染まったあの最期の光景だ。
(……せめて、有給休暇を全部消化してからにしてほしかったな……)
意識が薄れ、指先の感覚が消え、マイの泣き叫ぶ声さえも遠のいていく。
……だが、そこで終わるはずの意識が、妙にクリアな「音」を拾い始めた。
ガヤガヤとした喧騒。安っぽい酒の匂い。埃っぽい空気。そして、聞き覚えのある、事務的で冷淡な女の声。
「……おい、あんた。いつまでそこでフリーズしてるんだ? 後がつかえてるんだよ。登録する気がないなら、さっさとその場所を空けてくれないか」
サトウは、弾かれたように目を開けた。
視界に飛び込んできたのは、見覚えのある風景だった。石造りの無骨な壁、天井から吊り下げられた年季の入ったシャンデリア、そして、荒くれ者たちがたむろする「始まりの街」の冒険者ギルド。
「……ここは、……え?」
サトウは、自分の手を見た。
手枷はない。泥にまみれたボロ布のような服でもない。支給されたばかりの、糊のきいた安物の冒険者用チュニック。
腰に手をやれば、そこにあるのは、かつての「聖剣(のような光り輝く何か)」などという大層な代物ではなく、ギルドから貸与されたばかりの、刃こぼれひとつない安物の鉄剣だ。
(……戻ったのか? 嘘だろ、社畜時代の教訓その零……『デスマーチのやり直しは、地獄の二週目と同義である』……だぞ)
サトウは震える手で、受付カウンターの隅に置かれたカレンダーを凝視した。
間違いない。自分がこの世界に降り立ち、リナやセシル、そしてアルベルトやマイといった「劇物」たちと出会う、まさに数時間前の日付だ。
「……あんた、名前は? 登録するのか、しないのか、はっきりしてよ」
受付の女性が、面倒そうに羽根ペンを指先で回している。
サトウは深く、深く息を吐いた。肺に流れ込む空気は、かつての絶望的な逃避行の時よりも、ずっと軽くて冷たい。
脳裏をよぎるのは、一週目で自分を精神的・肉体的に追い詰めた女たちの笑顔と、執念深い魔法の輝き。そして、あの褐色の後輩、マイが「メンテナンス」を求めて縋り付いてきた、熱すぎる夜の記憶。
(……原因は明白だ。一週目の俺は、あまりにも受動的すぎた。リソース管理を怠り、福利厚生という名の過剰なサービスを提供しすぎた結果、パーティー全体のパワーバランスが崩壊し、俺という中間管理職が物理的に潰されたんだ)
サトウの目が、かつてのブラック企業で数々のデッドラインを越えてきた、冷徹なマネージャーの光を取り戻した。
「……サトウだ。……登録する。ただし、今回は『リスクマネジメント』と『効率化』を最優先させてもらう」
「……?なにをいってんの……?」
サトウは受付票に、迷いのない筆致でサインを走らせた。
一週目の記憶という名の「ナレッジ」を持った、世界で唯一の、そして最恐の「二週目・中間管理職」。それが今、この瞬間に誕生した。
(リナとセシル……あの二人には、絶対に深入りさせない。特に、服を破くような事態は万死に値する。アルベルトの尻は……死んでも見ない。そしてマイ、お前のあの『荷物持ち能力』は、今度は正しく、健全な雇用契約のもとで活用させてもらう……!)
サトウは、腰の安物の剣の柄を軽く叩いた。
この剣は、一週目ではすぐに錆び、二週目でもおそらく大した役には立たないだろう。だが、俺には「知恵」がある。どの路地に隠しアイテムがあるか。どのクエストが、最も低リスクで高利回りか。
そして、どのタイミングで逃げるべきか。
「……よし、まずは最初のタスクだ。……『スライム討伐による衣類破壊イベント』の発生を、未然に防ぐ。あんな痴態と修羅場は、もう二度と御免だ」
サトウはギルドの喧騒の中へと、力強い足取りで踏み出した。
背後から「変な奴……」という受付嬢の呟きが聞こえたが、今のサトウには心地よいBGMに過ぎない。
(待っていろよ、この理不尽な世界。今度こそ俺は、誰にも依存せず、誰にも依存させず、完璧な『定時退社』を勝ち取ってみせる……!)
サトウは街の市場へ向かった。一週目の記憶では、この時間に特定の路地裏を通れば、後に「爆炎の魔導士」として名を馳せるリナが、空腹で倒れているはずだ。
(……あそこは通らない。絶対に、絶対にだ。……あ、でも、あそこのパン屋の裏に落ちている『古びた銀貨』だけは拾っておくか。初期投資の資金は多いに越したことはないからな)
サトウの「二週目・効率化冒険者ライフ」は、かつてないほどの慎重さと、狡猾な計算と共に幕を開けた。
だが、サトウはまだ知らない。
一週目であれほどまでに自分に執着した女たちが、この「時間逆行」の違和感に、無意識のうちに気づき始めていることを。
「……あれ? 今、誰か……すごく『懐かしい匂い』がしたような……」
市場の片隅、空腹で倒れかけていたはずのリナが、ふと顔を上げて、サトウが歩いていった方向を見つめた。
運命の歯車は、サトウの計算を嘲笑うかのように、再び静かに、そして確実に噛み合い始めていた。
(……よし、これで装備は整った。次は、マイを探す。彼女の能力だけは、この『二週目プロジェクト』の成功に不可欠だ。……ただし、絶対に、指先一つ触れさせない『ホワイトな関係』を築いてみせるぞ!)
サトウは、自分に言い聞かせるように強く拳を握り、朝露に濡れた石畳を力強く蹴り上げた。
二週目のサトウの戦いは、魔王を倒すことでも、世界を救うことでもない。
ただ、自分一人の「尊厳」と「平穏な夜」を守り抜くこと。その一点に、全マネジメント能力が注ぎ込まれようとしていた。
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