第17話 神様UNDEFINED


 夏休み初日。


 ようやくだ。太陽フレア検知バッチのテストを始める。「週末にやる」と言ってから何週間経ったか数えたくない。風矢くんに呆れられる前に片付けたい。


 Macを開いた。Pythonのコードを立ち上げる。テスト用のサンドボックス環境に接続して、


 iPhoneが鳴った。


 高いビープ音、三回。アラート。


 画面を見た。


  [ALERT] Database: United_Kingdom

  Error: Undefined

  Action required: Investigate


 首を傾げた。


 Error: Undefined。


 Undefinedは「未定義」。エラーの種類がわからない。インデックス破損でも、デッドロックでも、テーブル損傷でもない。エラーなのに、何のエラーかわからない。


 こんなアラートは初めてだ。


 マニュアルを開いた。Undefinedで検索する。該当なし。リファレンスにも載っていない。


 とりあえずデータベースを見る。


  USE United_Kingdom;


  CHECK TABLE citizens;


 OK。


  CHECK TABLE health_records;


 OK。


  SHOW TABLE STATUS;


 全テーブル正常。Data_freeもゼロに近い。


 ステータスOK。異常なし。


 アラートの誤作動かもしれない。Undefinedなんて、システム側のバグじゃないか。


 五分後。


 iPhoneが鳴った。


  [ALERT] Database: United_Kingdom

  Error: Undefined

  Action required: Investigate immediately


 「至急」が加わった。


 いやUndefinedを相手に何をどうしろと言うのか。エラーの中身がわからないのに対処しようがない。


 十分後。


  [ALERT] Database: United_Kingdom

  Error: Undefined

  Action required: Investigate immediately - URGENT


 今度は「大至急」が加わった。


 怖くなった。Undefinedのまま、アラートだけがエスカレートしていく。


 その時、iPhoneが震えた。アラートじゃない。着信。


 番号は表示されていない。画面には「CENTER」とだけ表示されている。


 管理センターからの着信。


「はい」


「管理者コード0877-KJTS、赤城果実様でお間違いないですね」


 女性の声だった。低くて、平坦で、感情の読めない声。


「はい、赤城果実です」


「私は銀河系危機管理対策エージェント、名をレイニー・マクベスと申します」


 聞いたことのない名前。聞いたことのない部署。


「先ほどメールをお送りしております。ご確認いただけましたでしょうか」


「いいえ、いま確認します」


 Macでメールを開いた。管理センターのドメインから一通。件名は「期間限定キャンペーンのお知らせ」。


 広告?


「本文はただの広告です。添付ファイルをご覧いただきたい。パスワードは大文字のGで始まる一語、GHOST」


 添付ファイルを開いた。


 新聞記事だった。英語。ロンドンのタブロイド紙の切り抜き。小さな記事。見出しは「Ghost on the Tube?」。地下鉄に幽霊が出るという噂。記事にはぼんやりしたイラストが添えられている。黒い帽子、黒いコートの男のシルエット。写真ではない。


「いまはゴシップの域です」


 レイニー・マクベスの声は淡々としていた。


「しかし目撃者は既に三十二名を超えています。そのイラストは、いずれはっきりとした写真や映像として公開される可能性があります。そうなれば」


「そうなれば?」


、ということになります。物理法則が根底から歪む。世界はそこから崩壊に向かう可能性があります」


 思わず椅子から立ち上がった。


「それが、さっきのアラートの……エラーUndefinedですか」


「はい。物理法則に抵触しうる事象は、既存のエラー分類に該当しないため、Undefinedとして分類されます」


「前にもこういうことは?」


「前任者の時代にも何度かこのケースは発生しています。しかし大事には至りませんでした。目撃者が少なく、その信憑性も乏しかったためです。今回は状況が異なります」


「三十二名」


「はい。さらに増加傾向にあります。シュレーディンガーの猫の話はご存知でしょうか」


「観測するまで、生きてるか死んでるかわからない猫の話でしたっけ」


「今回の事象も同様です。幽霊の存在が公に観測……すなわち、映像として記録され広まった瞬間に、物理法則は確定的に崩れます。現時点ではまだゴシップに留まっていますが、猶予は長くありません」


「幽霊騒ぎの正体はわかっているんですか」


「不明です。ただし、人間の仕業ではないことは確認されています」


「でも、データベースにも異常はありませんでした」


「私の話は以上となります。この件の解決を期待いたします」


「待ってください。対処方法を教えてください」


「それを何とかするのが管理者の役目でしょう。申し訳ありませんが我々の専門外です」


「専門外って……じゃあ、何のために」


「我々はあくまで、星に危機が感知された際にそれを担当管理者にお知らせする委託企業に過ぎません。それが、あのアラートです」


 アラートを送っていたのは、この人たちだったのか。上位神さまもセンターも、そんなことは一言も説明してくれない。


「それでは、失礼いたします。ご健闘をお祈りしております」


 通話が切れた。


 iPhoneを握ったまま、しばらく動けなかった。


 Undefined。ロンドン。データベース異常なし。不整合なし。オーバーヘッドなし。エラーの正体は物理法則に抵触しうる事象。つまり、SQLでは定義できない何か。


 風矢くんの顔が浮かんだ。でもUndefined。「何がわからないの」と聞かれて「全部」と答えるミキやユイみたいなものだ。神様がそんなみっともない真似はできない。


 前の星のことを思い出した。疫病が蔓延していた村。アラートが鳴ったけど、データベースだけでは対処しきれなかった。次から次へと感染データが登録されて、DELETEが追いつかなくて。もっともあの頃はPISAだったから、DELETEにはセーフティが付いていた。間違えても自動で復元されるので安心して叩けた。SQLにはそんな親切な機能はない。あの時、現地に赴いてワクチンの開発に協力した。現場で見なければわからないことがあった。


 今回も同じだ。データベースに異常がない以上、画面の向こうからでは何も見えない。


 行くしかない。私が、ロンドンへ。


  ◇


 夜。成田空港。


 ロンドン行きの直行便。離陸は午後十一時。到着はロンドン時間の早朝四時半。所要時間は約十二時間半。


 空間転移で直接ロンドンに飛ぶこともできた。でもパス。前の星で精度を誤って岩盤の中に実体化しかけたことがある。あの時は本当に死ぬかと思った。神様は死なないけど、岩に埋まったまま三時間もがくのは二度と経験したくない。


 飛行機に乗り込んだ。窓側の席。離陸する。東京の夜景が小さくなっていく。


 世界崩壊の可能性を抱えたまま、機内食は喉を通らなかった。空を楽しむ余裕もない。隣の席のビジネスマンが安らかに眠っている。


 この人は知らない。いま、ロンドンで世界の法則が揺れかけていることを。


 Macを膝の上で開いた。iPhoneのテザリングに接続する。神様のiPhoneは高度一万メートルだろうが太平洋の真ん中だろうが繋がる。イギリスのデータベースにもう一度アクセスした。


 異常なし。何度見ても異常なし。


 幽霊はデータベースの外にいる。


 目を閉じた。眠れるわけがなかった。


  ◇


 ロンドン・ヒースロー空港。現地時間、午前四時半。


 到着ゲートを出ると、空気が違った。湿っていて、少し冷たい。日本の夏とは全然違う。七月なのに涼しい。


 あらかじめ準備は済ませてある。イギリスのデータベースのゲストテーブルに、自分を登録した。


  INSERT INTO guest_registry (name, organization, role, authorization_level, registered_by)

  VALUES ('Kajitsu Akagi', 'INTERPOL', 'Special Investigator', 'FULL', '0877-KJTS');


  COMMIT;


 インターポール特別捜査官、赤城果実。解決したらDELETEする。それまでの、必要最小限の嘘。


 ロンドン市警に連絡を入れてあった。担当はロバート・グレイ警部。空港で待っていると言われた。


 到着ロビーに出ると、長身の男性が立っていた。四十代くらい。灰色のコートに、きちんと結ばれたネクタイ。厳しそうな顔だけど、目元には皺がある。よく笑う人なのかもしれない。手にはプレートを持っている。「AKAGI」と書いてある。


「ミス・アカギ?」


「はい。赤城果実です。グレイ警部ですね」


「ロバート・グレイです。お待ちしておりました」


 握手を交わした。大きくて硬い手だった。


 警部の車に乗り込んだ。ロンドンの朝はまだ暗い。街灯がオレンジ色に光っている。左側通行。日本と同じ側だ。少しだけ安心する。


「状況を説明します」


 グレイ警部は運転しながら話し始めた。英語だった。九話で言語を整理した時に英語は残しておいた。聞き取れる。


「過去三週間で、ロンドン地下鉄ノーザン線、ケンティッシュ・タウン駅の北行きホームにおいて、不審な人物の目撃が相次いでいます。黒い帽子、黒いコート、黒い靴。深夜の終電前後に現れ、数分で姿を消す」


「目撃者は?」


「三十二名。駅員五名を含みます。いずれも同一の人物像を証言しています」


「防犯カメラには?」


「映っている時と、映っていない時があります。同じカメラの、同じ時間帯の映像なのに」


 映ったり映らなかったり。同じカメラで同じ時間帯なのに。何だこれは。


「見間違えにしては目撃情報が一致しすぎています。我々は当初、愉快犯を想定しました。しかし、痕跡が一切ありません。指紋も足跡も繊維片も。人間が物理的にそこにいた形跡がゼロです」


「現場はいまどうなっていますか」


「通常運行です。深夜帯のみ巡回を強化していますが、巡回中には現れません。目撃はすべて終電間際の、ホームに人がまばらな時間帯に集中しています。こちらが探すと出ない」


 探すと出ない。意図的に観測しようとすると現れない。


「ここです」


 車が止まった。ケンティッシュ・タウン駅。レンガ造りの古い駅舎。朝が近いのに、まだ薄暗い。ロンドンの朝は遅い。


 駅の中に入った。グレイ警部がICカードをかざしてゲートを開ける。エスカレーターで地下に降りる。深い。ロンドンの地下鉄は深いところを走っている。


 北行きホーム。タイル張りの壁。丸いトンネル。ベンチ。電光掲示板。次の電車まで六分。朝の早い時間帯で、人はまばらだ。


「ここが目撃された12番ホームです」


 ホームの端を見た。薄暗い。トンネルの入り口が黒い口を開けている。


「少し調べさせてもらってもいいですか」


「構いません。どうぞ」


 私の目から見ても、怪しいものは落ちていない。


「終電後に、このホームを封鎖できますか。私一人で調べたいので」


 グレイ警部の眉が動いた。


「封鎖ですか。理由を伺っても」


「目撃が終電間際に集中しているなら、同じ条件を作る必要があります。人がまばらな状態で、待つ」


 警部は私の目をしばらく見つめていた。インターポールの捜査官がそう言うなら、という顔だった。


「……わかりました。今夜の終電後に手配します」


「ありがとうございます」


  ◇


 一旦ホテルに入った。ヒースローの近くに取ってあった安いビジネスホテル。シャワーを浴びて、ベッドに横になった。眠れるわけがないと思ったのに、気がついたら夕方だった。時差と疲労が身体に溜まっていたらしい。


 夜。ケンティッシュ・タウン駅に戻った。


 終電が出た後、グレイ警部が北行きホームを封鎖してくれた。


「気をつけて、ミス・アカギ」


「ありがとうございます」


 警部が去っていく。ホームに残ったのは私だけだ。


 ホームの端に座った。目を閉じた。


 半径三十メートル圏内に人の気配はない。電車の走らない地下鉄の、深い静けさ。空気がひんやりしている。地下特有の、動かない空気。


 一時間経過。何も起きない。


 二時間経過。変わらない。


 時刻は深夜、零時十五分。


 ツッ……。


 天井の蛍光灯が瞬いた。


 目を開けた。


 半径三十メートル圏内に人の気配はない。変わっていない。誰もいない。


 蛍光灯がもう一度瞬いた。消えて、点いて、消えて。


 そして。


 ホームの端に、立っていた。


 黒い帽子。黒いコート。黒い靴。


 男だった。


 顔がよく見えない。帽子のつばが深くて、影になっている。コートの襟が立っている。立っているだけ。動かない。


 人じゃない。


 わかった。肌で感じた。あれは人間ではない。生きている人間の気配がない。データベース上で「生きている」ことになっているだけの、何か。


 男がこちらを見ている。顔は見えないのに、視線だけを感じる。


 私は男に向かって手を伸ばした。右手の手のひらに意識を集中する。管理者権限。異物の排除。これはデータの異常だ。データなら、消せる。


 排除。


 ……消えない。


 男はそこに立っている。微動だにしない。


 もう一度。意識を集中する。管理者コード0877-KJTS。地球全データベースのroot権限。この星のすべてのデータに対する最高権限。


 排除!


 消えない。


 どうして。なぜ消えないの。管理者権限で排除できないデータが、この星に存在するのか。


 男が動いた。


 懐に手を入れた。ゆっくりと。コートの内側から何かを取り出す。


 黒い金属。短い銃身。拳銃だった。


 銃口が、まっすぐ私の左胸に向けられた。


 足が動かなかった。


 乾いた音が、ホームに反響した。



つづく

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