花天月地【第107話 陰陽を読む】

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第1話





元直げんちょく殿。貴方も随分立派になったと思っていたら……お客様を床で寝かせるとは何事ですか」



「いや……あの……寝かせたつもりはなかったんですが……成り行きで気づいたらそうなっていたというか……それにほら床と言ってもここは立派な絨毯もありますし。これならそんなに床という感じでも」


「床です。」


「……はい。」

「昨日知らせを送らなかったことといい、今日の床のことといい、貴方は客人の前で母に恥をかかせるつもりですか」

「いや、そんな大層なつもりは全くないんですが……」

「元直殿っ!」

 小柄な母親に見上げられながら説教されることはあまり怖くなかったが、先ほどからぎゅう、と背中の方をずっと引っ張られているのが気になった。

 肩越しに見やると陸議りくぎが気まずそうに、何か言いたげな表情をしていた。

 どうかこれ以上やり合ってくれるなと言っているのが分かったので、徐庶じょしょは困惑していた態度を改めた。


「母上、大変申し訳ありません。私も陸議殿も寒く険しい涼州遠征から都に戻って、つい安心して気が緩んでしまってうたたねを」


「尚更立派な寝台があるんですからそちらで休めばいいでしょう」


「はいあの勿論、一度は私も陸議殿も寝台で寝たんですが、ここに来る道中馬車で寝すぎたので起き出してしまいまして……それで温かい暖炉の前で少し談笑していたところですね、ふかふかの絨毯が気持ちよくつい……」


 同意を示すようにこくこくと隣の陸議が頷いている。


「そうだとしても、仮に陸議様がそのようになさってもきちんと貴方が起こして寝室に戻っていただくものです。なんですか貴方までごろりと横になって。

 陸議様がお若くとも軍の総大将の方のお側におられる程の方だと母に説明したのは貴方でしょう。

 私はご立派な方だと思ってきちんともてなしたいと思っているのに、これで洛陽に来た初日で床で寝たことが原因で陸議様が熱でも出されたら陸議様のご家族や上官の方に母はどのようにお詫びすればよいのですか」


「ええと……はい……確かに仰る通りなのですが……ここまで大きな騒動になると全く思っておらず……」


「あの、母君、……本当に申し訳ありません……私もその……本来他人様のご自宅で床に寝るような人間ではなかったつもりなのですが……その、この家があまりに居心地よく、更に久しぶりの都に戻ったという気のゆるみが出てしまって……本当にお恥ずかしい限りです……」


「陸議様はそのようになさらなくていいのです。ここでなら養生出来るだろうと連れて来た元直殿に責任があるのですから」


「母上、仰る通りです。あの……ですがそろそろ朝の支度をしてはいかがでしょうか。

 こうやって立ち話をしてるうちにも冷えてきますし、私が湯を沸かしてまいりますので陸議殿には温まっていただいて。こういう息子の不始末をお客人に全て聞かせるというのも、それはそれでいかがなものかと」


 怒っていた徐庶の母だったが、こうしていても冷えてしまうと言われて渋々と納得したようだ。


「軽く温かい汁物で朝食を作りますから。それを食べたら市へ行き、夕食の材料を買いに行きますよ。今日こそきちんとした料理を用意します」


「もちろん。私も荷物持ちに同行いたしますので、母上のお好きなものを好きなだけ買ってください。なんでもお手伝いいたしますから」


「全く……あなたも早くお着替えなさい。見てるこっちまで寒くなります」


 徐庶の母は不満げにため息をついて、居間を出ていった。


 徐庶と陸議は一緒に安堵の息をつく。

 しかし陸議の心境は、安堵とは程遠いものだった。


「……怒られてしまいました……」


 少し落ち込んだように陸議が言うと、徐庶が吹き出す。

「いや。今のは俺を怒ったんだよ。君じゃない」

「……でも、きっとものすごく行儀の悪い客だと思われてしまったと思います……」

 陸議はしゅんとしている。

「母上も随分変わられたなあ。昔はうちに寝台なんか無かった。その辺でごろ寝してても行儀が悪いなんて言わなかったのに」


 徐庶は寝ぐせのついた髪を軽くくしゃとしながら、ぼやいた。

 それを聞いて、陸議は随分暢気なことを言う人なんだなと思ってしまった。


「いえ……徐庶さん……それは、今はちゃんと寝台がある家なのですから、そう思われるのは当然だと思いますよ……」


「そういうものかなあ。俺は役人に追われてた時はずっと床とか土とかの上にごろ寝してたから、こんなの普通だと思ってたよ」


 陸議の顔を見ると何とも言えない顔を彼がしていたので、徐庶は気づいた。

「そうか。俺がダメだって言われるのはこういう所なんだな」

 今気づいたように、彼は頷いた。

「少し都にいるうちに生活態度を改めるよ」

 それがいい、と思って陸議も頷く。

「私も、当分暖炉の前で横になるのは控えるようにします」

 陸議がそう言った時、徐庶は何となく彼の言葉を残念に思って、自分が暖炉の前で寝転がって陸議ととりとめのない話をする時間を、思いの外好んでいたのだということを自覚し、苦笑してしまった。


「?」


 徐庶が少し笑ったことに気づいて、陸議が首を傾げる。

「いや。湯を沸かして来るから君はとにかく温まって。

 断らないでね。上がるころには母の機嫌もきっと直ってるよ」

 陸議は目を瞬かせてから、ようやく表情を緩めて笑った。



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