第八話 聖女と修道女は力を示す

 **


 予め情報を集めてマークしていた、〈夢見島ゆみじま市〉郊外の山中のポイントだ。


 凪たちは改造バンで密かに、小さな洞穴があるそのポイントに向かう。

 すると、到着したその場には既に二人の人影が待ち構え、自分たちを出迎えた。


 「お待ちしておりましたわ」


 そう言って闇の中から、足音も立てずに進み出たのは、子供のように小柄な、眼帯で片目を覆った〈聖女〉──マリーだ。


 「いや、こんな夜の山の中でお待たせしてすみませんね」


 目立たないように木の陰にバンを停めたエイジが太い首のうなじを掻いた。

 しかし、マリーの方はそれにも構わず軽く微笑んでかぶりを振る。


 「いえいえ、それよりあまり時間を掛けるのもよろしくありませんわ」


 マリーは一見、邪気のない穏やかな笑みを浮かべた。


 「手早く、確実に、事を済ませてしまいましょう」


 凪の背後の司三つかさが、マリーの淑やかな声に息を呑むのが聞こえた。


 そのままマリーは洞穴の方を振り返り、歩いていった。

 やはり足音は聞こえず、その闇に溶けるような黒い修道服もマリーの歩みと共に揺れたが、衣擦れの音すら立てなかった。


 「……向こうもその道の使い手を送ってきた、ってとこかしら……」


 マヤがさすがに緊張した素振りを隠せずそわそわとつぶやく。

 ぎゅっ、と拳を握ったエイジがそっとうなずいた。


 「おそらく」


 二人のやりとりを聞いていた凪も、プロテクターを装備した自分の体を見下ろす。

 今回、自分は──クロエのサポート要員などではない。


 凪は今回、あの〈聖女〉たちのサポートを受け『裏側』でミッションを行う。


 〇


 洞穴の前には、もう一人の長身の修道女──


 ──ロベリアが、ややうつむきがちに手持無沙汰な様子で佇んでいた。


 凪は、彼女の手に握られた武器に、思わず目を見開いた。

 ロベリアは鞘に入った剣を片手で玩具のように軽く弄んでいる。


 鞘に入っていても、その波打つような独特の刃が分かる。

 ──〈波状剣フランベルジュ〉だ。


 プロテクターを身に着けた凪は力みを感じさせないロベリアの立ち姿を見た。

 彼女も、衣擦れの音すらしない、闇に紛れて軽く丈夫そうな修道服に似た衣装を身に纏っていた。


 「ロベリア」


 凪が立ち尽くしていると、横からマリーがするりと追い抜きロベリアに近づく。

 そうすると、ロベリアの方が何か心得たような様子で身を屈めた。


 凪は驚いた。

 マリーがこれまでしていた眼帯を外し、ロベリアと額を合わせた。


 ロベリアとマリー。

 〈聖女〉と修道女は互いに片目を開き、片目を閉じて額を合わせ、間近に触れ合わんばかりに見詰め合った。


 その何か、静謐な儀式じみた動作を二人はしばらく続けていたが──


 「……問題なさそう?」

 「ええ、問題ない」


 やがて、どちらからとなく額を離して、眼帯を戻したマリーが尋ねた。

 それに対して、何度か片目をしばたいたロベリアが、小さくうなずいた。


 今の動作に何の意味があるのか、凪はいぶかしんだが──


 「それじゃ、気を付けて。いつも言ってるけど、過信は禁物よ」

 「……それも問題ない。私がしくじったとしたら、それはあなたの能力でなく、私の力不足だっただけ……」


 ロベリアはそう言って、マリーから何か仮面のような者を受け取った。

 というより、実際に仮面だった。それを素顔に着けると、修道服のような衣装のフードを引き上げ、腰に先ほどの〈波状剣〉の鞘を差した。


 凪はそれを見て腕を組み、ロベリアのすっと背筋の伸びた立ち姿を見やった。


 「……いいのか、聖職者が刃物なんか」

 「命のやり取りをしていて、血を一滴も流さないなんてあり得ない」


 そう淡々と言い放って、仮面を着けたロベリアが背中を向けた。

 全くこちらに取り合わない態度に、凪は顔をしかめて彼女の背中を睨んだが──


 「ごめんね。でも、よそ様には理解しがたい事かもだけど、彼女の宗派にとっては問題のない事なのよ」


 ヘッドセットを付けたマリーが、凪の前に取り成すように割って入る。

 「私はまた彼女と別の宗派なんだけどね」と聞いてもいないのにそんな事を言うマリーから背中を向け、凪は自分の準備に取り掛かる。


 「……『裏側』じゃ、あの変わった剣の修道女さんと行動を共にすることになる」


 アタッシュケースを開き、端末を起動したエイジがヘッドセットを手渡した。

 「まあ、ほどほどに仲良くな」と、苦笑するエイジに、凪も肩をすくめた。


 (……がいる時と同じようにいかないこと位、分かってる)


 マヤが洞穴の奥で、そのポイントにあった『空間の破れ目』を開いている。


 あの二人は、マリーの方は多少驚いた素振りを見せたが、ロベリアの方は大して動じた様子もなく進み出て、虹色の薄膜が張る空間に足を踏み入れようとしている。


 すっと姿を消すロベリアを追って、凪も装備をもう一度確かめて飛び込んだ。


 どうあれ、一人が抜けただけでチームワークが瓦解しては話にならない。


 クロエ・アスタルテが戻ってきた時の為にも。


 〇


 凪は〈AZテック〉の実験フィールド──『裏側』の〈夢見島市〉に飛び込む。

 一瞬、天地がひっくり返ったような感覚に襲われたが、すぐに収まった。


 相も変わらず、赤黒い輝きが全天で揺らめく不気味な空。

 灰色の樹木に覆われた周辺の景色の向こうに、暗黒の塔が建ち並ぶ魔都と化した『裏側』の〈夢見島市〉の市街が見えた。


 「いつみても気味の悪い景色だ」


 凪はつぶやいて、それから辺りを見回した。

 ロベリアの姿を探したが、長身の修道女は一旦、仮面を外して興味深げに周囲をきょろきょろと見渡していた。


 「……ここが、あなた方の報告にあった〈AZテック〉の実験フィールド」

 「元は、魔族の博士──ソフィア・アスタルテが身を隠す為に創造した異空間だ」

 「……あなた方は彼女の奪還を目標としているのでしたね」


 ロベリアはそれだけ確かめるようにつぶやき、再び仮面を顔に着けた。


 「それで……今回は何を目的として、こちらに侵入したのです?」

 「歩きながら話す。あまり一所にじっとしていると、〈AZテック〉に捕捉される」


 そう告げて、凪は予め情報を集めていたポイントへと向かう事にした。


 「エイジ、マヤ、オペレートを頼む」


 ヘッドセットの向こうに告げて、凪は市街地から背を向ける。

 そうして、魔獣の気配が満ちる山中の森へと分け入った。


 〇


 「あんたらにも、〈AZテック〉のやってる事を把握してもらう必要がある」


 凪はそう言って、眼下の開けた谷間に視線を向けた。

 以前から──クロエが来る前から、把握している実験フィールド内の〈AZテック〉の職員が常駐していない、小規模な拠点の一つだ。


 その拠点は、幾つかの魔力的な障壁の張られたフィールドが展開している。


 「……実験用の魔獣を捕らえておく為の拠点、ですか」


 凪の隣で身を乗り出したロベリアが、仮面の奥からくぐもった声を発した。

 凪はうなずき、場慣れした身のこなしで自分についてきた彼女を振り返る。


 「……あんたたち〈聖都〉の人間が手を貸してくれて、俺たちもできる選択肢が増えたって事を示したい」

 「というと?」


 ロベリアが淡々とした態度を崩さず、凪を振り向く。

 フードの奥の仮面が、甲冑のように鈍い輝きを発していた。


 「……直接的な妨害工作に、踏み切る段階だってことさ」


 〇


 準備はこれまで以上に入念に進めてきた。

 離脱ポイントもあの拠点のすぐ近くに設定されて、そこには既に『表側』のエイジたちが控えている。


 (まずは、ここから……反撃の狼煙のろしだ)


 〈AZテック〉も黙ってはいないだろうが──

 ──いつかは必ず、通らねばならない道だった。


 拠点のすぐ近くまで、ロベリアと共に身を潜めて木々の間を移動した。


 「……人間の人員はいませんが」


 ロベリアが拠点を見渡して、仮面の奥で口を開く。


 「警備用ドローンとガードロボットが数機、配備されていますね」

 「そいつらをかいくぐって、フィールド内の障壁を破壊する」


 凪は、予め頭の中に叩き込んでおいた構造と配置に目の前の拠点の様子に齟齬そごがないのを慎重に確かめてから、素早く告げた。


 「こういう事がやれるようになるまで長い時間がかかった」


 「必ず成功させる」と凪が拳を握るのに、ロベリアが仮面の奥から振り向く。

 凪は、フードの奥のその仮面を見返して、低く告げた。


 「あんなは、俺の動きがバレた時の為に備えておいてくれ」

 「……了解」


 ロベリアの返事と同時に、凪は駆け出した。


 警備ドローンとガードロボットの監視をかいくぐり拠点に入り込む。

 そうして、フィールドを展開する装置の前へと一気に駆けた。


 装置の構造も情報を集め、予め把握している。


 ふと、凪は自分一人、〈AZテック〉の研究施設にがむしゃらに忍び込もうとしていた頃の事を思い出した。あの時は、ほとんど捨て身の後先を考えない行動だった。


 家族をばらばらにした元凶の〈AZテック〉に一泡吹かせられるなら。

 姉の消息が、何か少しでも分かるのなら。


 今は違う。


 (……あいつが戻ってくるまで、俺たちは……!)


 凪はフィールド展開装置の操作端末をこじ開け、自らのプロテクターに内蔵された端末からケーブルを引き出し、接続した。


 手首の端末を操作し、フィールドを展開する装置へ妨害コードを送る。

 一連の操作を、凪も、迅速に正確に行えた手応えがあった。


 だが──凪は思わず「まずい」とうめいた。


 『凪、どうした!?』


 すぐに、ヘッドセットの通信の向こうからエイジが素早く尋ねてきた。

 ここで通信を切断するわけにいかず、凪は身動きが取れずに素早く辺りを見る。


 「想定以上に妨害コードの送信に時間がかかってる……!」

 『凪!もういい!通信を切断して退避しろ!』


 凪はとっさに「だめだ!」と言葉を発した。


 「こもまで来たら、どのみち痕跡は残すことになる。それなら、ミッションの成功を優先……!」

 『凪!意地を張っては駄目……!』


 マヤの悲鳴のような声がヘッドセットの向こうから聞こえた──


 ──そう思った瞬間、凪の視界に警備ドローンが飛び込んできた。


 今にも〈AZテック〉本社に警報が送られると思った、次の瞬間──


 しゅっ、と鋭い輝きが上下に警備ドローンの機体を断ち斬るのが見えた。

 両断された警備ドローンは、地面の上にがしゃりと音を立てて転がる。


 じりっとブーツが地面を踏み締め、修道服のような装束の裾が揺れた。


 凪は呆然と、警備ドローンをすかさず断ち切ったその人物を見上げた。


 「……これが、私の役割、でしょう?」

 「っ」


 凪は息を呑んで、ちんっ、と波状の剣を鞘に納めた修道女──ロベリアの姿を見詰めた。彼女は、何事もなかったようにとある一点に向き直る。


 「それより、今からガードロボットが一体、こちらに来ます」

 「待て、なんで……そんな事が分かる……?」


 ロベリアの口振りに凪はうめいたが、ロベリアは答えずに凪を背に庇う。


 そのまま、再び〈波状剣〉抜いて、その独特の刃に指をはわせた。


 ロベリアが精神を集中させ、息を吐くのが聞こえた。そして──


 「『秘めたる火を灯せ……〈火巨神ズールト』」

 その詠唱と共に、ロベリアの〈波状剣〉の刃が赤熱し、赤くゆらめいた。

 ほぼ同時に、ロベリアの言った通り、ガードロボットの一体が姿を現す。


 警告も何もなく、ガードロボットはアームの先にある〈魔素銃〉を向けた。

 ためらいもなく発射された魔法弾に、凪は身を縮める。だが──


 「……」


 ロベリアが無言のまま、赤熱した〈波状剣〉の刃で魔法弾を弾いた。

 火の粉を散らし揺らめく刃をロベリアは振るい、その刃に魔法弾が、ガードロボットのアームを一寸の狂いもなく撃ち抜いた。


 ロベリアはくるりと炎が揺らめくように赤く輝く剣を持ち替えた。


 次の瞬間、強靭な足で地面を蹴った彼女は、その勢いのままガードロボットに斬りつけ、胴体を真っ二つに両断していた。


 真っ赤に溶けた鋼鉄の断面が、ずるりと滑り落ちる。

 がしゃん、と空しい音を立てて両断されたガードロボットの機体が転がった。


 ロベリアはそれを見下ろして息を吐き、灯っていた火が消えるように元の姿に戻った〈波状剣〉を鞘に納めた。


 凪が呆然としている間に、妨害コードがフィールド展開装置に送られていた。

 拠点のフィールドを区切る障壁が残らず消失する。


 「これで、今回のミッションは終了ですね」

 「あ、ああ……」


 ロベリアがつぶやくのに凪はうなずきつつ、彼女に圧倒されていた。


 凪はロベリアのことを、まだ年若い、多少荒事慣れした雰囲気はある、ただの〈聖都〉のエージェントまがいの修道女だと思っていた。


 そんな程度のものじゃない。


 ロベリアが持っているあの〈波状剣〉は〈魔法剣〉だ。

 魔素を高い純度で含んだ〈魔銀ミスリル〉の鉱石から〈鉱精霊ドワーフ〉の一流の鍛冶師が打ち出す──大陸でも希少な武器。


 しかも、それだけではない。


 (こいつ、ドローンやガードロボットが来るのを分かっていただけじゃない)


 到底人の動体視力では追えない魔法弾の着弾点も、正確に見極めていた。


 凪は、ごくりと息を呑んで先ほどの光景を思い出す。


 (あれだ……『裏側』に入る前に、マリーと間近で目を合わせた……)


 あの時、マリーの〈聖女〉の能力が、おそらくは一時的にロベリアに移された。


 ──


 『未来視』の能力を持つ〈聖女〉、マリー。

 たぐい稀な〈魔法剣〉の使い手、ロベリア。


 それが、自分たちの元に送り込まれてきた、二人の正体だった。


 次の瞬間、凪が呆然とする前で、ロベリアが再び剣を抜き放った。


 凪ははっとする。

 ロベリアが視線を向ける先には、──


 ──「やめろ‼」


 凪はとっさに、ロベリアの体に飛びつき、地面に押し倒した。


 地面にもつれあい倒れ込む二人の頭上を、拠点のフィールドから逃げ出した〈魔狼ワーグ〉の群れが駆け抜けていく。


 凪は自分でも呆然としたまま、倒れているロベリアを見下ろしていた。

 彼女が仮面の下で首をかしげるのに、凪はばっと起き上がり、目を逸らした。


 「……逃がせば済むものを、わざわざ殺す必要なんて、ないだろ」


 凪がぼそぼそと言葉をこぼすが──凪自身、苦しい言い訳だと思った。

 ただ、とっさに──脳裏にクロエの顔が思い浮かんで、気が付けば──


 凪のその言い分を信じたわけでもなさそうだが、ロベリアが立ち上がる。

 軽く背に付いた土埃を払い、森の中へと逃げていく魔獣たちの姿を見やった。


 「……それもそうですね」


 そうつぶやいたロベリアを見上げ、凪も息を吐いて立ち上がる。


 「……これ以上、此処に留まるわけにいかない。離脱ポイントに向かおう」

 

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