第9話 ひとりぼっちのおんなのこ


 ころころ、コロコロ。

 朝日を通したその石は、触れる床を緑に染める。

 

 八十四番は、マリィがいなくなってからそうやって一人の時間をやり過ごしていた。

 

 マリィの目と同じ緑色の小石。

 キラキラ透き通ったこの石は、八十四番の宝物だ。大好きなマリィが、死の間際、八十四番に握らせたもの。依頼書と共に託された小石。

 いつもの地べたに丸まって、無表情で小石を転がす。

 揺れる緑の光を追いかけて、追いかけて、追いかけて——

 はた、と手が止まる。

 

「ミル、大丈夫かな……」

 

 小石と同じ色をした瞳から、透明な光がぽろりと落ちた。

 顔の真下に転がった小石の上にそれは落ちて、まるで鼓動するように淡い光を強めた。雫はそのまま石の表面を滑り落ち、溶け合うように地面に吸い込まれる。

 

 ————ミル。

 

 八十四番は、空色の冒険者様のことをずっとずっと考えていた。

 マリィに依頼書を託されたのはもう一ヶ月も前のことだった。

 ギルドの場所を探し出すのには苦労した。苦労に見合う結果は得られず、保護者を連れてくるようにと、まともに取り沙汰されず追い出されて。

 ならばと、直接依頼を受けてくれる冒険者様を探した。

 

 何度も無視をされた。

 小汚い孤児が何様だと罵る大人も、暴力をふるう人間も大勢いた。

 八十四番みたいな子供はこの世でみんなに嫌われる存在で、なんの役にも立たなくて。普通に生きる人々に対等に話しかけるのすらいけないことらしい。

 依頼書を託そうと話しかけた何人かに、そういうことを言われた。

 様をつけろとか、地面に頭を擦り付けろとか、色々、助言をもらった。

 

 試しに地面に頭を擦り付けてみると、それじゃあ足りない、と靴底を押し付けられた。ぐりぐりされると、すごく痛い。

 八十四番は、あれはしない方がいいと学習したので、これといった実害の出なかったアドバイスだけを実行することにした。

 

『冒険者様、お願いします』

 

 それでもやっぱり、八十四番の声に立ち止まってくれる人間の数が増えることはなかった。でも、暴行を受ける頻度は減ったので、あれはなかなか有益な助言だった。

 冒険者様というのがどういった存在か、八十四番は詳しくは知らない。ただ、生前マリィが言っていた。

 

 ——みんなのお願いを聞いて、代わりに叶えてくれる存在なのだと。

 

 なかなか八十四番のお願いを叶えてくれる冒険者様は見つからない。

 もしかして、八十四番のお願いごとが難しすぎるのかも。

 博士も無駄だと笑っていたし、もう諦めた方がいいのかも。

 

『あのう、冒険者様ですか?』

 

 そんなとき、またひとり冒険者様が八十四番の声に足を止めてくれた。

 おひさまによく似た金色の髪のお姉さん。

 その瞳と外套は、いつも八十四番が焦がれて見上げるお空の色をしていた。

 

 その人は、この一ヶ月の間で八十四番が出会った人々とはまるで違った。

 言葉の棘を、彼女は一度だって向けてこなかった。叩くことも、蹴ることも、殴ることだってしない。話すときに少しだけ腰を屈めて、八十四番と目線を合わせてくれた。

 

(マリィみたい)

 

 彼女のような人を表現する言葉を、八十四番はよく知らない。でも、似ている人なら知っていた。大好きなマリィ。八十四番のお友達。だから、たった少しの間しか関わらなかったのにミルのことも大好きになった。

 

『はっちゃん』

 

 それに、ニックネームというものをつけてくれた。

 八十四番に、もうひとつ名前が増えたのだ。

 

『はっちゃんは何がいいかな。気に入ったのある?』

 

 ミルは、滑らかで、鮮やかで、何の汚れもない。そんな服と靴をくれた。しかも、好きな服を選ばせてくれた。

 八十四番は今まで何かを選んだことなんてなかったから悩んでわけが分からなくなってしまったけれど、ミルの服と少しだけ似た薄青色の服にした。

 

(ミル、)

 

 笑いかけてもらったのはいつぶりだったろう。

 冷たくない水で全身を洗われた後、新しい服を着た八十四番に『似合うね』と向けてくれた笑顔を思い出す。

 ひとりの部屋で、ぽろぽろ止まらない雫が八十四番の視界を歪ませた。何も分からなくなる前に、宝物をぎゅっと手のひらに閉じ込めて、目を塞ぐ。

 

 ——血が、出ていた。

 

 血が出ると人は死ぬ。それは、八十四番にも分かる数少ないこと。

 博士がどうしてあんなことをしたのか、何度考えても分からなかった。

 博士は血を嫌っていた。マリィが血を流した日、あんなに悲しんでいたのに。

 

 なのに、どうして?

 

 ……それに、何度考えたって、ミルが血を流したのは八十四番のせいだった。

 ミルは大丈夫だろうか。まだ生きているだろうか。それとも、もう——

 

「……っ」

 

 ぎゅうう、と強く強く小石を握る。犬猫のように身体を丸めて、八十四番はそこで思考を放棄する。

 あのとき話しかけなければよかった。

 

 そしたら、ミルは……八十四番は、きっと。

 こんなに苦しい気持ちになることなんて、なかったはずなのに。


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