Chapter2

第11話 I Don’t Want to Play

 目を覚ますと、見知らぬ無機質な白い天井が視界に広がっていた。


 後頭部に微かな痺れが残っている。冷たく硬い床の上で、ひかりはゆっくりと上体を起こした。薬品のような匂いが鼻を突く。


 ひかりは立ち上がり、室内を見渡した。窓はなく、蛍光灯の人工光だけが、薄汚れたタイルをぼんやりと照らしている。四方の壁のうち一面には、横長の鏡が設置されている。


 出口と思しき重厚な金属の扉には、内側から開けられるようなドアノブすら存在しない。


 【いつの間にか眠らされていた】ようだ。途中の記憶は曖昧だが、何者かに拉致・監禁されたらしい。それはまさに、ソリッド・シチュエーション・スリラーの導入だった。


「……手っ取り早くて助かるね」


 表象災害への接触にはひとまず成功した。この部屋自体が、表象災害そのものだろう。


 同じ部屋、あるいは限られた閉鎖空間のみで物語が進行する【密室劇】。こうした映画は【ゲームのルールに従わなければペナルティ】という大原則のもとで物語が進行していく。


 逆に言えば課題に真面目に取り組んでいるうちはすぐに命を取られることはない。課題そのものに痛みが伴うケースもあれば、最終的にはクリアしようのない無理難題を押し付けられることもあるが。


 大事なのは過程――極限状態における人間の醜い本性や、悪趣味なギミックが作品の肝であり、最低限の見せ場は必要だ。


 ひかりが懐を探ると、当然のように通信機器を始めとした持ち物は取り上げられている。後で返して貰えるのだろうか。


 そろそろ始まってもいい頃合いだ。


 ひかりが監視カメラの存在を探るように視線を巡らせた、その時だった。

 

 天井の隅に設置された小さなスピーカーから、耳障りなノイズが鳴った。


『気分はどうかな、黒石ひかり』

 

 機械で加工された不気味な声が部屋に響き渡った。


「床で寝てたせいで体バキバキでーす」


 主催者は、ひかりの軽口を無視して芝居がかった声で続けた。


『君は、あえて自分自身を被害者役に仕立て上げることで標的に近付き、事件の突破口を見出してきた』


 主催者はゲームを組み立てるために、【ターゲットの生い立ちや行動を徹底的に調査している】。


『何故、自らを危険に晒すのか。……それは、君の原体験に由来するものだ』


 主催者の声が一段高くなる。ここが標的の恥部を暴き立てる第一のお楽しみポイントだ。


『かつて君は、大規模な表象災害に《ただの一般人》として巻き込まれ、九死に一生を得た。絶望的な状況の中で一筋の光を探す――まるで自分が《作品》の一部になっているような喜びと興奮。君はあの高揚感が忘れられない』


 よく調べている。正確には、記憶を読み取っているだけなのだろうが。


『だから君は、表象災害の現場に自ら飛び込むようになり、そして――』


 ひかりは平坦な声で、主催者の長口上を遮った。


「ハイハイ、ストップ。乙女の秘密を勝手に暴露しないでくれる?」


『………まあいい。そんな君のために用意した舞台だ。命を懸けて存分に楽しんでくれ。さあ、ゲームスタートだ』


 呼吸の間合い、会話のテンポ。これは事前に録音されたテープではない。主催者はリアルタイムでこの部屋を観察し、直接言葉を交わしている。


 ひかりは溜め息をつき、頭の後ろで軽く手を組んだ。


「付き合ってあげたいけど、そうもいかないみたい」


 ひかりがそう言った直後だった。今はまだ遠くから、けたたましい重低音が響いてきた。忌々しい音は、本能的に背筋を冷たくする。


 ガソリンエンジンの猛る音、そして雄叫びにも似た駆動音が上がったかと思うと、次いで激しい破壊音と衝撃が密室を震わせる。一度ではなく、続けざまにそれは巻き起こり、少しずつ近付いてくるようだった。


『な、なんだこの音は!? 装置の故障か?!』


 加工音声越しでも主催者の狼狽える様子が目に浮かぶ。


「心配性のお迎えが来ただけ」


 ひかりが肩をすくめた瞬間、金属扉と壁の継ぎ目に、凶悪な刃――チェーンソーが突き立てられた。


 耳を覆いたくなる轟音と共に、火花が激しく部屋の中へ飛び散る。やがて鍵が完全に破壊されると、分厚い扉が外側から乱暴に蹴り破られた。


「お待たせいたしました、ひかりさん」


 扉を足蹴にして姿を現したのは、あやめだった。


「それ、ご機嫌だね」


 ひかりはわざとらしく口笛を吹いた。


 あやめの手には、血と油にまみれたチェーンソーが握られていた。アイドリング音を響かせるその刃は凶悪な光を放っている。


 それは、先日駆除した『食人ファミリー』の表象災害から回収された『災害片』だった。


 災害片――それは表象災害を駆除した際に稀に残留する、文法の残滓だ。元となった表象災害を象徴する物体として現れ、その文法の特性を帯びている。


 彼らはチェーンソーを使っていなかった筈だが、何故かこのような形に定着した。


 今回の任務は、この新しいおもちゃの試運転も兼ねていた。


「ええ、とっても素敵です」


 凶器の放つ振動とオイルの匂いに、あやめはうっとりとした表情を浮かべ、恍惚と頬を染めた。

 

『わ、私の芸術作品はどうした!?』


 主催者の声が悲鳴のように歪む。おそらく、芸術作品とは、ひかりが挑むことになったであろう自慢のトラップやギミックを指している。


「大事なものだったのですか?」


 あやめは楚々と微笑んだ。


「あの趣味の悪い工作なら全部壊してしまいました」


『なっ……』


 主催者がスピーカー越しに絶句するのが分かる。


 【殺人鬼は必ず標的に追い付く】。ひかりが敢えて標的になることで表象災害の内部に入り込み、あやめにひかりを追跡させた。二人が得意とする囮作戦の一例だった。


 【密室劇】は、閉じ込められた人間が無力な常人であるという大前提で成り立っている。


 この密室とゲームは、もはや破綻している。緻密な計算も、練り上げられた悪意も、無粋な暴力と騒音によって蹂躙されてしまった。


 それはもうスリラーと呼べる代物ではない。


 ひかりは散歩するような足取りで、部屋の一面を占めている横長の鏡の前に立った。


「ここかな。あやめ、お願い」


「はい」


 短い合図の後、あやめが躊躇なく鏡面へとチェーンソーを叩き付けた。鼓膜を劈くような破砕音と共にガラスが粉々に砕け散る。


 崩れ落ちたマジックミラーの向こう側にあったのは、隠し部屋だった。


 無数のモニターと操作盤が並ぶ薄暗い空間で、『主催者』は椅子に腰掛けている。


 人の形こそしているが、その輪郭は曖昧で暗闇と同じ色をしていた。『彼』もまた、このゲームを動かす歯車の一つに過ぎなかったのかも知れない。 


 ひかりは物言わぬ影に笑いかけた。


「分かるよ。私も最前列で観賞したい派」


「ひかりさん、舞台上は最前列と言いませんよ」


 あやめが嗜めると、ひかりはおどけて誤魔化した。


「えー、だってあやめが守ってくれるでしょ?」


 あやめは無言で目を逸らし、スロットルを握り込んだ。チェーンソーが一際大きな唸り声を上げる。


 役目を終えたモニターの電源が次々に落ちていく。


 あやめがチェーンソーを振りかぶる。

 

 濁った蛍光灯が弱々しく明滅する部屋のなかで、ひかりは主催者だった者の代わりに宣言した。 


「【ゲームオーバー】」

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