第十三話「地下への道」

[本日のメニュー]

Menu #013 ― Descent Menu: Last Meal Before the Underground

「地下に潜る前に食べたものが、最後の食事になるかもしれない。だから、美味いものを食え。」

― 柳刃亭 本日のおすすめ ―


明後日が、来た。


ケンジは午前四時に起きた。いつも通り。


仕込みをした。いつも通り。


昆布だしを確認した。平目の状態をチェックした。柳刃の刃を確認した。


シャッ、シャッ。


砥石を当てる。角度十二度。今日は特別に時間をかけた。三十分。普段の三倍だ。


刃を光にかざす。鏡面。完璧だ。


(これで足りなければ、腕の問題だ。)


ケンジは砥石を置いた。


——


昼の営業は、いつも通りだった。


ミサキが来た。肩の傷はほぼ完治している。顔色がいい。


「今日、なんか雰囲気違いますね。」彼女は言った。


「そうですか。」


「うん。なんか——真剣というか。」


「いつも真剣です。」


「それはそうなんですけど。」ミサキは平目の薄造りを口に入れた。「今日は特に、なんか。」


ケンジは答えなかった。


リョウも来た。最近は毎日来ている。


「ケンジさん、今夜何か予定ありますか。」


「あります。」


「え、何ですか。」


「仕事です。」


「板前の仕事じゃないやつですか。」


ケンジはリョウを見た。三秒。


「勘がいいですね。」


リョウが目を丸くした。「まじですか。」


「食べてください。冷めます。」


リョウは黙って食べた。だが箸を置いたとき、顔が真剣になっていた。


「——危ないですか。」


「わかりません。」


「一緒に行きます。」


「来ないでください。」ケンジは即答した。「あなたはBランクです。地下の構造に対応できない。足手まといになる。」


リョウが口を開いた。何か言おうとした。


「リョウ。」ケンジが遮った。


「……何ですか。」


「明日の朝、ここに来てください。」


「え。」


「仕込みを手伝ってもらいます。」


リョウが固まった。ミサキが吹き出した。


「それって——生きて帰ってくるから手伝えってことですよね。」


「魚の仕込みは一人より二人の方が効率がいい。それだけです。」


リョウがしばらく黙った。それから、小さく頷いた。


「……わかりました。朝、来ます。」


——


夜十時。


ケンジは黒い服に着替えた。


柳刃を腰に差した。


出かける前に、冷蔵庫を開けた。明日の仕込み用の魚を確認する。平目、二枚。鯖、一本。小肌、適量。


全部、新鮮だ。


(明日の朝には使える。)


扉を閉めた。


角の椅子を見た。


「行ってきます。」


いつも通り、返事はなかった。


ケンジは店を出た。


夜の空気は冷たかった。乾いていて、少しだけ——


血と土の匂いがした。


——つづく——


[捌き師の所見 #013]

本日の客

ミサキ:表情の読み方が上手くなった。★★★★☆

リョウ:感情より行動で示す男になりつつある。★★★★☆

冷蔵庫の中身:完璧。★★★★★

総評:「良い素材は、待っていてくれる。だから、必ず戻る。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る