17.

「天城の心理を述べよ。十文字以内で」

「ぼんじんにはむりかな」

「すげえ、ぴったりだ。でも心理じゃないからゼロ点だよ、兄ちゃん」

「ごめんな、俺その天城くんって子じゃないから」

「だよな……」

 天城にフラれて以来、久しぶりに兄の慧がバイトするダイニングバーにやって来た惟人は、オムライスとオレンジジュースを前に大きなため息をついた。

 今日は客で半分ほど席が埋まっており、兄は忙しく動き回っている。

 ふわふわ卵にスプーンを入れて、惟人は気分の晴れなさを上手く言語化出来ず、もやもやを抱えたままだった。

 あれから天城は、惟人に近づかなくなった。

 同じ教室でも離れた席に座るし、話しかけても来なくなった。

 せいせいするかと思いきや、どうにも気分が落ち着かない。


 離れてくれたのは良かった。

 話しかけられないのもすっきりした。

 でも。


 近づいては来ないが、なんとも言えない視線を向けてくるのが不気味だった。

 恨みがましい、というのか。

 拗ねたような、というのか。

 小さな子どもがおもちゃを買ってもらえずに、ふてくされているような感じが近い。

 理解が出来ず、戸惑っていた。


 新しいカレシが出来たからとフったのは天城で、フラれたのは惟人だった。

 まだ何にも関係は進展しておらず、「友達から」と始めた付き合いは、「友達のまま」終わった。

 でも天城の距離感は付き合っていた時のままで、待遇も付き合っていた当時のものを求めてきた。


 いや、無理でしょ。


 そこが齟齬の始まりか、と思えばまたため息が漏れる。

 天城にとっては、別れても、友達のままでも、「カレシ待遇してもらえるのが当たり前」なのだろう。

 でも自分は無理だった。

 付き合っているから親切にしようと思ったし、それが当然だと思った。

 形としては「特別な相手」なわけで、「特別な相手」にはそりゃ優しくするし特別扱いもする。

 でも友達なら、惟人はベタベタしないし、勘違いされるような距離感で近づいたりもしない。

 甘やかしもしない。

 それが当然だと思っているし、間違っているとも思わない。


 天城とは価値観が違うし、相容れない。


 向こうは向こうの価値観を押し通そうとし、惟人は譲れなかった。

 それだけの話で、向こうがこちらに「歩み寄れ」「特別扱いしろ」と迫ってきても、受け入れる理由もない。


 ……俺、その辺のセフレ男と同じと思われてた?


 なるほどー。

 相互理解が及ばないって、不幸だなー。


 近づいて来なくなったから、ようやく諦めたのかと思ったら。

 恨みがましい目で見てくる意味~。

 どうして~。


 兄ちゃんに聞いても、わからないって言われる。

 兄ちゃんがわからないなら、誰に聞けばいいのやら。


 カウンター向こうに戻ってきた兄がグラスを洗いながら、こちらに視線を向けてくる。

「んで?どうすんの?」

「どうもしない。こっちから下手に話しかけたら、また絡まれそうだし、理不尽な要求されそうだし」

「正解だと思う。てか、向こうが単位落としたら会うことなくなるんじゃない?」

「そうか、そうかも。後期はもう科目合わせたりしないし」

「単位は取れそうか?」

「俺真面目に勉強してっから。落とすことは絶対ないよ。レポートも欠かさず提出してるし」

「さすが我が弟。褒めてつかわす。……このオレンジジュースは、俺のおごりな」

「ありがと、兄ちゃん!」

 グラスを置いてもらって礼を言い、惟人はまたオムライスを口に運んだ。


 天城とは、このまま疎遠になりたい。


 自分の中で結論が出たところで、ちょうどオムライスがなくなった。

 兄はテーブルの常連達と会話が弾んでいるようで、楽しそうに笑っている。

 そんな兄を見て、惟人は自然と笑みが浮かんだ。


 兄ちゃん、ここのバイトは楽しそうなんだよな。


 高校を卒業してから、兄は夜の世界に飛び込んだ。

 手っ取り早く稼げるから、と軽く言って、母も惟人も止めたけれども聞かなかった。

 朝帰ってきてはトイレで吐いて、酒臭くて、でも辞めなかった。

 兄が自分で決めたことだから、心配はしたが、何も言えなかった。

 一人暮らしを始めて最初の頃は顔色が悪かったが、ここでバイトをするようになって顔色が良くなった。

 オーナーが食事を作ってくれるようになって、健康状態が良くなったと本人が言っていた。

 ……兄ちゃんにも苦労かけてる。

 金銭的にもかなり助けてもらってる。


 ちゃんと就職して、いつか家族を助けられるようになる。

 ……天城のことを気にしている暇はない。


 それに俺、八木さんのことで頭いっぱいだし。


 ようやく頭を切り替えられそうだ、と思ったところで声をかけられた。

「君可愛いね。大学生?」

 一つ飛ばした隣に座っていたサラリーマンが、ビールの入ったグラスを揺らしながら笑った。

 酔っ払っているようには見えなかったので、惟人は無難に頷いた。

「はい」

「へー。待ち合わせ?大学生が隠れ家バーに来るって珍しいよね」

「そうですか?」

 男はスーツを着ていたが、背は高くしっかりとした体格だった。

 男の隣にはもう一人サラリーマンが座っていて、その男もこちらを見て笑っている。

 三十歳前後に見え、どうにもチャラそうな印象だ。

 おもむろにビールのグラスを持ちながら男が立ち上がって、惟人の隣に腰掛けた。

 顔を顰めないよう気をつけたが、すぐに失敗だったと気がついた。

 至近に顔を寄せられ、じっと見つめられて、顔を逸らす。

 逸らした分だけ近づかれ、惟人は隣の壁に遮られて、逃げられなくなった。

 端の席に座るんじゃなかったと後悔したが、ここはいつも惟人が来たら兄が勧めてくれる席だった。

「……なんですか?」

「え、ヤバいな。マジかわいー!オレンジジュース飲んでるのもサイコー」

「……」

「名前なんて言うのー?酒奢ったげる」

「いえ、結構です」

 もう一人の男が立ち上がって、惟人の背後に回ってきた。

 肩に手を置かれ、鳥肌が立つ。

 屈み込まれ、耳元で囁かれた。

「一人でこんなとこ来ちゃダメだよ。家まで送ってってあげる」

「……」


 なんだこいつら。

 キモい。

 怖い。


 兄ちゃん助けて。


 兄へと視線を投げる前に、新たに現れた男が惟人の肩に置かれた手を掴んで、払った。

「……はぁ?なんだてめぇ」

「……なんだはこちらの台詞だ。今何時だと思ってるんだ?飯を食う時間だろうが」

「あ?」

「よそでやれ。その子に手を出すな」

 低く怒りを抑えた声に、惟人は視線を上げた。

 目の前にいるのは、不快げに顔を歪めた八木だった。

「……八木さん」

 ちらりと視線を寄越した八木が、安心させるように笑った。

「すぐ追い出すから、心配するな」

「はい……」

 いつものように笑ってくれるその姿に、惟人はほっと息を吐く。

「はー?なに?この子の待ち合わせ相手って、あんたなの?」

「……」

 八木が答える前に、兄が隣に立つ。

 兄を見ると男達は一転、媚びるような笑顔になった。

「慧くん!今日も来ちゃったー。ねね、今日はさー、この子連れてっていい?カワイーよねー!」

「いいわけねぇだろクソカスどもが」

「……え?」

 男達の笑みが凍り付き、兄の顔を見て、惟人も硬直した。

 無表情の兄なんて、見たことがない。

 兄は静かに、他の席には聞こえない程度の声量で囁いた。


「ルールを守らねぇゴミは、この店にいらねぇんだよ。二度と来るんじゃねぇぞ」


 瞳孔かっぴらいた兄ちゃん、怖い。

 マジギレしてる。


 その凄みは堂に入っており、夜の世界で生きてきた強さを感じずにはいられなかった。

 固まった男達は動揺し、一斉に言い訳を始めたが、兄は相手にしなかった。

 何を言われても明らかな営業スマイルで、「ありがとうございました。お会計はこちらでお願いします」を、延々と繰り返すボットになってしまった。

 それを八木はなんの感慨もなく見つめ、追い出される男達の後ろ姿を見ることもなく、空いた惟人の隣へと座った。

 その存在感と安心感に、ようやく肩の力が抜けた。

「惟人くん、大丈夫か?」

「は……はい……えっと、ありがとうございます……」

 頭を下げると、八木は心配そうに眉を顰めた。

「あんなカスどもに絡まれて災難だったな」

「……はい」

 兄がいるので、そこまで不安にはならなかった。


 絶対助けてくれるから。

 現に、助けてくれた。


 だがあんな絡まれ方をしたのは初めてだったので、内心の動揺はまだ収まらない。


 酔っ払ってなくてもあんな絡み方するヤツ、いるんだな……。

 テレビやドラマの中にしか、いないと思ってた。


 八木さんも助けてくれて、嬉しかった。

 堂々と立ち回る姿はとても格好良かった。


 ……二人ともすごいな……。


 大きくため息をついたところに、兄がカウンター向こうに戻ってきて、惟人へと詫びた。

「ごめんな、気づくの遅れた」

「大丈夫。……助けてくれてありがと」

「当然だろ。……あ、誤解すんなよ。俺の弟ってことを言わなかったのは、あいつらがどこかで惟人を見つけて理不尽に絡んできたら困るから、だからな」

 空になったオムライスの皿を引き上げながら言われて、惟人は意外な思いで目を瞬く。

「え?あ、……そこまで気にしてなかった」

「ならいいけど。……惟人は、二十時までには帰ること」

「いつも帰ってんじゃん」

「念押ししとかないと。二十時からは酒目的ばっかになるから、マジ危ない。さっきみたいなのの比じゃねーからな」

「そ、そうなんだ……?」

「絶対だぞ。兄ちゃんと約束しろ」

「わ、わかった」

「あと、ここの近辺も夜の店ばっかだからな。近づくんじゃねーぞ」

「うん……」

「あー油断した。まさか惟人に絡むとは……」

 舌打ちしながら食器を片付ける兄は、見慣れない姿だ。

 心配してくれたのだと思うと、嬉しい。

 ずっと隣で静かに座っていた八木が、当然と言わんばかりに頷いた。

「惟人くんは可愛いからな」

「へ」

 一気に惟人の鼓動が跳ねた。


 ……また言われた。


 怖かったはずなのに、その一言で別の意味の動悸が混ざって、自分でも意味がわからず動揺した。

 横から兄が呆れたように口を出す。

「おまえの可愛いは邪なんだよなー」

「ヨコシマ?」

 首を傾げる八木を無視して、慧は惟人へと視線を向けた。

「……マジで夜は一人で出歩くなよ?惟人」

「へ?あ、え?いや、子ども扱いか!」

「ほらな、そーゆーとこだよ」

「どーゆーとこよ?」

 惟人が聞き返しても兄はもう答えてくれず、八木はその場で立ち上がった。

「……八木さん?」

「伊加。あとで戻ってくる。惟人くんを車で送ってくる」

「あ、それ助かる。さっきの連中が外で張ってないとも限らねーし」

「だよな」

「え……?え?」

 兄と八木の間を視線が行き来している間に、兄が盛大なため息をついた。

「八木に送ってもらえ。気をつけて帰れよ」

「……え、マジでさっきの人達、いるって思ってる……?」

「いてもおかしくないって、言ってんの。二人がかりで襲われたら、おまえ逃げられるの?」

「……」

 想像したら、身震いした。


 あの二人、体格が良かった。

 押さえつけられたら、逃げられないと思う。


「あとしばらくここ来るの禁止な」

「……マジで?」

 兄の顔は真剣だったし、八木の顔も冗談を言っているようには見えない。


 そんなに?

 夜、危ないの?


 今までは十八時に来て、十九時前には帰っていた。

 帰り道は帰宅途中の人達がたくさんいて、危険なことなど一つもない。

 今の時刻も、十九時だ。


 ……でもあいつらに待ち伏せされてたら、確かに怖い。

 身の危険を感じる。


 ――自分がナンパされるとは、思わなかった。


「……八木さんすいません、ありがとうございます」

 惟人が立ち上がって頭を下げると、八木は優しく笑ってくれた。

「惟人くんの安全が第一だ」

「……はい」

 八木が車を止めているのは、コインパーキングだった。

 酒を飲んでいなかった理由を理解した。

 当然のことではあるのだが、八木さんはちゃんとした人だと思うと惟人は安堵する。

 店を出て並んで歩き出すと背後から舌打ちが聞こえ、咄嗟に振り返ってしまった。

 先ほどの男達が忌々しげな視線を八木へと向けている。

「……は……?」

 背筋に悪寒が走り、身体が震えた。


 マジかよ……。


「惟人くん、見なくて良い」

「……はい……」

 八木の手が惟人の背に回り、自分の方へと引き寄せた。

 自身の腰あたりに感じる体温に惟人の身体は別の意味で震えたが、八木は気遣わしげな視線をくれただけだった。

 作業着を着ていない八木は、ただの厳つい男前なので、惟人は急に恥ずかしくなって顔を上げられない。

 寄り添って歩く自分たちは恋人に見えるだろうかと考えると、なんだか居ても立っても居られなくなった。

「大丈夫か?」

「はい……」

 至近で見る彼の瞳は、心配そうなのに、熱を感じた。

 いつも見ている表情のはずなのに、まるで自分だけに向けられているように錯覚する。

 大切なものを見るような視線だった。

 子どもや動物に向けるのとは違う熱が、そこにはあった。


 ……え、これ、ホントに……?


 駐車場に着くまでずっと腰を抱かれていて、熱い手のひらは離れなかった。

 触れられた場所がぞわぞわと妙な感覚がして鼓動を落ち着かせるのが大変だったが、八木に声をかけられ視線を上げた。

「着いた。あの車だ」

 そんな厳つめのお兄さんが乗っているのは、スライドドア式の背が高い軽だったので、そのギャップに身悶えた。


 似合わないのに、似合ってる。

 何だろうこの不思議な感じ。


 八木さんの外見には似合ってない。

 もっとゴツくて大きな車に乗ってそうなイメージなのに、動物園の飼育員さん、と考えると全く違和感を覚えない。

 八木はキーを取り出して運転席のドアを開けながら、立ち止まっている惟人を助手席へと促した。

 離れて行った手のひらの体温が、ずっと腰に残っている気がして落ち着かない。

「祖母の通院に使うから、後ろが広い方が乗り降りしやすい」

 突然現実に戻された気がして、惟人は瞬きをしてから頷く。

 頬が熱いのはもう、気づかれませんようにと祈るしかなかった。

「なるほど確かに……。あ、お邪魔します!」

「どうぞ」


 カッコイイ八木さんも好きだけど。

 家族思いの八木さんが、素敵なんだよな。


 密室の中、八木との距離がとても近くて、助手席は緊張した。

「……家は、伊加が住んでた頃と変わってないか?」

「はい、変わってないです」

「わかった」

「あれ?うち、来られたことありますっけ?」

 学生時代の兄は、友人を家に連れてきたことはなかったと思う。

 惟人が思い出すような顔をすると、八木は何でもないように首を振った。

「俺の実家は、惟人くんの家の向こうにあるんだ」

「えっそうなんですか!」

「学生の頃、帰る時に前を通ってた」

「へー……!」

 家までは、駅で一駅の距離だ。

 車で行けばそれほど時間はかからない。

 短い時間で、八木は兄がバイトしているバーについて教えてくれた。

「あの店は、二十時以降は絶対行かないように」

「……何でですか?」

「さっきみたいな連中が集まるから」

「……出会い目的みたいな?」

「そう。ヤリモ……、……一夜の相手を探す奴らが、主に」

「……なるほど……」

 八木は咳払いをしてごまかしたが、聞こえてしまった。


 ヤリモクの人達が集まる店でしたか……。

 だから兄は「ルールを守れ」と言ったのか。


「……八木さんも利用してるんですか……?」

 聞いてはいけないし聞きたくはなかったが、聞かずにはいられなかった。

 惟人にとっては、大事なことだ。

 さりげない風を装って尋ねてはみたものの、手に汗をかいた。

 八木は即座に否定した。

「いや。俺は飯を食うだけだ。だから早い時間に行ってる」

「そうですか……」


 初めて会った時も、ご飯食べてたな。

 そっか。

 良かった。


 惟人はそっと安堵した。

 八木の返答があまりに早かったことの意味までは、考えなかった。

 

 家の前で車が停まり、惟人は改めて礼を言った。

「ありがとうございました、八木さん」

「試験、がんばれよ。まぁ君なら大丈夫だろうが」

「はい!おやすみなさい!」

「おやすみ」

 ずっと八木の表情は穏やかで、いつもと変わりない。

 それでも瞳の奥にある感情に、気づいてしまった。






 衝撃的な出来事に色々な思考が吹っ飛んでしまったが、惟人はベッドに入ってから思い出す。

「八木さん俺のこと、可愛いって言ったな?」


 カッコイイ八木さんから見たら、俺って可愛く見えるのか。

 ……え、俺、大丈夫かな。

 カッコイイって思われたいのに。


 この気持ちは、勘違いで片づけるには育ちすぎていた。

 もう消せる気がしない。


 あとは、タイミング。

 ――告白なんてしたことないけど。

 ちゃんと、受け入れてもらいたい。


 ぐるぐると考え始めると眠れなくなってしまい、翌日は寝不足で試験を受けなければならず、辛い思いをしてしまった。

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