S2.第5話:泥舟からの跳躍
観測塔の最上階。割れた窓から吹き込む風には、もはや鉄の匂いではなく、焦げ付いた絶望の匂いが混じっていた。
「……バッシュ氏、聞こえるか。下の通りを見てみるといい」
私は、突きつけられた数多の槍先を無視し、窓の外を指さした。
そこには、配信を見て激昂した労働者や商人が、ギルドの出張所に押し寄せ、看板を引き剥がそうとする地獄絵図が広がっていた。彼らが手にしている「鉄鋼債券」は、今や暖炉の焚きつけにもならない紙屑と化している。
「黙れ……黙れッ! 貴様さえ、貴様さえ現れなければ、アイゼンは永遠に輝き続けていたんだ!」
バッシュが咆哮し、私の胸ぐらを掴み上げる。
その瞳には、築き上げた帝国が足元から崩れ去る恐怖が、どろりとした狂気となって宿っていた。
「いいえ、マスターの言う通りです。数字は残酷ですよ、バッシュ様」
背後でリサが、冷静に端末を操作する。
「アイゼン・ギルドの主要取引先であった王都の三つの銀行が、たった今、融資の全額引き揚げを通告しました。この瞬間、あなたのギルドは実質的な債務超過、つまり『倒産』しました」
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バッシュの力が抜け、私が床に足をついたその時、塔を揺るがすような爆発音が響いた。
憤怒に駆られた群衆が、ギルドの私兵部隊を突破し、この塔へと雪崩れ込んできたのだ。
「マスター、ここはもう保ちません。撤収ルートを確保しました」
リサがドローンを回収し、隠し階段のハッチを蹴り開ける。
私は、呆然と立ち尽くすバッシュを一瞥した。
「バッシュ氏。かつてある賢者はこう警告した。
『船が沈み始めた時、一番先に逃げ出すのはネズミではなく、その船の設計を熟知している者だ』……とな」
バッシュはハッとして、自分の側近たちの姿を探した。
だが、そこにはもう、彼を「英雄」と持ち上げていた商人たちの姿は一人もなかった。彼らはレグルスの配信が始まった直後、誰よりも早くアイゼンの資産を売り払い、街を去る準備を終えていたのだ。
「あんたが『経験』という名の泥舟に執着している間に、本物の賢者たちはとっくに『歴史』の結末を読み取って逃げ出していたんだよ」
私はリサと共に、暗い階段へと身を投じた。
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地下道を抜け、街の外れへと繋がる森の中で私たちは足を止めた。
振り返れば、アイゼンの街が黒煙に包まれ、赤々と燃えているのが見える。
「……マスター、これでアイゼンの鑑定は終了ですか?」
「いや、まだだ。街が焼けた後に残る『真実の残高』を確認するまで、私の仕事は終わらない。それに……」
私は、リサの端末に届いた一通の暗号メールを見つめた。
差出人は不明。だが、そこには王都で私を陥れた「黒幕」の影を感じさせる、不気味な数字の羅列が並んでいた。
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▼ 作者あとがき
ついにアイゼン・ギルドが崩壊。
レグルスによって暴かれた真実は、街を救うための「毒」となり、バブルの終わりを決定づけました。
信じていた仲間たちに真っ先に裏切られたバッシュの悲哀。そして物語は、アイゼンを裏で操っていた「本当の敵」へと視点を移していきます。
第6話からは、焼跡から始まる新たな再建と、影の勢力との頭脳戦が幕を開けます。
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▼ 今日の経営講話:逃げ時の見極め
【格言】
「船が沈み始めた時、一番先に逃げ出すのは、その船の設計を熟知している者だ」
【格言の主】
ジョン・ゲイ(イギリスの詩人・劇作家)※諸説ありますが、経済格言として広く使われます。
【解説】
組織やプロジェクトが崩壊する際、外側の人間よりも「内部の真実」を知っている人間の方が、はるかに早く異変を察知し、身を守る行動に出ることを指した警句です。
【ビジネスへの応用】
バッシュは「船長」として最後まで船に残るつもりでしたが、実利を追求する商人たちは、数字の異変(船の傾き)を見た瞬間に、リーダーへの忠誠心よりも自己保存を優先しました。
これは裏切りというよりも、極めて冷徹な「リスク管理」の結果です。
優れたリーダーは、部下たちが「逃げ出したい」と感じるような予兆(不透明な数字や隠蔽)を、歴史の教訓を元に事前に摘み取らなければならないのです。
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