第3話




 星があがった。



 大きな天幕が一つ張られ、中で周瑜は水玲すいれいに治療を受けていた。


 呉兵達はそれぞれの小隊を崩さないまま、じっと森の影に腰掛け、祈るように天幕を囲う火の方を見つめている。


 彼らは呂布りょふを討ち取った喜びなどはすでに忘れ去っていた。

 ようやく授かった孫策と周瑜の子供が失われるかもしれない。

 そうなったらこの遠征や呂布を討った戦功など、なんだというのだ。


 黄蓋こうがい朱治しゅち韓当かんとうは誰よりも祈っていた。


 その子は玉座を継がない運命を背負っていた。

 父と母が望まなかったからだ。

 ただ無事に生まれてくれればいいと、そういう子供だった。



(それすら叶わぬなどと)



 そんなことがあっていいはずがない。



 彼らは必死に祈った。


 この戦は正しいものだった。

 大勢の命を救った。

 呂布に脅かされていた世界の霧を、必ず晴らすだろう。



 その少し晴れた世界に、誕生するべき子供なのだから。




◇     ◇     ◇



公績こうせき



 淩統りょうとうは振り返った。

 そこに父親が立っている。

 彼は呉兵の輪から外れて、側の高台にいた。


 淩統は部隊を率いているので本来ならば持ち場を軽々しく離れるなと叱責しなければならなかったが、淩操りょうそうは、今は叱らなかった。


 淩統の見つめる、更に向こうの荒野にぽつりと火があった。

 陸遜りくそんが処置を受けているのだ。

 周瑜しゅうゆの治療の妨げになると、陸遜が遠くに連れて行ってくれと言ったらしい。


 無論、そんなことは誰も言っていない。

 陸遜は狙われた孫策そんさくの命を救った。

 黄蓋こうがいたちが、気にしないでいいからここですぐ処置をしろと言ったが拒んだらしい。


 自分の身体は毒気に蝕まれているから、周瑜や孫策から遠ざけたいと。

 軍医も一人が付き添ったが、あとは戻って来た。

 甘寧かんねいが処置を引き受けたようだ。

 甘寧はもともと生粋の国軍兵というわけではないので、呉軍では少し異質な存在だった。


 その武勇と機動力を重宝されているが、命じられるのは孫策と周瑜だけと言われている。


 多くの秘密を抱えた陸遜のことを、この男だけが最初から疑いもしてなかった。

 だから陸遜は他の人間よりは、極限の状態で甘寧を買っていたのだと思う。


 陸遜が【雪花剣せっかけん】を陸績に託すなんて、

 それを自分自身の手ではなく甘寧に頼むなんて、有り得ないことだ。


 弟に「陸家六道りくけろくどうの生き方を忘れて生きていけ」と言った陸遜の気持ちを思った。


 彼はたった独り、全て背負い込んで死んでいくつもりなのだ。

 あとに遺恨を何一つ残さず。


 そんな決断が今、出来るはずがない。

 彼は前からそうしようと考えていたのだろう。


「陸遜殿か……」


 自分はここで、無事を祈ることしか出来ない。


「……貂蝉ちょうせんが暗殺者なんて、思いもしなかった」


「ああ」


「でも多分、俺に会った時も偶然なんかじゃなかったんだな。

 建業けんぎょうの城に入り込むために俺を利用したんだ」


「そうかもな」


「……俺まったく、気づかなかったよ」


「お前だけではない。建業の誰も気づいてはいなかった。私もだが。

 それほどあの女子に怪しいところは無かったのだ。止むを得ない」


「でも! それで陸遜りくそんが死ぬかもしれない! 俺が貂蝉を引き入れたから……この戦場にも連れて来た! 呂布りょふが討たれる所を見たいなんて……そんな言葉鵜呑みにして……父上だって怒ってただろ!」


「それはお前でなくとも怒った。

 貂蝉でなくともな。

 私がお前を叱ったのは未熟者のクセに戦場に女など連れて来たこと、それ自体だ。

 女のことではない。

 お前自身のことを怒った。

 だから貂蝉が暗殺者だったとは全く別の問題だ。

 いいか。

 感情で動くとそういうことになる。公績こうせき

 起きてしまったことを後悔しても何にもならん。

 だが、決して忘れるな。

 確かにお前が連れて行きたいと言わなければ、貂蝉ちょうせんの同行を認めなかったかもしれん。

 だが仮に今何も起きずとも、いずれ起こっていたことだ。

 あの女は孫策殿を狙った。

 いずれ建業でもっと恐ろしいことが起きていたかもしれない。

 敵の間諜はどこでも潜り込んでいる。

 そういったものを孫策殿や周瑜殿に近づけないのが、我々近衛の役目なのだ。

 努々、それは忘れるな。

 

 ……そういう災いからお二人を守ってくれていた緋湧ひようはもういないし、

 陸遜殿すら、どうなるか分からんのだからな」


「…………、」


 淩操りょうそうは息子の頭をわしわし、と撫でた。

 どんなに言葉を尽くしてもすぐには立ち直れまい。


「敵の脅威は去ったが、身体はきちんと休めておけ。

 我々は指揮官だ。

 部下の足は引っ張るな」


 息子が頷いたのを見て、彼はその場を離れた。



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