第五話 姫は仮住まいに暮らす/仲間たちは聖女を迎える
**
私は、自分のスマホの目覚ましアラームの音で目を覚ました。
いつもの、馴れ親しんだ寮のベッドの上ではない。
少し埃っぽい空気に鼻を鳴らして、床に敷かれた布団の上で体を起こす。
私はまぶたを擦って、昨日から過ごしている部屋をぼうっと見渡した。
部屋の隅に勉強机があるだけで、後はごちゃごちゃ雑然と物が積まれている。
家主は、普段使わない客間と言っていたけど、物置代わりになっていたのだろう。
昨日の間に手分けして掃除をしたし、今の私はこうしてゆっくり体を休められる場所が与えられるだけで十分ありがたい事だと思う。
パジャマの上から、固定された右の足首の状態を確かめる。
痛みは確実に引いてきているし、安静にした分は着実に治癒が進んでいた。
でも──
「白亜たちと、海、行けなかったんだよな……」
本来であれば、今日皆で電車に乗って海に行くはずだった。
水着も買って──色々と皆で予定を立てて──
昨日の内に連絡した時は、白亜も天音も風香も、怒るどころかみんな心配して連絡をくれて、話を聞くと慰めてくれたけど──
また、気分が落ち込みかけて、私はふうっと息を吐いた。
自分が無意識に浮足立って、凪の注意も聞かず迂闊なことをして怪我をした。
おまけに魔力の制御も失って、寮を出ていかなくちゃならなくなった。
悪い事が一気に重なってしまったけれど──
(……捨てる神あれば拾う神あり、だ。そう……思おう)
私は負傷した方の足に負担をかけないようにそっと立ち上がる。
とにかくゆっくりと床に膝を突き、布団を畳んで部屋の隅へとやった。
それから、片足をかばいながら寝室に使っている部屋を出た。
引き戸を開けて廊下に出ると、香ばしい──というより焦げ臭いにおいがした、
なんだか──キッチンの方からうっすら煙が漂ってきている。
「あの……」
キッチンの戸口に立って声を掛けると、こちらから背中を向けた一人の女性が「ああ、くそ……」と毒づいて、コンロの前で悪戦苦闘していた。
「おはようございます……玉ノ井、先生……」
私がおそるおそる様子を窺いながら彼女に声を掛ける。
すると、この部屋の家主で、私の担任の先生──
──
「ああ、
そう言いながら、玉ノ井先生は持っていたフライパンを閉じていた蓋を開けて──
途端にそこから立ち昇る、黒く焦げ臭い煙に顔をしかめた。
そうして、フライパンの中の黒焦げになった塊を見下ろして──
「……ひとまず、今日はご飯とインスタントの味噌汁でいいか?」
そう、焦げたフライパンをシンクの水に浸けて、無念そうに告げた。
〇
私が凪たちと会って相談している間に、寮母さんが学校の関係者にあちこち掛け合ってくれたのだった。
そして、事情を聞いた玉ノ井先生が、保護者の許可を取った上でなら、と条件を付けて私をしばらくの間、自分の暮らすマンションの一室に引き取ってくれたのだ。
とにかくばあちゃんと連絡を取って、一連の成り行きに対するお叱りを目いっぱい受けて、玉ノ井先生からもばあちゃんに説明をして──
そういった成り行きで、私は昨日から玉ノ井先生の部屋で寝起きしている。
「明日川、この際だから言っておくが、お前の生活態度に私も関心があった」
ずずっ、とインスタントの味噌汁を啜る玉ノ井先生が私をテーブルの向かいから鋭い目を向けてくる。
私は、玉ノ井先生の出してくれたふりかけをご飯にかけながらどきりとする。
「なっ、なっ、なん……」
「お前は授業も真面目に聞いているし、生活態度にも問題はない。大人しい性格で引っ込み思案なのは気に懸かるが、高塔たちとの関係もうまくいっているようで私もひとまず安心していた」
私は少し驚いた。
玉ノ井先生とは個人的に話した機会はそう多くないのだが、よく見ている。
白米をかき込んで味噌汁で流し込んだ玉ノ井先生がこちらを睨む。
「だというのに、何故か身の周りでトラブルが絶えないし、怪我も多い」
「今回のそれもな」と、玉ノ井先生がテーブルの下のねん挫した私の足を見やる。
「こっ、これは……寮の階段で落っこちかけて……」
「不注意で、すみません」と、私が頭を下げると、玉ノ井先生は息を吐いた。
「単なるおっちょこちょいというだけなら、本人が改めれば済む話だが……」
「ごっ、ご心配をおかけっ、しまして……」
「……明日川、お前何か周りに隠していたりしないだろうな?」
玉ノ井先生の黒い、鋭い瞳が私を射すくめた。
私は喉に詰まりかけたご飯を味噌汁で流し込み、首を振る。
「そっ、そんなことは……私はただの、おっちょこちょいで、ち、近頃、うっ、運気どん底のダメダメ一般女子高生でして……」
「……お前、そこまで卑屈な性格だったか?まあいい……」
玉ノ井先生は息を私の顔を睨んだ。
「いい機会だ、明日川。お前の普段の行動に何か、トラブルを引き寄せたりするような原因がないか、確かめさせてもらう」
そう、厳しい態度で私に向き合う玉ノ井先生に、私はごくりと唾を呑み込んだ。
**
群島連邦は、大陸本土の東の海に浮かぶ大きな幾つかの島──
──その間に点々と浮かぶ無数の島々から構成される。
〈
すぐ隣に位置する、〈岩戸島〉の間にも大小の島が点在している。
それらを一つ一つ結ぶように〈岩戸島〉本土に繋がる連絡橋が建設されていた。
夏の太陽の陽射しを受けてエメラルドグリーンに輝く海の上に架かる橋。
普段、風景などにさして関心を抱かない凪も、綺麗だな、位は感じる。
実際にこの風光
今日、凪はエイジと共にその連絡橋の上を、普段の改造バンとは別の、エイジが何処かから乗ってきた何やら高級っぽい車で走っている。
エイジも普段の作業着やタンクトップ姿でなく、スーツを着込んでいる。
凪も、正装というわけではないが、少しばかり改まった服装だった。
「……わざわざ〈夢見島〉の外を出て、何の用事があるんだよ?」
「こんな時に……」と、凪は不機嫌さを隠そうともせずつぶやいた。
その言葉に、エイジは太い首筋を掻いた。
「こういう時だからこそ、だ。お嬢と一緒に俺たちまで立ち止まってたら、逆に彼女に申し訳が立たない」
「物は言いようだな」
凪のぶっきらぼうな言葉に、エイジはさすがに表情を改めた。
凪も内心、言い過ぎたかと思ったが、エイジはいつになく厳しい表情だった。
「……正直なとこ、俺も今回の事は堪えたよ」
エイジは片手でハンドルを握り締め、軽く口元を手で覆った。
「……いくら異能の力を持って、(AZテック)とも対等に渡り合えると言っても、まだ子供なんだ。お嬢も……」
それから、エイジは、助手席で頬杖を突く凪をちらりと横目に見た。
「凪、お前もだ」
「……何が言いたいんだよ?」
凪は、車が走る鉄橋の向こうに見えるエメラルドグリーンの海を見詰める。
首筋にエイジの視線を感じるが、凪は敢えて無視していた。
だが、構わずエイジは話を続けるようだった。
「このミッションは、そもそもこっちの組織の失敗から始まった。……〈夢見島〉の『裏側』の実験フィールドに足を踏み入れた、その最初の一歩で、俺の組織が送り込んだチームは壊滅した。……俺とマヤの二人を除いてな」
「…………」
エイジは、煙草が欲しいのか空しくスーツの裏ポケットを探っている。
「俺も大怪我を負って、ミッションの存続さえ危ぶまれた状況だった。そこに接触してきたのが、あの『バイク男』だ」
クロエが加わったばかりの頃の一件で見た男だ。その話は凪も初耳だった。
思わず目を見開いてエイジを振り返ると、彼は再び両手でハンドルを握って、橋脚の緩やかなカーブを曲がっていく。
「彼の素性は俺も知らん。だが、組織と話をつけて、ミッションの存続の為に手を尽くすと請け負った。彼から仲間に引き入れるように指示を受けたのが、凪、お前だった」
「そうなのか?」
凪が思わず振り返る尋ねると、エイジが「ああ」とうなずいた。
「……〈AZテック〉に恨みを持つ少年だと言われた。研究施設に不法侵入を繰り返しマークされているとも……。その時に、お前の家族の事……親父さんや、
凪は、家族の事に話が及んでじくりと胸の傷が痛むのを感じた。
エイジは殊更に淡々と話すように努めているようだった。
しばらく何も言わずに、そして次の島を繋ぐ橋へと向かう。
それから──エイジは改まった口調で、凪に告げた。
「……凪、お前、本当に組織の養成機関に入るつもりでいるのか?」
「こんなにどっぷり係わらせといて、今更何を……」
「〈AZテック〉との戦いが終わった時……お前にはもっと他の選択肢があるし、あるべきだと思う。〈夢見島〉や群島連邦では無理でも、大陸に渡って新たな人生を家族と共に過ごす事だってできるはずだ」
エイジは息を吐いて、凪に改まった口調で言葉を続ける。
「お前がどんな想像をしているか知らんが……組織の養成所は教育機関じゃない。あそこは……国とかそんなものの為の捨て駒を作る『工場』だ」
沈黙する凪にエイジは「考え直せ」と、短く重々しく告げた。
凪も、エイジの言葉を何度も反芻して噛み締めた。
しかし──
──「今の俺には……俺の家族が元通りになるなんて思えない」
結局、息を吐いて、凪は再び窓の外の明るいエメラルドグリーンの海を見た。
「未来を思い描けなんて言われても……俺には真っ暗な道しか見えない」
凪は低く告げて、そこから先はただ黙って外の華やかな景色を見詰めていた。
〇
〈夢見島〉の隣にある〈岩戸島〉の、〈岩戸島国際空港〉まで車は走った。
車から降りて、驚いた事にエイジはネクタイを締め、凪の服装もチェックをして「まあ、問題はなかろう」とつぶやいた。
「……誰か、来賓でも迎えんのかよ」
凪が皮肉交じりに尋ねると、エイジが軽く短い髪をなでつけ、うなずいた。
「大陸の、〈聖都〉から、新たに人員が送られてくる」
「は?」
「ここまでの活動の、ひとまずの成果だな。〈聖都〉が重い腰を上げてくれた」
エイジの言葉に、凪も目をしばたいて彼を見上げた。
「表立って動くわけにはいかんから、送られてくるのは二人だけらしいがな」
「……なんだ、結局、そんなんかよ」
「そう言うな。群島連邦の中ではぴんと来ないかもしれんが、〈聖都〉の〈大陸正教会〉をバックに引き込めたのは大きい。それに……」
拍子抜けして凪は顔をしかめるが、エイジはネクタイを締め直し前を見据えた。
「相手は〈聖女〉だ。れっきとした、異能者だ」
「……!」
凪は思わず息を呑む。
〈聖都〉の〈聖女〉は、群島連邦で生まれ育った凪でも耳にした事がある。
長らく、それこそ数百年以上の長きに渡って、謎の多い人間の異能を研究してきた〈大陸正教会〉の総本山である〈聖都〉。
〈聖女〉は、〈聖都〉が大陸の多くの土地から集めた人間の異能者の女性たちだ。
凪も、さすがに緊張して空港のロビーまで向かった。
エイジは腕時計に目を落とし「どうやら間に合ったようだ」と軽く息を吐く。
そして──
しばらく待っていると、空港の人混みの中から二人の女性が近づいてきた。
共に修道福姿の──なにやらえらく身長差のある二人組だった。
──「……あなた方が、わたくしたちの仲間ということでよろしいかしら?」
キャリーケースをえらく苦労しながら引いてくる、小柄な修道女が声を掛ける。
彼女の姿に凪は目をしばたく。凪よりも小柄で、華奢な体格をしている。
それに、春の花のような温かい色の瞳──その片方が眼帯で覆われていた。
エイジが「そのようです」と答えて、二人の修道女からキャリーケースを受け取ろうとした。
途端に、小柄な眼帯の修道女が「わたくしのだけ頼みます」と、微笑んだ。
そうして相方らしい細身の修道女を振り向く。
「……この子の荷物の中には『仕事道具』が入っていまして、他人に触らせたくないそうなのです。自分で運んでいきますから、お構いなく」
小柄な修道女が、ふうっと、息を吐いてキャリーケースをエイジに渡す。
その様子を見て凪は、長身の修道女を振り向いた。
ほっそりとした体格の彼女は、極端に表情を動かさなかった。
ただ淡々とアイスブルーの瞳を伏せて、キャリーケースを運んでいた。
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