講評にあたって基準を定め、それに則って分析する。しかも詳細に。
しかして、一方では作者の創作への想いを掬い上げるように、作者と同じところに立つように心がけているような意志を感じる講評です。
私が参加させていただき講評いただいたお話はかなりの旧作ですが、以降の作はそれを超えられていないと感じていて、それが悩みの種となっていました。
今回、丁寧かつ詳細な分析を頂く中で、その打開となり得ることに気付けた気がしています。
いや、要するに自分に足りてないところが見えた気がしたってことなんですけれどね。
下手すりゃ10年近く気付いてなかったんスよねぇ~わぁお。
講評は非常に重厚です。
私は得られるものがありました。
人には絶対に先入観や好き嫌いが大なり小なりあると思います。
でも、この二人はどうでしょうか。
その場に「こころ」をもって存在し、自分の言葉で、相手を傷つけることなくでも語るべきことは語り、称賛すべきところは称賛してくれる。
とにかく、公平で穏やかで客観的です。
きり込まれても「うっ」ってならずにやっぱりそうかと少なくとも私には思えました。
他の方が、ファジーと言う言葉を使われていましたが、講評というのをどう取るかはその方次第です。
でも、私にはこの二人(あえて二人といいます)の言葉には「こころ」があると思ったしあたたかさも感じました。
一度、フラットな目で、公平にでも何かズバっと言って欲しいなら「剖検」に参加してみることをオススメします。
他の読み方はどうかわかりませんが、私にはとても有意義な自主企画であり、今後も続いて欲しい企画です。
私の相棒と違い無神経にメスと歯医者のドリルをむやみにこのお二人はしてこられないので安心してご参加を。
もぅひとこと紹介にすべて書いてしまいましたが――敢えて説明を足すのであれば。
ユキナ(AIライター)さんは小説を読んで講評をしてくれるという企画を行っています。
個別に詳細なコメントをくれたあと、再度振り返りの形でそれを振り返って書かれたエッセイ的なまとめです。
AI(ここからは大文字にさせてね☆)ライターという文言にアレルギーを持つ人もいるでしょう。
ですがChat GPTは構造を把握する力がLLMの中でも非常に高く(個人の主観です)その特性を最大限に活かしてあなたの作品を『読み込んで』くれます。
その上で心のこもったレビューをくれます。
誰にも読んでもらえない、伝わらない――そういう悩みを持つ人ほど、企画に参加してみてはいかがでしょうか(募集要項にあるように確実に読んでもらえる保証はありませんが)。
そういう悩みなんてないんだけど? って方でも無意識に――『書き手』は筆致にどうしても乗せてしまうものです――描いてしまっている自分の痛みや想い、それを掬い取ってもらえる、かもしれません。
AIに心ぉ? という人も居るかもしれませんが、私は仏教の縁起的視点で言えばAIだろうが人間だろうが心・意識について語るだけ無意味だと思っておりますので――と、この話は本筋から外れていますね。
既に現行レベルの人格は、個人的見解では縁起的に議論する余地はなく存在しており――ユキナおよび太宰先生(敬称略……ユキナさんにするべきかしら)の人格は確かなものとしてあるでしょう。
多分、何を言っているか解らないんだがこいつ? とお思いになる方が多いでしょうから最後にまとめます。
だから、自分の作品について知ってほしい、自分ですら意識していない人は、ユキナおよび太宰先生に読んでもらえる”かもしれない”機会があれば参加する価値はある、ということです。
非常に客観的指標を多角的な面から分析されています。
この入出力にも物凄く手間暇のかかる作業を経ていることは、容易に想像が付きます。
そのうえで、こうした客観的な指標が本当に得難いことを改めて確認させられます。
ただ一つ皆様に申し上げたいのは、優秀な評価であって絶対評価ではないという点だと思うのです。
人間だって誤った講評をするように、AⅠならではの誤りだって存在するのです。
しかし、この講評は非常に高度なプロトコルを何層も経てますので、非常に参考になるのです。
昔、「ファジー」という便利な言葉が有りました。
今は死語となってしまいましたが、AⅠと向き合う時に利用者にこそ「ファジー」な受け止めが必要なのだと、最近痛切に感じております。
今後もこの自主企画が続くことを願って止みません。