第九話 姫は真相を伝えられる
車のエンジン音とかすかな振動で、私は意識を取り戻した。
目を見開くと、高架道路の灯りの差し込むバンの車内が見えた。
「気が付いたか」
凪の声が聞こえて視線をそちらへ向けると、すぐそばに仏頂面の彼の顔が見えた。
「……膝枕?」
「なんだよ、文句でもあるか?」
彼の少年らしい細い膝の上から頭を起こそうとすると、胸の上に重みを感じた。
見ると、あの〈魔猫〉の子供が私の制服の胸の上で丸くなっていた。
「いいから寝てろよ。酷い目に遭ったんだ」
「……それは、いいんだけど……」
「話を聞かせて欲しい」と、私は訴える。
すると、運転席と助手席の方向からそれぞれエイジとマヤの声が聞こえた。
「一通りは、あなたの見た通りです。クロエお嬢」
「何か確認したい事があるなら改めて答えるわ。私たちが知り得た情報を」
私は制服の胸の上で寝ている〈魔猫〉の子供を片手で撫でた。
しばらく、そのふわふわと柔らかい毛並みを撫でて考えをまとめ、口を開く。
「あの……異空間を、創った魔族って……」
半ば確信を込めて、私は三人に尋ねた。
「私の……母さん、なんですね?」
私の声が、バンの高い天井の辺りを漂って消えた。
そして、運転席のエイジがハンドルを握りながら首肯する気配がした。
「その通りです。あの空間を創り出したのは……あなたの母親のソフィア・アスタルテです」
エイジはそうはっきりと答えた後で、少し間を置いた。
高架道路を照らす街灯の光が車内に差し込み、横たわる私の顔の上を通り過ぎる。
そして、エイジは再び語り始めた。
「自らも『魔族学』の権威であったあなたのお母様、ソフィア・アスタルテは〈AZテック〉……かつての〈梓川テクノロジー〉の主任研究員でした。十五年前、彼女は〈梓川テクノロジー)の会長、
「魔族の起源……?」
私が凪の膝の上で首を捻ると、エイジは「俺も詳しくは知りません」と答えた。
「ただ、その矢先に会長の矢的氏が急逝し、経営陣の跡目争いが起こったんです」
「……跡目争い?」
「跡目争いの内容自体はよくあるものですよ。矢的氏の息子の
私は何度も目をしばたいて考えを整理してから、口を開いた。
「母さんは……守旧派の方の研究員だったんですか?」
「ええ。そもそもが矢的氏が直々にスカウトした人材でしたからね」
「私……そんな事も知らなかった」
手で目元を隠して、私は深々と息を吐いた。
「母さんはばあちゃんとは折り合いが悪くて、まだ若い頃に家を出ちゃったってだけ、聞いていて……」
「無理もありません。その跡目争いは徹底した情報統制がなされ、弓人氏の消息すら明らかにされていない。表向き、大陸へ出奔した、と報道されただけで」
私が「そんなことって」とうめくと、凪がまぶたを閉じ眉間にしわを寄せた。
「この〈
「〈AZテック〉にはな」と、凪が苦々しげにつぶやいた。
私は、凪にも何か、辛い記憶があるのかとその顔を見て思ったけど──
「お前の方は、どうなんだ」
そう、逆に凪が私を見て、静かに尋ねた。
「どうって……」
「お前の方は、祖母から何か聞かされてないのか?十五年前といえば、お前が生まれたばかりの頃のことだろう?」
私は口ごもる。
改めて考えると、私がばあちゃんから聞かされていたのは本当限られたことで。
どうしてか──今の今まで、それが当然の事と思い込んでいた。
ばあちゃんは私が聞いても答えをはぐらかすだけで、いつしか私も平穏な暮らしに、母さんはいなくて当然と思うようになっていたのだ。
「こんな……大事なこと……どうして……」
私が小さくうめきを漏らすと、凪は察したように口を噤む。
「……話を現在へ進めましょう。当然、守旧派であるお母様はその一連の騒動で身の危険を感じ、自らの魔力で創り出したあの異空間に逃げ込んだ」
「じゃあ、母さんは今も、……あの〈夢見島市〉を模した異空間に……?」
私が尋ねると、今度はマヤの声が「その可能性が高いわね」と答える。
「クロエお嬢、もう少し話を先に進めさせてください。〈AZテック〉側ももちろん、ソフィア……あなたのお母様が異空間に逃げ込んだのを手をこまねいて見ていなかった。お母様の魔力を探知し、〈夢見島市〉の裏側に、その異空間があると突き止めた(AZテック)側も、あの空間に人員を送り込んだ」
「そして、今に至るまで、お母様の身柄を追っている」と、エイジが説明する。
「ただ、あなたのお母様が創り上げたあの空間も一筋縄ではいかなかった。……少なくとも〈AZテック〉の派遣したチームには太刀打ちできなかった」
「おそらく……」と、今度はマヤが私を座席越しに振り返るのが見えた。
「クロエさんも見たわよね?『裏側』の市街地の上に浮かぶ巨大な構造物」
「……あの、空に浮かんでいる……金属球……」
「そう。〈AZテック〉の連中はあの巨大構造物の中に、ソフィアさんがいると考えているようね」
私は裏の〈夢見島市〉──その上空に浮かぶ巨大な金属球の姿を思い起こす。
あの中に──母さんが──。
「しかし、あの金属球に入り込むのも、その方法が見当もつかない」
「空を飛んでいくのも……?」
「〈AZテック〉のチームも、色々と方法は試したはずです。それでも手詰まりになった。だから……あの異空間そのものを表沙汰にできない実験用のフィールドに利用することにしたんです」
「実験の……内容は……」と私が問うと、今度は凪が答える。
「……あんたも見た通りだ。異能の力を持つ者、様々な種族や魔獣を集めて、彼らを競わせ鍛え上げ、ソフィアの存在に届く者を見出す為に……」
凪の声音が、一層低く、鋭く車内に響いた。
「ひたすら、フィールド内で魔獣を狩ったり、被験者同士でリソースの奪い合いをしたり、最終的に、上位者に権限と地位を与えて競い合わせる……」
「そんなの……それってまるで……ゲームじゃんか……」
私がそれ以上、言葉を失っていると、凪が陰鬱な表情でうなずいた。
「そうだな。被験者にとっては、自分の異能を活かした過激なゲーム感覚だろう」
「待って、待ってよ……。あそこにいるのは、被験者も、魔獣も……本物で……」
私がうめくと、運転席のエイジが強いて淡々とした口調で告げる。
「クロエお嬢が脱出の直前に遭遇した五人──あれは、被験者の中でも上位者、上から順番に八人のメンバーからなる、様々な特権や装備を与えられた被験者です」
「八人の、被験者……」
先ほど聞いた、非情な五人の声。
あっという間に破壊と炎に包まれた、森の中の光景。
「〈AZ8〉と、呼ばれている……あの連中がフィールド内における(AZテック)の最高戦力だ。連中は、あんたの母親を捕らえる機会を、
最後に凪が重々しく告げた声を最後に沈黙が落ちる。
私は、ただ母親を探しに、群島連邦を訪れたつもりで──
──自分の想像より、ずっと大きな出来事に巻き込まれていた事に遅まきながら、実感していた。
〇
どうやって学生寮の方に言いわけするのだろうと道中考えていた。
すると、寮から少し離れた所でバンを停め、「少し失礼」と断りを入れたエイジが清掃業者の作業着を脱いだ。
下から、本物にしか見えない警官の制服が出てきて私は目を剥いた。
エイジはそのまま、本物としか思えない小道具をあれこれと身に着け、後部座席の私を振り返って一つウインクをした。
「さて、行きましょうか」
私が抱えていた〈魔猫〉の子供は、マヤが手を伸ばして引き取った。
「この子はこっちで預からせてもらう。決して悪いようにはしないから安心して」
「あっ、その……」
「今日だけで、色々と起こって考えが整理できないのは分かる」
困惑している私の横で、凪が低い声でつぶやいた。
「少しの間、考える時間をやる。……その時はまた、こちらから声を掛けるから、よくよく考えておいてくれ」
「それは、その……」
私はおどおどと、三人の──おそらくは、どこかの組織の工作員を見た。
すると、警官の帽子を被ったエイジが神妙な顔で振り返る。
「我々が正義だ、などと
「…………」
「所詮は、〈AZテック)の実態を疑うあちこちの勢力の寄せ集めに過ぎません。しかし、この〈夢見島〉の中で、まがりなりにも(AZテック)の目的を阻止しようと考えるなら、我々と共同戦線を張るのが一番の近道であることも確かです」
それを聞いて、後部座席の凪が頭の後ろで手を組んで息を吐いた。
「……胡散臭い上に頼りない、掻き消えそうな線だがな」
「はは……まあ、それでもまだまともな線になる可能性はあります」
警官の制帽を被ったエイジが、私をじっと見詰めて告げる。
「クロエ・アスタルテ様……貴女が我々に協力をしてくれるなら」
〇
警官に変装したエイジは、寮の受付に私を連れて寮母に嘘の説明をした。
いわく、ひったくり犯の逮捕の現場に居合わせて協力を仰いだのだけど、犯人が頑なに取り調べを拒否するので、証言を取って遅れた、と──
「現行犯で逮捕されたってのに、往生際悪くぐだぐだと言い逃れをしたもので」
「まあまあ、そうだったんですか」
なんだかすっかり打ち解け、私はそっちのけで交わされるエイジと寮母のやりとりを私は無言で、うつむきがちに聞いていた。
その様子を横目に見たエイジが、一つ咳ばらいをする。
「……なにぶん長時間になりましたもので、明日川さんも酷く疲れています。今日の所はひとまず、部屋で休ませてあげていただけませんか?」
「ええ、ええ、それはもう構いません。また後々、手続きはありますけど、そういう事なら……」
「お願いします」と、エイジは最後に頭を下げて、寮の入り口へ向かう。
「それでは、捜査のご協力ありがとうございました」
「…………」
人当たりのいい笑みを浮かべて頭を下げる彼から、私は視線を逸らした。
ともあれ、偽官に扮したエイジの口添えで私はそのまま部屋に戻された。
一度、無人の共同浴場に行って汗を流し、ぼうっと湯船に浸かった。
部屋に戻ってタオルで髪の水気を拭きながら、ふとスマホに眼を落とす。
すると、メッセージの着信通知が来ていた。
なんだろうと思ってアプリの画面を開くと、ばあちゃんからだった。
そう言えば、凪に声を掛けられる前にメッセージを送っていたと、思い出す。
心身ともに疲れ果てていて──見るのは明日にしようかとも思ったけど──
少し悩んだ後で、スマホの画面を操作した。
いつも通り、文面だけのそっけないものが幾つか来ている。
〇
『友達ができたのだね。それはとてもいい事だと思う』
『でも、心配するなというのは無理な相談だというのは知っておいてくれ』
『君のことを心配しなかった日はあれから一日としてない』
『私の口から君に伝えられることは限られているけど、ソフィアは複雑な子だ』
『もし、君の手に余る事態に巻き込まれているようなら』
『決して強がったりしないで、帰ってきなさい』
『絶対に怒ったりしない』
〇
気が付けば目の奥がじんと熱くなって、鼻をすすっていた。
今すぐ──ばあちゃんの顔や声や──少しでもばあちゃんを感じたくて、通話を開こうとして──
そのままなし崩しに、何もかも吐き出してしまいそうで、踏みとどまった。
画面に触れかかった指先をぐっと押し留める。
ごしごしと目元をパジャマの袖で拭って、私は部屋の明かりを消した。
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