第6話 幸運という名の時限爆弾
俺が内政において最も重視しているのは「予測可能性」だ。
今日種をまけば、数ヶ月後にこれだけ収穫できる。これだけ働けば、これだけの報酬がもらえる。この積み重ねこそが、魔族たちの荒んだ心を安定させる唯一の薬だと信じているからだ。
だが、運命を司る女神ノルンにとって、そんな「地味な積み上げ」は退屈の極みらしい。
「……陛下。少々、よろしいでしょうか」
執務室に現れたバルガスの顔が、かつてないほど困惑に満ちていた。
「どうした。また石像でも建て始めたか?」
「いえ……。北の海岸で採取される『ただの塩』についてなのですが」
1
魔王領の北側、岩場が続く海岸では細々と製塩が行われている。
俺が教えた「枝折り式」の塩田による、ごく普通の塩だ。本来なら、領内での自給自足用、余っても近隣の島と物々交換する程度の価値しかない。
「それが……今朝から、採取される塩がすべて『虹色に輝く結晶』に変化しておりまして」
「……は?」
「さらには、その塩をひと舐めした職人が『若かりし頃の情熱が蘇った!』と叫んで、一晩で十キロの岩を素手で粉砕したとのこと。現在、塩田の周りには『聖なる塩』を求める民が殺到し、パニック状態にあります」
俺は手に持っていたペンを置いた。
思考を放棄したくなるが、前世のプロジェクトマネージャーとしての経験が警鐘を鳴らす。
(希少価値の爆上がり、それに伴う治安の悪化。そして何より、既存の塩の市場価格の崩壊……。またあいつか)
2
『あはは! 見た? 魔王様! 「幸運の粒(ラッキー・ソルト)」よ!』
空気が微かに震え、ノルンの弾んだ声が脳内に直接響く。
「……ノルン。お前、何をした」
『だって、あなたの国の特産品、地味すぎるんだもん。もっとこう、「世界中が欲しがるお宝」があったほうが、国が潤うでしょう? 運命の糸をちょっと捻って、塩の成分を「奇跡」に書き換えてあげたわ!』
(……経済を破壊する気か、この駄女神)
「いいか、ノルン。そんな異常な価値を持つものが突然現れれば、人間領の強欲な商人や、略奪目的の連中がこの島に押し寄せる。俺は『忘れられた平和』が欲しいと言ったはずだ」
『えー? 賑やかになっていいじゃない。運命は動いてこそ価値があるのよ!』
声が遠のく。彼女にとっては、これもチェスの駒を一つ進めた程度の遊びなのだ。
3
俺はバルガスに矢継ぎ早に指示を出した。
「バルガス、今すぐ塩田周辺を封鎖しろ。虹色の塩はすべて『劇物』として回収。触れた者、舐めた者は医療班の検疫を受けさせろ」
「げ、劇物ですか!? あれほど神々しいものを……」
「神々しいものほど毒になる。……それから、商人たちには絶対に情報を漏らすな。もし漏れたら『あれは陛下が魔術実験に失敗して生み出した副産物で、三日後にはただの石ころに戻る』と噂を流せ」
「ははっ! 奇跡をあえて不浄なものとして隠蔽し、民を守る……。流石は陛下、その深謀遠慮、恐れ入ります!」
バルガスが感動に震えながら走り去っていく。
俺は椅子に深く沈み込み、窓の外の青空を睨みつけた。
「……だめがみ」
本日四度目の、そして最も魂の籠もった呟き。
「幸運」という名の劇薬を無差別にバラ撒く女神。
俺がどれだけ緻密に「普通の国」を設計しても、あいつらは上から平気でインクをぶちまけてくる。
「……寝たい。今すぐ、何も考えずに寝たい」
だが、回収された「虹色の塩」の処分方法と、興奮した民への鎮撫策を考えなければならない。
俺の有給休暇は、またしても幻に終わった。
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