これがラブコメであるはずがない

石田フビト

一話 これがラブコメであるはずがない

 いかにも『真剣に授業を聞いています』という顔で、教科書に落書きをする。

 とにかく暇で仕方がなかった。

 ページに載っている偉人の写真に、髭と眉毛が付け足され。

 いよいよマッスルボディに手を出すべきかと悩み始めた頃、チャイムが鳴った。


「ん……はい。じゃあ今言ったとこ、ちゃんと復習して。次のテストまでに出来るようにしとくよーに」


 はーい、と何人かの生徒が返事をする。俺も一応しておいた。

 確かに相川先生の授業はクソが四つ付くほど面白くないが、それでも無視はよくない。

 俺は一般教養を身に着けた模範的な学生なのだ。

 

「……ねぇ、あんた。さっきの授業聞いてなかったでしょ」

 

 誰も聞いてねぇよ、あんなクソ授業。


 そんな刺々しい言葉が喉まで出かかったが、何とか飲み込むことができた。

 相川先生に配慮したわけじゃない。

 その鈴の鳴るような綺麗な声には、聞き覚えがあったのだ。


「う、うっせーな。しょうがねぇだろ? あの人の授業、なんか眠たくなるんだよ」

「言い訳しない! もう、あんたがそんなんじゃ、幼馴染の私も馬鹿だと思われるじゃない。高校生になったんだから、しっかりしてよねっ」


 長い黒髪をツインテールに結んだ美少女が、座っている男子学生に向かってプリプリ怒っている。

 彼女の名前は、愛宮えのみや和花奈わかな

 高校生離れした容姿とスタイルだけでなく。入学して早々、その明るい性格で周りを魅了する、我が一年三組の人気者であった。


「あいあい、どうもすみませんでした」

「ちゃんと返事しなさい!」


 ビシッ、と人差し指を男子学生に向けた後。

 彼女は呆れたように左手を額に当て、溜息をついた。


「はぁ……ほんと、なんでこんな奴が幼馴染なのかしら。一言、神様に文句を言いたい気分だわ」

「んだと? そりゃこっちの台詞だ。一々俺のやることなすことにケチ付けてきやがって。この妖怪小言女め!」

「あんたが馬鹿で愚図で不真面目なのがいけないんでしょうが! このド低能不真面目ヘタレカス男!」

「流石に言いすぎだろ!?」


 悲鳴染みた声を上げるのは、さっきから何度か話に出ていた男子学生。

 その名も、神代かみしろ天馬てんま

 完全に見た目が名前負けしている、可哀想な男である。

 しかしだからといって、彼は不細工などではなく、こう何というか……。


 そう、言うなれば主人公みたいな顔なのだ。

 その証拠に、ほら。


「あーあ。折角あんたにノートを見せてやろうと思ったのに。そんなこと言われちゃ、もう無理ね」

「な、なんですと?」

「あーあ! 先生のテストに出る問題とか、メモってたのになぁ。残念残念」

「くっ、性悪なやつ……!」

「ん? あれ、天馬君? 何か言ったかしら?」

「いえ何も言っておりません。プリンセス和花奈様」

「な、なによそれ」


 呆れたような声色。その中に少しの、喜色が混じる。

 それは普段、彼女がクラスメイトと話すときには決して見せない表情だった。


 ……と、まぁこんな感じで。

 見ての通り、愛宮さんはこの神代君にご熱心なのだ。

 美少女ツンデレ幼馴染ヒロインとか、もう主人公にしかあり得ない存在だろ?

 

「あのぉ、それで、慈悲深き和花奈様? ノートを写させていただくことは……」

「……もう、しょうがないわね。次からはちゃんと受けるのよ?」

「あざっす!」


 仲睦まじく会話をする二人。

 ラブコメ漫画ならヒロイン独走、ゴールイン確定って感じか。

 無論、彼らにそんなことを言えば否定するに違いないが……。


 俺には視えている。


 神代君と愛宮さんを繋ぐ、『運命の赤い糸』が。 

 実際にこの目で、比喩表現などではなく視えていた。

 お互いの胸から伸びる赤い糸。この太さ、色の輝きからして、恐らく……。

 

「……あと一年ってとこか」


 小さく呟き、心の中で呆れ果てる。

 もう付き合っちゃえばいいじゃん、どうせ両想いなんだから。一年もいらねぇよ。何なら今告白しろよ、面倒くさい。


「あ、ちなみに汚したら一万円罰金ね。指紋も駄目よ」

「んなもんどうやって使えばいいんだよ」

「使う……? あ、あんたもしや、私のノートで」

「は? ……ばっ、ちげーよ! 変な妄想すんな!」

「て、天馬が紛らわしい言い方するからじゃない! この変態! 異常性癖者!」

「お前が勝手に言っただけだろ!?」


 はいはい、ラブコメラブコメ。

 つーか普通にうるせぇな。もうちょい音量下げてくれないか。俺、君達の後ろの席にいるんだよ。

 二人の世界に入るのは勝手だけども、せめて声の大きさくらいは配慮してほしいものだ。


 そんな俺の切なる願いが神に届いたのか。

 更にヒートアップしそうな二人の言い合いに、静かな声が挟まれた。


「あの……ごめんなさい、神代さん、愛宮さん。少しいいですか?」


「だから俺は――って、白百合しらゆりさん?」

「あんたが――ぇ、あ、めぐみちゃんっ?」


 永遠に終わらなそうな彼らを止めたのは、一人の女子生徒だった。

 まず目を引くのは、やはりその髪色か。

 日本ではまず見られないホワイトブロンドのセミロング。

 おっとりと優し気な瞳は、薄い青色が混じって見えた。それがより一層、彼女の儚さを際立たせる。


 固まる二人を他所に、彼女は……白百合しらゆりめぐみは言葉を続ける。

 どこか、申し訳なさそうな顔をしながら。


「実はさっき、相川先生にノートの回収を頼まれまして。その、大丈夫ですか?」

「え、あー、えーと」

「……あの、ごめんね恵ちゃん? この馬鹿、さっきの授業寝ててさ。ちょっとだけ待っててほしいの。ほら、あんたも頭下げて!」

「うっ、す、すまん白百合さん。放課後までには終わらせるから、集めるの最後にしてくれねぇか?」


 二人揃って頭を下げられた白百合は、焦ったように手を小さく振って答える。


「いえいえ、そんなっ。先生も今週までにって言っていましたし。本当に、謝らないでください」

「いや、でも、まじですまん。白百合さんも大変なのにさ。あの、俺も途中までは起きてたんだけど」

「ふふ、神代さんはサッカー部ですものね。無理もないです。それだけ練習を頑張っている証拠なんですから、どうかお気になさらないで」

「……て、天使だ。天使がいる」

「……ふん!」


 神代君が白百合の笑みに見惚れた瞬間、愛宮さんのチョップが脳天を打ち抜く。


「いで! この、いきなり何すんだお前……!」

「別にぃ? 気持ち悪いあんたの視線から、恵ちゃんを守っただけだけどぉ?」

「仮にも守るんだったら盾になれよ! なんですぐ叩くんだ!?」

「攻撃は最大の防御って言うじゃない。害悪の排除が、一番手っ取り早いのよ」

「こいつ……!」


 はいはい、ラブコメラブコメ。


 また同じ痴話喧嘩が繰り返されるのか、と死んだ目で眺めていると。

 その視界を遮るように人影が差す。

 視線を上げれば、俺を見下ろす白百合恵と目が合った。

 儚げな美貌。その色素の薄い唇が、静かに開き。


「あの、月下つきしたさんはどうでしょう。今、ノートを出せますか?」

「……」


 俺は無言で机からノートを取り出し、白百合に向けて差し出す。

 全てのページに穢れ一つない自慢のノートだ。持ってけ泥棒。


 自信満々にノートを渡す俺とは対照に。まさか回収できると思っていなかったのか、少し慌てて彼女はそれを手に取った。


「ぁ、え……と、はい、ありがとうございます。後で名簿にチェックしておきますね」

「……」


 一つ礼をして、小柄な彼女は上履きをペタペタ鳴らして去っていく。

 その際に、神代君達に対して「お話を邪魔してしまい、すみませんでした」と言うことも忘れない。


 白百合恵は完璧な美少女であり、クラスの学級委員だ。

 それ以上でも以下でもない。 

 俺は早々に区切りをつけて、その思考を断ち切った。 


「ほんっと最悪。卒業したら、絶対あんたとは違う大学に入るんだから!」 

「あー、俺もだよ。ただでさえ高校被ってんのに、これ以上、俺の平穏な日々を邪魔されてたまるか」

「なんですって!?」


 気付けば口論の熱も最高潮。

 どうでもいいが、もう休み時間終わるぞ。毎回毎回同じようなことで騒いで、飽きないのかね。俺は飽きた。

 

 大体、『運命の赤い糸』で結ばれた人間がそう簡単に離れられるわけないだろ。

 離れたくても離れられない。

 憎みたくても憎みきれない。


 だから、運命だというのに。



 



 それから数時間後、二人の痴話喧嘩を除けば何事もなく学校が終わり。

 中学から帰宅部である俺は一度も寄り道せず、しかしのんびりと自転車を漕いで、家に帰った。 

 別に急ぐ理由も必要もない。

 今日は水曜日。

 残念ながら、あいつが帰ってくる日だ。


「五時、か」


 家の前に着いた俺はスマホの時刻を確認し、自転車から降りる。

 そのまま『月下』の表札を抜け……『阿佐美あざみ』と書かれた表札の前へ。

 慣れ親しみたくもないインターホンを押す。


『……はい』

「俺です。月下です」

『……鍵は開いてるので、上がってください……』


 扉開けて挨拶ぐらいしろよ、と思ったが。

 この人の精神状態を考えればそれすらも難しいのかもしれない。機械越しに聞こえる声は弱々しく、不安に揺れている。


 致し方なし。

 家の前に自転車を置いて。セキュリティガバガバの門扉を開き、少し進んで玄関の扉の取手を掴む。

 軽く力を込めて引けば、扉はカチャリと音を立てて開いた。

 普通の玄関だ。特に異常は見当たらない。

 散らかった一足の靴以外には。


「……はぁ」

 

 こういう杜撰なところが駄目なのだ。人格は所作に出るという。確かにその通りだった。

 この靴からは乱暴さしか感じられない。まったく、俺を見習ってほしいものだ。


 俺は通学用の靴をぽいぽいと適当に脱ぎ、そのまま廊下を進んでいく。

 それと一応、挨拶も忘れずに。


「お邪魔します」

『……』


 当然の如く返答はない。

 最後におばさんと顔を合わせて話したのは、一体いつだったろうか。

 薄れてしまった思い出に頭を傾げつつ、二階へと繋がる階段を上る。

 

「うげ」


 足を上げるにつれて見えてくる二階の廊下。

 その光景に、思わずドン引きの声が漏れた。

 階段は上りきったが、テンションはだだ下がりだ。

 

 あいつ、転びやがったな。


 俺は床に付着した赤黒い手形を避けながら、約束の部屋へと向かう。

 まだ乾いていない。さては、今帰ったばかりか。

 

「もっと遅く来ればよかった……」


 後悔の言葉を吐いて、気持ちを切り替える。

 起きてしまったことはしょうがない。

 俺の座右の銘は『諦めてから考える』なのだ。

 だからこそ、こいつとの歪な関係も既に諦めている。


 階段を上って、左に進んだ二つ目の部屋。

 恐らく聞こえていないであろうノックを一応……本当に一応、三回。

 返事を待たずに入室する。 


 コンコンコン、ガチャ。


「あ、最悪」


 迂闊だった。

 金属質なドアノブから不愉快な感触。見れば、べっとりと手に赤い液体が付着していた。鉄の臭いが鼻につく。

 まじで、こいつとは一度話し合いをしなきゃならない。


 ……なぁ、そうだろ?

 瀬奈せな


「ふぅーっ、ふぅーっ……!」


 暗い部屋の中で一人、荒い息を漏らしながら立っている少女がいる。

 金髪のショートカット。丈の合わないジャージ。

 小刻みに震える拳からは、暗闇でも覆い隠せない赤色が見えた。


 ていうか暗いな。電気付けよ。


「お前電気くらい付けろよ。それでも現代人か」

「っ!? ぇ、あっ、ア!?」


 肩を大袈裟なほどビクつかせて、勢いよく振り向く彼女。

 パチパチと瞬きをし、その焦げ茶色の瞳を揺らした後に……。


「ぁ……か、かえでか。驚かせるなヨ、もう」


 ほっと一息をついて、緊張が弛緩する。

 嬉しそうに微笑む彼女は、確かに美少女と呼べなくもないが……如何せん、頬に付着した血が恐ろしすぎた。

 あと純粋に目つきが悪い。

 おすすめの美容整形外科を紹介すべきだろうか。


「……つーカ、随分と遅かったよな。なんだ、何があった。アぁ?」

「実は途中で良さげな枝を見つけてな。振り回して遊んでたら一時間経ってた」

「ふはっ。なんだ、それ。ガキかヨ」

「お前に言われたくねぇよ。汚れたまんまで部屋入りやがって。洗ってこい、馬鹿」

「んぅ、面倒くさい。ヤ」


 そう言って、プイっと顔をそらす瀬奈。

 殴ってくださいという合図かな。いやでも、喧嘩でこいつに勝てるわけないし。

 ……ふん、今日の所はこれぐらいで勘弁してやろう。


「仕方ねぇな。濡れたタオル持ってくるから、ちょっと待ってろ。いいか、どこも触るなよ、まじで。分かったか?」

「……ん」


 小さく首肯したのを確認して、俺はもう一度階段を降りる。

 洗面台の位置は聞くまでもなかった。

 なんせ、あいつとの付き合いは長い。

 幼稚園からずっと、それこそ幼馴染と呼んでもよい関係だった。


「ほんと、失敗したよな」


 温かい水でタオルを濡らしながら、この世の不条理を嘆く。

 どうして俺は幼少の頃、瀬奈に声をかけてしまったのだろう。

 今からでも愛宮さんと交換できないか。

 こう、ソシャゲの天井システムみたいな感じで。


「よいしょっと」


 などという不毛な思考を終わらせ。適度に絞ったタオルを片手に、瀬奈の部屋へと戻る。

 廊下の血痕は……まぁ、後でいい。

 部屋に入ると、彼女は言いつけ通りその場で待っていた。


「ほら、これで拭けよ。そんぐらいはできんだろ」

「……ヤ。楓が、拭いてよ」

「ふざけんな、自分でやれ。ご自慢の怪力はどうした」

「……」


 なんと面倒くさい。

 しかし今の瀬奈は何というか、甘えん坊モードになっている。

 経験則上、こうなった彼女には逆らわないほうがいい。人生何事も諦めが肝心だ。

 

 俺は本日何度目か分からぬ溜息を吐いて、瀬奈に近づく。


「手、出せ」

「ん」


 こういうときだけは従順なこいつにイラっとしつつ、手に付いた血を拭いていく。 


「お前、今日は誰をやったんだ」


 純白のタオルが赤く染まる中。

 なんとなく沈黙を破りたくなって、適当な質問をした。


「あー……なんカ、制服着てた? うん、たぶん五人くらいだった、はず」

「五人か。にしては血の量が多いな」

「そいつら、昨日ぶちのめした奴の仲間だったかラ。全員、返り討ちにしてやったんだ」

「なるほどな」


 名も知らぬヤンキーよ、すまない。

 君たちの犠牲は決して無駄にはならないぞ。これからも彼女のストレス発散要因として、頑張ってくれ。


「最初の、やつナ? ぎゃーぎゃー煩かったから、鼻潰したんだよ。そしたら、びゃーって血が出てさ! ぎゃははは! おもしれーだロ!?」

「おう、そうだなー」


 面白いわけないだろ。

 じゃあこれ、誰かの鼻血の可能性もあるってことじゃねぇか。

 きったな。後で石鹸で手洗わなきゃ……。


「でも、そっからあいつら逃げやがってヨ。アタシのこと、なんか、化物とか言いやがってよ」

「……そうか」

「ムカついたから、追っかけて指の骨全部折ってやった」

「……」

 

 うん、化物、うん……順当じゃね?


「……か、楓はさ、楓はさ。アタシからどっか、行っちゃわないよナ? ずぅっと、ここにいるよな?」

「まぁ、幼馴染だからな」

「うん、うん……約束だぞ。離れちゃ、ヤだからな……」

「あっ、おい」


 タオルを押しのけて、瀬奈が俺の胸に顔を擦り付ける。

 最悪だ。また制服を汚されてしまった。


「すぅ、ふぅ……あァ、落ち着く……」

「勝手に落ち着いてんじゃねーよ。おら、顔拭かせろ馬鹿」

「んみゅ」


 ごしごしと雑に彼女の髪や顔に付いた血を落とす。

 いい加減鉄臭くてかなわない。 

 おら、落ちろ、この汚れめ、ついでに性根も綺麗になりやがれ。


「あはっ、ちょ、くすぐったい。やめ、楓、あはははっ」

「はぁ、はぁ。本気で擦ってんのに、腫れもしねぇ……」


 両方の意味で面の皮が厚いやつだな、こいつ。

 

「……うし、まぁこんなもんだろ。後でシャワー浴びとけよ。折角、綺麗な肌してんだから」

「ぁえっ? あ、うん……分かっタ、入る」

「実に結構。……んじゃ、顔も見れたし。そろそろお開きの――」

「だ、駄目だっ!!」


 うるさっ。至近距離で大声出すなよ。

 あと痛い痛い、そんなに強く抱きしめるな折れるぞ、俺が。


「二日ぶりの、かえ、楓なんだ。ま、まだ帰っちゃ駄目だ。今日はずぅっと、楓といるんだ……!」

「あー、はいはい分かった分かった。帰らないから、ちょっと落ち着け。痛いだろ」

「っ!? ァ、あ、ごめっ、ごめん、楓……うぅ、楓ェ……」


 情緒どうなってんだよ、怖いわ。

 だが逃げ出すわけにもいかない。この場から離れたら最後、彼女の家が物理的に崩壊することになる。

 故に俺が取れる行動は、決まっているのだ。

 

「悪かったよ。少し、意地悪だったな」

「ぁう……そ、そうだぞ。楓は、意地悪だ、酷い奴だ」

「だから悪かったって。許してくれ」

「ふぁ、んん……なら、もっと撫でろ。もっとアタシに、触れてくレ……」

「……あいよ」


 俺と瀬奈が交わした約束の一つ。

 それは、一週間のうちの月、水、金の三日間しか会わないということ。

 俺にも自分の生活がある。

 全ての時間をこいつに捧げるのは、真っ平ごめんだった。


 しかし瀬奈にとってはそうじゃない。

 このクレイジー中卒イカれ女は、俺の傍で一生過ごしたいと本気で思っている。

 だから家にも帰らず、夜の街で喧嘩に明け暮れるのだ。

 溢れ出す暴力衝動を抑えるために。俺に会えないストレスを、ほんの少しでも紛らわすために。


「はぁ、うぅ……楓ぇ」


 本人曰く地毛である金髪を撫でられ、蕩けた表情で俺を見つめる瀬奈。

 そんな彼女を見ていると、俺はますます気が重くなった。

 全く、どうして、よりにもよって。


 こんな奴が、俺の『運命の人』なのだ。


「……気持ち悪ぃ」


 ぼそりと、瀬奈に聞こえない声量で呟く。

 視線は彼女ではなく、一筋の線に。

 俺が見ることにできる『運命の赤い糸』は、人それぞれだが。基本的に真っ赤で、数ミリ程度の太さである。

 それが一般的な運命と呼ばれる糸の状態。

 では、俺と瀬奈の場合はどうかというと。


 まず、なんか色が赤黒い。

 んで次に、なんかドロドロしてて、ねっとりしてる。

 加えて小指ぐらい太いし……極め付きには、瘴気みたいな靄がかかっていた。


 な? 明らかに普通じゃないだろ。

 これじゃ運命というより、呪いである。

 しかも……。


「消えねぇかな……」

「……? なんか言ったか?」

「いや、なんも。瀬奈は相変わらず可愛いなって」

「ひゃワ!? あぅ、や、やめろよそーいうの。わケ、分かんなくなる……」


 顔を真っ赤に染めて俯く彼女を、俺は冷ややかな目で見下す。

 騙されてはいけない。

 こいつは女の皮を被った悪魔だ。血に染まったタオルが、その恐ろしさを物語っている。


 しかし一番の最悪はそれではなかった。

 俺は顔を上げて、自分の胸から伸びる……。


 を見つめた。


「……はぁ」


 瀬奈を含めて五本。

 ご丁寧に全部が、赤黒くてドロドロした『呪いの糸』で編み込まれてある。

 こんなイカれた女が残り四人もいるのだ。

 考えるだけで憂鬱で、頭が痛くなる。


 だから俺は、こう断言しよう。

 誰が何と言おうとも。


 これがラブコメであるはずがない、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る