第18話 魔王、勇者を守る判断
ノルンが引き起こした「加速のバグ」が収まった後の開拓現場は、まるで爆撃を受けたような惨状だった。
地面は不自然に抉れ、過剰な摩擦熱でガラス化した土壌が鈍く光っている。
「……う、ぐ……」
アルスは泥の中に倒れたまま、痙攣する腕を必死に抑えていた。
無理もない。神速の動きに肉体がついていかず、全身の筋肉が断裂寸前まで追い込まれているのだ。
「アルス様! ……ああ、なんてこと……!」
駆け寄ったリリナが、震える手でアルスの傷に触れる。だが、彼女の『聖女』としての祈りは、神の干渉を中和したこの現場では霧散し、ただの虚しい呟きとなって消えていく。
1
「……バルガス。現場を封鎖しろ。これより、開拓作業は無期限の停止だ」
俺の言葉に、周囲の魔族たちがどよめいた。
「陛下、しかし! この水路が完成しなければ、夏の干ばつを乗り切れませんぞ!」
「神の気まぐれに付き合って、領民を壊してまで作る水路に価値はない。……バルガス、聞こえなかったか? これは命令だ」
俺は冷徹に言い放ち、倒れているアルスの前にしゃがみ込んだ。
かつての勇者は、激痛に顔を歪めながらも、俺を睨みつけてきた。
「……笑えよ、魔王。……結局、俺は神の力に踊らされて……自分じゃ、何も……」
「笑うわけないだろ。……お前のせいで、俺の今週の労働計画(スケジュール)は白紙だ。……いいか、アルス。お前はもう『世界を救う道具』じゃない。俺の領地の、ただの出来の悪い『新人労働者』だ。だから――」
俺はアルスの泥だらけの身体を強引に抱え上げた。
「――勝手に壊れるな。それは俺の、管理責任の問題になる」
2
『……あら、かっこいい。でも魔王様、そんなに甘やかしていいのかしら?』
空の彼方、反省の色が微塵もないノルンの声が響く。
『彼を「守る」なんて、そんなの、彼が望む「自立」とは正反対じゃない。もっと過酷な運命を与えてこそ、魂は輝くのよ?』
(……黙ってろ、だめがみ)
俺は心の中で、全力の呪いを込めて返した。
「自立ってのは、一人で死ぬことじゃない。……理不尽な災害から守られ、その上で自分のやるべきことを見つけることだ。……あんたの『運命』なんていう安っぽい娯楽のために、こいつらを差し出すつもりはない」
空気が一瞬、凍りついた。
アストレアの「観測」が、これまで以上に鋭く俺の背中に突き刺さるのを感じる。
神の用意した試練を拒み、被造物を「守る」と宣言した魔王。
それは、彼女たちにとって最も理解しがたく、そして最も魅力的な「反逆」だった。
3
俺はアルスをバルガスに預け、集まった魔族と人間に向かって声を張り上げた。
「全員聞け! 今後、空からの『奇跡』はすべて『災害』とみなす! 異常現象を確認したら即座に作業を中断し、避難しろ! ……神の祝福で楽をする必要はない。俺たちは、俺たちのペースで歩く。……文句がある奴は、俺のところへ来い!」
静寂。
そして、魔族たちから「流石は陛下!」「神を敵に回してまで我らを守るとは!」という、例によって巨大すぎる勘違いの歓声が上がった。
……いや、半分は合っている。
俺は今、明確に神を拒絶した。
それが、どれほど危険な綱渡りであるかは分かっている。
「……陛下」
アルスが、バルガスの肩を借りて立ち上がり、消え入りそうな声で呼んだ。
「……あんたが言った『責任』。……少しだけ、信じてみたくなった」
「……寝言は寝て言え。……バルガス、医務室へ運べ。……それからリリナ、お前は神に祈るのをやめろ。代わりに、俺が教えた『生理食塩水』を作れ。それが今、アルスに必要な唯一の救いだ」
俺は背中を向け、沈みゆく夕日を眺めた。
勇者を守るという判断。それは、俺の「平穏な隠居」という夢を、さらに修羅の道へと変える決断だった。
「……だめがみ。……次は、どんな嫌がらせを準備してるんだ?」
俺の独り言に答える者はいない。
物語は勇者の視点へと移り、彼が「魔王という男」をどう見ているのか、その内面が明かされることになる。
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