『#声恋』
鈑金屋
第1部 ユイとミナトの場合
第1章 営業百合、危機につき同棲開始
「ねぇ、ミナトちゃん。今日も、ずっと一緒にいようね?」
「……しょうがないな、ユイはほんと、甘えんぼなんだから」
カメラの前で、完璧な百合カップルが微笑みを交わす。
バーチャル世界に映し出された二人は、恋に落ちているように見えた。
視聴者数、92万。
コメント欄は“尊い”の連続で埋まり、スパチャの音が次々と鳴り響く。
これは、Vtuberユニット「ゆいみな」による、百合配信の光景だった。
白雪ユイと黒羽ミナト。
配信では“恋人”として振る舞う、実力派Vtuberデュオ。
コンセプトは、「リアルにはいない理想の百合カップル」。
ユイは、儚げで優しい癒し系。丁寧な言葉遣いと包容力が売りで、リスナーからは“天使”“聖女”と崇められている。
一方ミナトは、クールでややS気のある攻め系。無表情に見えて、ユイにだけは甘い台詞を囁く、そのギャップが人気を呼び、“騎士”“俺嫁”などの二つ名が与えられていた。
配信の企画は、キス寸前まで迫る寸劇から、日常系のカップル生活ごっこ、スパチャによる“恋愛ミッション達成型ゲーム”まで多岐に渡る。
まさに百合界の看板、V界隈の百合トップランナー。演技力・ビジュアル・息の合い方、どれを取っても非の打ちどころがなかった。
──配信では。
「おつゆいみな〜〜!」
「バイバ〜イ、だ〜いすき!」
そう締めくくって、ウィンドウを閉じた瞬間。
画面の中の“愛し合うふたり”は、静かに、霧散した。
配信スタジオに沈む、音のない空気。
白雪ユイは無言でヘッドセットを外す。
背中が小さく揺れた気がしたが、彼女は何も言わずに椅子に座ったままだった。
ミナトはそれを見もせず、すっと立ち上がる。
スリッパの擦れる音が床に響き、スタジオの扉に手がかかる。
「……お疲れさま」
その声は、乾いていた。
ユイは、ただの礼儀のように、投げるようにそう言った。
「……ああ」
ミナトの返事は短かった。ドアを閉める音が、驚くほど小さく響いた。
まるで、そこに人間関係など最初からなかったかのように。
ユイとミナトは、プライベートではほとんど会話をしない。
少し前までは、まだ打ち合わせ中に冗談を交わすこともあった。
けれど今は──互いに必要最低限の言葉しか交わさない。
スタジオに入ってから出るまで、まるで透明な壁があるかのような距離を保っていた。
人気と裏腹に、関係はとっくに冷えきっていた。
「──で、今の空気、見た?」
事務所の控室に響く、マネージャーの冷たい声。
ユイとミナト、配信の表情とは似ても似つかないふたりが、それぞれソファと窓際のスツールに座っている。
「はっきり言って、今日の配信、ファンにバレかけてたよ」
モニターには、アーカイブのコメントが流れていた。
《最近距離感じる》
《ちょっと不自然じゃない?》
《昔の方が尊かった……》
痛いほど正直な言葉たち。
百合営業は、視聴者に「夢」を売る仕事だ。
だが夢には、リアルの気配が必要だった。
「だからさ、あんたら……しばらく一緒に暮らして」
「──は?」
「……は?」
完全にハモったふたりの声。マネージャーは息を吐いて、机に紙を置いた。
「仮契約書:ルームシェア開始について」
お試し1ヶ月。本気で“ふたり暮らし”をさせるつもりだった。
「ちょっと待ってよ、マジで?」
ミナトが顔をしかめる。
「こいつと同じ空間で生活なんて──」
「“こいつ”じゃなくて、“ユイちゃん”でしょ?」
マネージャーの一言に、ミナトが露骨に嫌そうな顔をした。
「……はいはい、“ユイちゃん”」
名前のイントネーションは妙に嘲るようで、ユイの胸に小さな棘が刺さった。
(ほんと、いつからこうなったんだろ……)
自分からは言葉をかけなくなった。
ミナトの視線も避けるようになった。
“お仕事だから”と割り切って、配信でしか近づかなくなった。
でも──
それでも、こうして彼女の無遠慮な口調に、ほんの少し心が痛むのは、なぜだろう。
こうして、百合営業ユニット「ゆいみな」は、
再構築と称して“強制同棲”させられることとなった。
バズりを狙った演出か、マネジメントの本気か、はたまた運命のいたずらか。
──それはまだ、誰にもわからない。
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