第十三話 偽者は手を伸ばす

 **


 老朽化して安全が確保できない為だろう。

 外光の届かない廃墟の地下は、立ち入り禁止になっていた


 司三つかさはスマホのライトで地下を照らし、異常がないか確かめた。


 ひんやりとした湿っぽい空気が地下から自分の足元にはいあがってくる。


 正直、不気味ではあったが何か異常があるようには見えない。


 「やっぱり……気のせい、なのかな」


 そうつぶやいて、スマホのライトを地下室の奥へと向けた時だった。


 「えっ?」と、司三は思わず立ち尽くす。


 司三のライトの照らす先、地下の闇に包まれた空中だ。

 その、


 司三が声を失って、立ち尽くした次の瞬間──


 ぱりん……ばりん……ぱりっ、ばりっ……ばりんっ!


 そう、ガラスの割れるような音が響き渡った瞬間、その『空間のひび割れ』が広がり、内側から弾け飛ぶように壊れた。


 そして──


 ごああああああああああっ‼


 ひび割れて剥がれ落ちた空間の奥から、虹色の薄いガラスの膜のような物が見えて、その奥から司三の全身を震わせる獣の咆哮が響き渡った。


 何が起こっているか理解できないまま、司三は呆然としていた。

 更には、自分の見ている目の前で、『空間のひび割れ』の奥から巨大が鉤爪の付いた獣の強靭な足がガラスを突き破るように飛び出してきた。


 それを見て司三はようやく我に返った。

 階上へと向けて素早くきびすを返し、階段を駆け上がる。


 「みんな……今すぐ、逃げ……っ!」


 今も廃墟の中にいるサークル仲間たちに呼びかけようとした時だった。


 背後から凄まじい爆炎と衝撃が起こって、司三は背中から吹き飛ばされた。


 〇


 司三は一瞬、意識を失っていた。


 周囲の空気が焦げ臭い。激しくせき込み口に手を当てて起き上がる。

 そして、自分の目の前に広がった光景に司三は息を呑んだ。


 スタジオに使っていた廃墟の中に、火の手が上がっていた。


 あちこち瓦礫が崩れて、何人か逃げ遅れたサークル仲間がいるようだ。


 「みんっ……な……!」


 司三は熱したコンクリートの床の上に手を突き、立ち上がろうとした。

 だが、熱と痛みに耐え切れず悲鳴を上げて倒れ込んだ。


 司三も先ほどの爆発に巻き込まれている。

 喉の奥がひりついて、手足が熱した鉄の板を当てられたように痛む。


 生まれつき、ささやかな能力だが異能を持って、多少は体も頑丈だった。

 だが、自分はこれまでの人生で修羅場をくぐった経験などない、ただの一般人でしかない。


 この状況で、司三にできる事など一つもない。

 自分の命を守ることで精一杯で、助けを待つより他にできることは──


 ──その時だった。


 司三は燃え盛る炎の奥に、自分の持ってきた荷物が転がっているのを見つけた。

 爆発の衝撃でコス衣装の入っていた紙袋が破れて、その中身が司三の方へと転がり出ている。


 〈黒衣姫〉の──クロエの、コス衣装だった。


 (クロエ……ちゃん……)


 どちらかと言えば、小柄で華奢で、いかにも女の子らしい女の子。

 そんなありのままの自分のまま、まるでヒーローみたいに前向きでひたむきで、自分にできる事を信じて歩み続ける女の子。


 (ああ……そうだ……。僕は、そんな君だから……君になりたかった)


 司三は熱したコンクリートの上で拳を握り締め、何度も咳き込んだ。


 (こんな僕でも……ひょっとしたら、何か誰かの為になる事ができるんじゃないかって……たとえ……君ほどうまく立ち回れなくても……)


 自分は結局、偽者でしかないのだと思っていた。

 そんな自分が創り出すものも、所詮はニセモノでしかないと──


 でも──だけど──


 司三は、自分の目の前に転がっていた、漆黒のマスクに手を伸ばす。


 「クロエちゃん……。君が言ってくれたこと、無駄にしたくない……!」


 届かなくても──たとえ、偽者でも──

 憧れに向かって胸を張り、真っすぐに向き合って手を伸ばす。


 そこに意味はあるはずだ。

 司三にできる事も、あるはずだ。


 「君が好きって言ってくれたんだ。たとえ偽者でも……!」


 司三は懸命に伸ばした手で、〈黒衣姫〉の漆黒のマスクを掴んだ。


 「僕は、僕にできることを精一杯にやるよ」


 **


 立ち尽くす私を見下ろす翼は、本気だった。


 (私が止めなかったら……翼は、〈フェザー〉は本気で、ここの人たちを……)


 私はとっさに息を呑み、自分の足元の黒い影を見下ろした。

 その時──スマホの着信音が鳴ってはっとする。


 「……一体、なんだ、こんな時に?」


 すると、翼の方も自分の鞄を探っていた。

 彼女の方にも、ほぼ同時に何かの通信が入ったのだ。


 「……くそ、そこで待っていろ。逃げたら、ここの連中をひねり潰すからな」


 スマホの画面を確かめた翼が、悔しげに顔をしかめて私に吐き捨てる。

 そのまま二、三歩離れてスマホの音声通話に出た翼は不機嫌さを隠そうともせずに「一体、なんだ急に」と声を荒げていた。


 だが──相手から何か言われたらしい翼の顔色が変わった。


 「……馬鹿を言うな、そんなことはあり得ない。情報班の間違い……」


 翼は何故か私の方を見て、眉間に皺を寄せて唸るように反論していた。

 そして、そのまま何事か言い争っている。


 私は、その隙に鞄からスマホを取り出し、先ほどの着信を見た。


 凪たちと連絡を取る時に使っている、特別のアプリの方の着信だった。

 翼の目を盗んで画面を見ると、何かのURLが添付されている。


 素早くそれを開くと、動画ファイルだったらしく映像が映し出される。


 「……っ!」


 私は息を殺してその動画を見詰めた。

 見覚えのある場所だった。あの山中の、廃墟だったスタジオ。


 そこから火の手が上がっている映像だ。

 火事が起こったその建物の内部に、何人が取り残されていたのだろう。


 誰かが怪我人に肩を貸して、炎上する建物の外へ運び出している姿が映っている。


 漆黒のマスクに、黒装束。

 私もここ最近、何度も映像で見た姿だ。


 でも、それは姿であって──


 ──「……〈黒衣姫〉」


 私は思わずつぶやいて、そして確信を込めてスマホを握り締めた。


 (……司三さん、だ)


 私は大きく息を吐いて、まだ通話をしていた翼へと向き直った。


 「私には……あなたが何を言っているか、理解できません。本当に」


 私が下腹に力を込めて、ぐっと顎を引いて翼に対峙する。

 すると、未だ納得がいかない様子で通話口に詰め寄っていた翼が、呆然とした表情でこちらを振り返り、目を見開いた。


 「私は……〈黒衣姫〉なんかじゃないし、あなたと会ったこともない」

 「……くそっ、待て……明日川黒依あすかわくろえ。まだ、話は終わってないぞ……」


 通話相手に聞かせるわけにいかないのだろう。

 荒々しく、しかし低く唸るような小声で、翼が私に詰め寄り睨みつける。


 だが、私の方も彼女に取り合う必要がないと分かった。


 「あなたがどこで私の事を知ったか知らないけど……私の方から、あなたに話すべきことなんて、一つもない」


 翼は自分のスマホを握り潰さんばかりに強く握り締めて立ち尽くしていた。

 彼女も、おそらくは(AZテック)の情報網で知ったのだ。


 今、私といるこの場所とは違う場所で──〈黒衣姫)が目撃された、と。


 私はその正体が司三であることを知っているけど、翼はそうではない。


 彼女の動揺を見て取って、私は目に力を込める。


 「……一体どんなトリックを使った?」

 「なんの話ですか?」


 私が白を切ると同時に、また翼のスマホから何か音声がもれた。

 彼女はそれを無視するわけにはいかないようだ。忌々しげにスマホを見下ろす。


 苛立たしげにしながら、なおも立ち尽くす翼から私は背中を向けた。


 「……寮の門限があるんです。帰ります」

 「待て……っ!くそっ!待ちやがれ……!明日川黒依……!」


 私はもうそれ以上は取り合わずに、大急ぎで堤防の上から駆けた。


 ──「私はお前を忘れない。これで終わったなどと思うなよ?」


 去り際に怨嗟えんさの込められた翼の低い声が聞こえたが、私は構わず走り去った。


 〇


 とにかく、堤防から離れた場所へ、息が切れるまで走った。


 翼が追ってくる気配がないのを確かめ、それから改めてスマホで情報収集をする。


 「……やっぱり、あの山のスタジオで火事が起きてるんだ……」


 そして──現場には司三たちが居合わせている。

 前に会った時、サークルで今週末スタジオを借りたと言っていた。


 「でも……一体、なんで、どうして……」


 とにかく、私も現場へ向かわなければ──

 大きな道路に出ようとその場から走り出した時だった。


 私の目の前に、設備点検会社のバンがききっ、と音を立てて急停車した。


 すぐさま、後部座席の内側から扉が開いてそこから見覚えのある顔がのぞく。


 「凪くん!」


 設備点検会社の新しいロゴの入った作業着姿の獣人種の少年。

 私の、クロエ・アスタルテの〈黒衣姫〉としての活動を支える仲間たち。


 「時間をかけるな。すぐに現場へ向かう」

 「分かった!」


 翼に見つかるわけにいかない。

 私は、躊躇ためらうことなくすぐさまバンに飛び乗った。

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