第二話 黒衣の姫は負傷する

 ──「って、この前、友達とそんな話をしていて……」


 〈夢見島市〉の市外を密やかに走る、施設点検会社のロゴが入ったバンの車内。


 私は隣の座席に座る獣人種の少年のなぎ、運転席でハンドルを握る屈強な人間の男性のエイジ、助手席に座る謎の多い女性マヤ──


 ──そして、新たに後方の後部座席に座る、私の影武者の菅田司三すがたつかさに、この前、白亜たちと夏休みの予定についてやりとりした件を話していた。


 「友達と遊びに行く余裕って……あっ、ありますよね?」


 私がおそるおそる尋ねると、横でいつも私に手厳しい凪が息を吐く。


 「夏休みだからって、分かり易く浮かれやがって……」

 「いいじゃない。友達と海なんて、いい思い出になると思うよ」


 後部座席からにこやかに微笑む司三に、私は「ですよね!」とうなずく。


 「きっ、昨日も水着、みんなで買いに行って……楽しかったなぁ」

 「そうなのね。せっかく水着を買ったんなら、めいっぱい楽しまないとだ」


 マヤが助手席からこちらを振り返り、微笑ましそうに目を細めた。

 見た目は小柄な子供にしか見えないのだけど、いつも温かく接してくれる。


 車内の和やかなやり取りに、運転席のエイジもバックミラー越しに私を見る。


 「試験結果も良かったと聞いています。お嬢は大変な状況の中で学業と両立できていますし、夏休みくらい羽を伸ばすのもいいと思いますよ」

 「えへへー」


 普段の自分の頑張りを認めて褒めてもらうことはくすぐったくも嬉しい。

 私が笑み崩れていると、横で凪が面白くなさそうに車の窓に頬杖を突いた。


 「……あんまり全員で甘やかすなよ。調子に乗るとろくな事がない」

 「凪くんだって、私のこと褒めてくれていいんだよー」

 「うるさい。それより、テスト期間中は全く、魔力を使ってこなかったんだろ?」


 「今日は久しぶりに『裏側』に入って魔力を使う」と、凪がこちらを振り返る。


 「準備はいつも以上に念入りに、万全にしとけ。何が起こるか分からない」

 「その『馴らし』に、今日は行くんじゃん」


 相変わらず仏頂面の凪に、私は唇を尖らせる。


 「『裏側』の〈夢見島市〉の中心地から離れた所で、魔力を使って移動するだけ。これまで何度もやってきた事だし、皆もついていてくれるから平気だって」

 「だから、なおのこと気を抜くな、って言ってる」


 「なんのための訓練だよ」とぼやく凪に、私もさすがにかちんとくる。


 「あのねぇ、凪くんは知らないかもしれないけど、あれは私が小さい頃からずっとやってる事なんだよ。正直言うなら、改めて訓練するまでもないね!」

 「っ、お前、そういう気の緩みがよくないって……!」


 なんだか、今日の凪は機嫌が悪いというか突っかかってくる。

 本格的な言い合いに発展しかけた時、「そろそろ着きますよ」と、運転席から

エイジが私と凪を振り返った。


 「お嬢もそろそろ準備をしておいてください。何かあれば、すぐに知らせて」

 「……はーい」


 エイジにもたしなめられて、さすがにちょっと浮かれてたかな、と反省する。

 彼の差し出したヘッドセットとカメラを受け取り、停まったバンから外へ出た。


 人気のない夜の路上に降り立つと、自分の足元の影を軽くつま先で叩く。


 普段、自分の影の中に布のように折り畳んで収めている魔力を解放して──


 (……うん?)


 影から出た魔力が自分の体に巻きつく感触に、私は小さく首をかしげた。


 普段はするすると滑らかに動くはずの自分の魔力の触手が──何か、今日はぎこちないというか、かすかな引っかかりを感じる。


 全身を覆った魔力が肌になじむのも時間がかかっている気がする。


 魔力の黒装束をまとった後も、肌から浮くようでなじみ切ってない──


 「どうかしたのか?クロエ?」


 何度も、黒手袋をぎゅうっと音を立てて握ったり、漆黒のブーツのつま先で地面を蹴って違和感を消そうとしていると、後から降りて来た凪が声を掛けてきた。


 「いや……その……なんか……」


 かすかな、ほんのかすかな違和感がどうしても拭えない。

 私はその事を凪に伝えようと口を開きかけたけど──


 「何か問題があるなら、今の内に言っとけよ。子供じゃないんだから」


 凪が息を吐くのを見て、ちりっ、と反発心が湧く。


 「分かってるよ!ちょっと、久しぶりだから戸惑っただけ!」


 私は結局そう言って、ヘッドセットとカメラを魔力でマスクにくっつけた。


 〇


 (……うん、やっぱり、さっきは久しぶりで戸惑っただけだね)


 マヤの開いた『空間の破れ目』から飛び込んだ『裏側』の〈夢見島ゆみじま市〉。

 今は〈異能管理公社〉の一つ〈AZテック〉が非合法の実験フィールドに使っている、元は私の母さんが〈夢見島市〉を模して創り出した異空間。


 その、赤黒い輝きが揺らめく空の上──

 暗黒の塔と化した建物の建ち並ぶ魔都と化した〈夢見島市〉のその空を、私は自由自在に飛び交った。


 暗黒の塔と塔の間に影から魔力の触手を伸ばして引き寄せ、屋根を蹴って飛び移っていく。もうこれまで何百何千と繰り返して、今更意識するまでもない一連の動作。


 『ちょっと間隔が空いたのでどうかと思いましたが、問題なさそうですね』


 ヘッドセットの向こうから聞こえるエイジの声に、私もうなずく。


 「今日はこうして、移動するだけ、ですよね?」

 『そうね。クロエさんの調子を取り戻すのが目的だから……』


 通信するマヤの声も穏やかで、過度に緊張してはいない。


 『あんまり目的もなく実験フィールドをうろついていても警戒されるだけだ』


 『そろそろ戻って来い』と命じる凪の声に、私も「分かった」とうなずく。


 今日はこれだけでもうミッションは終わりだ。

 いつも以上に慎重にやっていたけど──


 ふと、このまんまじゃいくらなんでもぬるくないか、という心の声がした。


 (ちょっとばかし……チャレンジしてもいいよね?)


 そう考えて、私は近くに見える、この辺りで一番高い、おそらくは現実世界では鉄塔の建っている位置にあるであろう暗黒の塔を見上げた。


 (あのてっぺんまで……一気に……!)


 本気出せば十分に届く高さだし、少しは挑戦しないと訓練の意味がない。

 多少、失敗したって今日はすぐそばにみんなもいるし──


 「ふんっ!」


 私は一声、気合を入れて自分の影から魔力の触手を伸ばした。

 それを、黒い鉄塔のてっぺんに絡めて、おもいっきり引き寄せて──


 「えっ……?あれっ……?」


 なんか──思った以上に、速度出てない?


 空中で姿勢を制御しようとするけど、体の重心が何故か安定しない。

 そうしている間に、どんどんと速度が出て、周りの景色が自分を置き去りにどんどんと流れていって──


 「あっ……」


 (ひょっとして、これ、かなりまずいんじゃ……)


 そう思って、口から微かな吐息が漏れる。


 次の瞬間、完全に私の制御を離れた魔力の触手が、凄まじい勢いで縮んだ。

 そして、姿勢の制御すらできないまま、私は目の前の塔に激しく引き寄せられ──


 **


 「クロエ……?」


 凪は、通信から聞こえた、クロエの「あっ」という微かな吐息に首を傾げる。

 これまで聞いた事のない声の響きが、そのかすかな息に乗っている気がした。


 今日はただの『裏側』での『馴らし』で──

 そんなのはクロエ・アスタルテにとっては朝飯前の仕事だろう。


 夏休みを前にして、少し浮かれている様子だから、苦言をていしたけれど──


 本当に、彼女が浮かれてどうにかなるとも思ってはいなかった。


 「クロエ?どうした?」


 些細ささいな違和感を覚えて、凪は端末に問いかけた。

 横で比較的くつろいでいる様子だったエイジたちの表情も、かすかに曇る。


 次の瞬間──


 がしゃんっ!とか、ずがんっ!とか、とにかくそんなこれまで聞いた事もないような激しい破砕音が聞こえて──通信が途切れた。


 凪は端末の前で立ち尽くしたが──すぐに、エイジを振り返った。


 「エイジ!通信を頼む!」

 「っ!ああ、そうだな。凪はすぐに『裏側』へ突入する準備を整えてくれ」


 その場にいた全員が青ざめた顔で慌ただしく動き出す。

 凪自身、自分が蒼白になってともすれば震え出しそうになっているのに気付く。


 凪は装着する手間ももどかしく『裏側』に向かう為のプロテクターを装着した。

 なかなかうまく両腕のプロテクターが装着できないのに苛立っていると、横からすっと手が伸びてきた。


 「僕がやるよ」

 「……司三」


 新入りの、この前までただの服飾系の専門学校の生徒だった、菅田司三。

 若干青ざめた顔をしていたが、意外に肝の据わった態度で、凪のプロテクターを装着していく。


 「他に僕にやれることは?」


 凪の装備を整えながら司三が問うのに、凪は一度、深呼吸をした。

 それから、懐から持っていた名刺を取り出す。


 「ここ、俺たちに何かあった時に頼ってる、病院の連絡先」

 「そっか。なんて伝えればいい?」

 「モグリの医者だから、状況だけ説明すれば受け入れるかどうか言ってくる」


 それを聞いて司三はうなずき、線の細い顔に力を込めた。


 「……断られた時は?」

 「金をふっかけられても、なんでも……っ、脅してでもいいから受け入れさせろ」


 凪はぐっと拳を握り締めて、マヤが開いた『空間の破れ目』に向かう。


 「……凪、クロエさんの身に何が起こったか分からないけど……」


 青い薔薇の蔓を伸ばし、『空間の破れ目』を押し広げたマヤが凪を振り返る。


 「あなたも、十分気を付けてね」

 「分かってる。俺に何かあったら、共倒れになる」


 そう言って、凪は腰のホルスターに拳銃を差し、『裏側』に飛び込んだ。


 ぐるりと世界が反転するような感覚が全身を包んで──凪は『裏側』の地面を踏み締めて、立っていた。


 落ち着かない、赤黒い輝きが揺らめく空の下に広がる暗黒の魔都。


 「クロエ……!」


 凪はその町を少女の姿を探して駆け始めた。

 今夜行動した範囲は限られているし、クロエの反応が途絶えたのはすぐ近くだ。


 凪が、暗黒の塔と化した建物の間を走り回っていた。


 すると──「みゃあ」と、猫が自分を誘うように鳴く声が聞こえた。

 シャドだ。凪は獣人種の鋭敏な聴覚を頼りに、その鳴き声の聞こえる場所を突き止め、一刻も早くそこへと駆けた。


 「シャド!……クロエ!」


 そして、見つけた。


 シャドが、折れて崩れた鉄塔のような建物のそばで自分を見上げて鳴いている。

 凪が息を切らせて、そこへ駆け寄ると──


 倒れた鉄塔のすぐそばで、黒装束の少女が倒れて、うめき声を上げていた。

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