月灯りの本棚 — 秋の夜の記憶

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月灯りの本棚 — 秋の夜の記憶


秋の夜、森の奥に現れる図書館は「月が雲に隠れた夜」だけ姿をあらわすといいます。

その図書館に並ぶ本は、誰かが心にしまい忘れた思い出や、まだ語られていない未来の物語。


キツネが開いた本には、かつて人間の子どもと遊んだ日々の記憶が描かれていました。

焚き火の明かり、笑い声、ふわりと漂う栗の匂い。

けれどその子どもはもうここにはいない――年月が流れたことを本が教えてくれます。

キツネは一瞬だけ寂しげに目を伏せましたが、やがて静かに本を閉じました。


小鳥の本には、空に還れなかった歌が記されていました。

風にのるはずだった旋律は、長い間、胸の奥で眠っていたのです。

けれど本を開いたことで、その歌は夜風に解き放たれ、図書館の天井に星屑のような音を散らしました。

小鳥は羽を震わせ、ようやく安らいだように目を細めました。


妖精の本には、まだ誰も辿りついていない季節の景色が映し出されました。

深い雪を照らす春の光、夏の嵐のあとに咲く花、秋の森を越えた先に広がる未知の湖。

「未来は怖いけれど、美しい」と妖精はつぶやき、その光景を胸に刻みました。


そして最後に、月明かりの少女が開いた本。

そこには「この夜に集まったすべての存在が互いの物語をのぞき合った」という記録が、すでに書かれていました。

不思議なことに、ページの余白はまだ白く、これからも続きが綴られるようになっていたのです。


少女は本を閉じ、優しく微笑みました。

「忘れても、またここに戻れば思い出せる。物語は失われないから」


夜明けが近づくと、図書館も、客たちも、秋の霧とともに溶けるように消えていきました。

残されたのは、風に揺れる落ち葉と、どこか胸の奥に温かさを残す読後感だけ。


だから時折、人は夢の中でこの図書館を訪れるのです。

自分でも気づいていない、大切な記憶や未来のかけらに出会うために。

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