5秒の逡巡【1分で読める創作小説2025】

渡貫 可那太

5秒の逡巡

 その人の笑顔が、なぜ自分の記憶に残っているのか、私にはまだわからない。

 手だけが、光の中に差し伸べられている。

 声も、顔もない。

 ただ「優しさ」だけが、そこにあって、それが——怖かった。

 私はずぶ濡れのままだったが、その手を掴むことをためらった。

 それは本当に「優しさ」なのだろうか。

 私を何かまずい方向へ誘導するのかもしれない。そんな懸念も一瞬、頭をよぎった。

 優しさとはいったい何なのだろう。

 受け手によるものなのか、差し出し手によるものなのか——。

 それすらもわからず、私は、差し出された手を握り返すことができなかった。

 「誘導」されているのかもしれない。自身が有益となるよう、情報を隠し、そこにしか道がないかのように誘導する。都合よく編集された真実、切り取られた親切、そして唯一の「正解」のように見せかけられた選択肢。

 そこに——差し出された手に、誠実さがあるのかどうか見えないのだ。

 手を掴んでも、離れていい。もしそうであるなら、それは誠実さに支えられた優しさだ。

 だが、一度掴めば最後まで従わされるのなら、それは支配だ。私には、その違いを見極める目がなかった。

 いや、ただの気まぐれということもある。

 気まぐれや思いつきなどの、一時の感情で手を差し伸べていた場合、誠実さと関係があるだろうか。むしろその場合、打算がない分、優しいと言えるのではないだろうか。

 いったい、優しさとは何だ。余裕か。

 だとすれば、腹立たしい。余計に腹立たしい。

 私の、いまこの立場に、愉悦を感じているのか。であれば、打算ではないにせよ、それは相手の利益を生んでいる。手を跳ねのけられても損害はない。ゼロか百かであり、マイナスではない。

 その手を——掴むか、拒むか。

 考えれば考えるほど、どちらも優しさであり、どちらも残酷だった。その曖昧さに、私は足を取られていた。

 なぜ、私に——こんな私に、手を差し伸べてくれるのか。 それがわからないということが、たまらなく怖い。

 優しさは時に人を傷つける。私のような卑屈なものには特に。

 差し伸べられたその掌は、私を解放しているのか、それとも追い詰めているのか。

 優しさとは、相手を救うだけでなく、その存在を肯定するものなのだろうか。

 ならば、この手は——私という存在そのものを認めているのか。

 そう、本当はわかっている。

 私はその手を取るしかなかったのだ。

 滑り落ちたのは、田んぼの水路。泥だらけの私。独りでも立ち上がれるけれど、その手を拒むだけの理由もなかった。

 ようやく、手を掴んだ。

 私は、負けたのだ。何かに。

 ——この人は、なんでこんなとこでプロポーズしたんだろ。

 悔しくなって、思いきり引っ張った。

 雲一つない青い空。

 私たちは笑った。いや、笑うしかなかった。

 忘れられない思い出が、またひとつ、増えてしまったのだから。

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