この作者は、肝心なものに名前をつけません。腕の中の存在を「小さな何か」とだけ呼び、語り手が誰なのかも言わない。なのに読み終える頃には、こちらが勝手に全部わかっている。「嬉しい」「寂しい」と書かずに、その感情だけを胸に残していくんです。
散ってしまった桜を「まだ綺麗に咲いとるよ」と嘘でかばう人。同じ横断歩道で、同じ台詞が始まりと終わりに二度だけ鳴る瞬間。派手な事件は起きません。ただ、見慣れた日常の角度が、ほんの少し変わる。それだけが、こんなに効く。
1話およそ800字、1ページ完結。「あと一話だけ」とめくるうちに全部読み終え、そして、しばらく黙ってしまう。行間に置かれたものを自分で拾うのが好きな人には、これ以上ない一冊です。
本作は、誰の人生にもある 「ふとした瞬間」を鮮やかに切り取った超短編連作 です
どのエピソードも一ページで完結しており、その限られた文字数の中に、日常の温度や匂いまでもが凝縮されています。
物語の舞台は、多岐にわたります。 迷信を疑わない友人と過ごすユーモラスな下校路
、深夜のコンビニ前で食べるアイスの味と、ほんの少しの恋の予感
あるいは、言葉の通じない愛犬の視点から描かれる、家族の小さな変化
著者は「あぁ、分かる」と思ってもらえることを願って筆を執っておられますが、読者はまさに、自分の記憶のどこかにある景色を重ねずにはいられません。
特に印象的なのは、五感を刺激する繊細な描写です。 あずきバーを噛む音、ヘアコロンの甘い香り、あるいは遠距離恋愛で感じる「季節のズレ」による切なさ
日常に埋もれてしまいそうな小さな感情や光景が、丁寧な筆致で丁寧に紡がれています。
「筆休めに勢いで書いている」という著者の言葉通り、その軽やかさが読者の心にスッと入り込み、読後には温かい余韻を残してくれます。
忙しい日々の隙間に、一話ずつ大切に読みたくなるような、心のサプリメントのような一冊として、多くの方におすすめしたい作品です。